妖巡りて 百合萌ゆる

和泉公也

前編

むくろさま、バンザーイ!」

「骸さまがご帰還なさったぞい!」

 私が船から降りるなり、あれやこれやという間に異形な連中がお出迎えときたもんだ。

 重い荷物を一旦下すと、地面の岩に腰を下ろす。まだ到着して間もないのに、一気に疲れが押し寄せてきた。

「そんな大げさな出迎えはいらないって」

「いえいえ、これぐらいしないと失礼に値します。何にせよ、遠路はるばるご苦労様です」

「そしてお帰りなさい!」

 異形の連中を見据えながら、私は「ただいま」と空返事をした。

「相変わらずだねぇ、アンタも」

「久しぶり、魚子なこ婆ちゃん」

 私の前に現れたのは、真っ白な長い髪を携えたお婆ちゃんだ。上半身は真っ白な装束、そして下半身がびっしりと鱗が見える魚の尾びれになっている。

「元気だったかい? っと、立ち話もなんだからうちにおいでよ」

「行きたいのは山々なんだけどさ、早いところ天狗姫様に会わないと……」

「あぁ、そうだったねぇ。けど、あの天狗姫てんぐひめ様だからねぇ。我儘に振り回されないように気をつけなさいよ」

「あははは、そんなことは百も承知だよ。ありがとな」

「はーい、気を付けていってらっしゃい」

 あたしは婆ちゃんに手を振りながら、意気揚々と山の方へと向かっていった。


 ここの島には人間はいない。

 いや、元々人間として暮らしていた者は大勢いる。が、現行で“完全な人”と呼べる存在がいない。

 それ故に、皆はこの島をこう呼ぶ。

 ――妖島あやかしじま


 人ならざる者――、所謂「妖」の者たちが住まう、日本の果てのどこかにある島。

 私もまた、この異形の集と同じ、妖だ。


 とはいえ、私の場合は元々は素直に人として暮らしていた。いや、人“だった”と言った方が正しいかもしれない。

 「妖巡あやかしめぐり」とか言ったっけ。遠い祖先に妖の血が混じっている人間が、ある日を境にその血が覚醒してしまう現象。私は小学生の頃、突然その現象に見舞われてしまった。

 煙草をポイ捨てしようとした大人を注意しようとしたら、そいつに逆ギレされてしまって――、理不尽さをどうしても堪えきれず、私は怒りが込み上げてきた。そして気が付いたら……、その人はいつの間にか相当やつれて怯えた表情をしながら私に命乞いしてきた。

 それから友達も、先生も、そして親も――、私を見る目が変わってしまった。まるで腫物に触れるかのように、妙な距離感を保つようになってしまった。

 その後、私はこの島に預けられることになった。私以外にも妖巡りになってしまった人たちは大勢暮らしていて、最初は距離を置いていた私もこの島の人たちとは少しずつ歩み寄っていけた。


 そんな私は十八歳になって、一度本土に戻っていた。勿論、人間として普通に暮らしている。

 今日は何故この島にやってきたのかと言うと――。

「見えました。あれが天狗姫様のお社です」

「懐かしいな。昔と変わってないな……」

 山道を少し進むと、一件だけポツリと佇んでいる木製の小屋があった。大きさは、大体一軒家ぐらいだろう。

 私は固唾を呑み込み、ゆっくりと社へと近付いていく。そして、恐る恐る中へ入っていった。

「お、お邪魔、します……」

 思わず肩を竦ませてしまう。そして、慣れない敬語口調になってしまう。

 縁側から障子を開けると、畳敷きの大広間があり、その中央に一人の少女が鎮座している。

「お主は……、お主、もしかして……」

「あ、はい。貴方の護衛をですね……」

「帰れッ!」

 姿が見えないまま、突然の怒声を浴びせられた。

「あの、さ……」

「帰れと言っておるだろうがッ! 貴様の顔なんぞ見たくもないわッ!」

 ――怒っている。

 言うまでもなく、その少女からはひしひしと怒りが伝わってきた。

「いや、その、婆ちゃんに頼まれてここに来たんだけど……」

「だから何だというのだ!? 護衛ならば他の者を寄越せと伝えておけ! 貴様のような者に護られるぐらいなら死んだ方がマシだ!」

「ちょっと、そんな言い方って……」

「天狗姫しゃま!」

 間から誰かが入ってくる。物凄く舌足らずな、可愛らしい少女の声だ。

間敷ましき……」

「意地を張るのもいい加減にしなしゃい! 骸しゃまは天狗姫しゃまのことを、とっても、とおおおおおおおおっても、心配していたんでしゅ!」

 剣幕のごとく怒るが、可愛らしい物言いであまり迫力はない。

 私よりも頭二個分ほど小さな小柄な身体、長いおかっぱの髪、そして真っ赤な着物。この女の子もまた昔馴染みだ。名前は「間敷」で、この島に住む座敷童である。

「骸しゃま、お帰りんしゃい。ささっ、そこに座って。今お茶を入れましゅからね」

 にっこりと笑顔で私をもてなす間敷。緊張感がちょっとだけほぐれたような気がする。

 私は言われるがままに座した。それを合図に、間敷はぺこりとお辞儀をして別の部屋へと移動する。

 私はこほん、と咳ばらいをして、もう一度天狗姫のほうを見る。

「……ただいま」

「……お帰り、であるぞ」

 たどたどしい切り出し方に、お互いの空気が気まずくなる。

「悪かったよ。その、勝手に島の外に行っちゃって……」

「分かっておる。決して、この島を捨てたわけではないのじゃろ」

「あぁ。私は、その……」

 ――言うべきか。

 思案を巡らせて、私は言葉を発するのをやめた。

「まぁ良い。それよりも……」天狗姫はすっと立ち上がった。「会いたかったぞ、むくろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」

 そう言っておもむろに私に抱きついてきた。

 ようやく姿が見えるようになったかと思ったらこれだ。

 真っ黒な長い髪、白い山伏のような装束。天狗のように鼻が長いかと思ったら割と小鼻。そして頭には、金色の髪飾り。

 小さい頃から知っている、天狗姫の姿そのものだった。

「お、おい! 離せって!」

「離すもんか! わらわはずっと、お主の帰還を心待ちにしておったのだぞ!」

「いや、さっきは帰れって……」

「あんなの本心なわけないじゃろ! ほれ、人間どもの言葉であるじゃろ、”つんでれ”というものじゃ!」

 この小娘……、どこでそんな言葉を覚えたのやら。

 私はひたすら困惑していた。とにかく、今度は別の意味で話が進まなくなってきたぞ。

 なんて赤面していると――、

「お二人とも、お茶が入りましゅ、た……」

「あっ……」

 襖を開けて、間敷が現れる。

 が、すぐにゆっくりと、お茶の乗ったお盆を地面に置いて、

「な、な、な、なななななななななななな」

「いや、これはだな……」

「何、やってんでしゅかああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!」

 その後、私と天狗姫は数十分に渡るお説教を受けるのであった――。


「全く、先ほどまで険悪な雰囲気だったかと思えば、昼間っからイチャつくなんて何考えているんでしゅか」

「いや、誤解だって……」

「なんじゃ。わらわはイチャついておったつもりだったが……」

「お前は黙ってッ!」

 一向に話が進まなくて、私は頭を抱えた。

「まぁいいでしゅ。それよりも、骸しゃまをここに呼んだのは……」

「護衛、だろ」

 ようやく話が進んだ。

「そ、そうなのじゃ……。烏天狗族からすてんぐぞくに、命を狙われておって……」

「烏天狗族、か……」

 この島には二つの天狗族が住んでいる。天狗姫を始めとする大天狗族、そしてまるで烏のような姿をした、烏天狗族。

 昔から仲が悪くて事あるごとに対立していた記憶があるけど、まさかそんな物騒なことになっていたとはな――。

「何でまた、今更命を狙ってきたわけ?」

「それが、のう……」天狗姫はため息を吐きながら、「自分で言うのも何だが、最近どうもわらわの妖力が強くなってきた気がするのじゃ」

「それは本当でしゅ。時々不安定な妖力を感じるようになったでしゅ。このままだと、いずれ……」

「妖力が高くなりすぎて、本当に人々を襲う妖怪になってしまう、ってことか……」

 私が答えると、二人は目を丸くして、

「そ、そうじゃ……」

「知っていたんでしゅか……」

「あ、あぁ……。まぁ、な」コホン、と咳払いを挟んだ。「奴らとしても天狗姫が強大な力を得るのは不本意なんだろうな。だからその前に始末しよう、と。どうせそんなところだろうね」

「そ、そうなのでしゅ……」

「わらわも怖いのじゃ……。烏天狗族もそうじゃが、この力に吞み込まれてしまうのが……」

「心配しなさんな!」私は天狗姫の手を取った。「烏天狗族なんざ、私が蹴散らしてやるよ! 勿論、お前を完全な妖にはさせない。お前のことは……」

 私が守る――。

 そう言いかけて、口を噤んだ。

「うむ、よろしく頼むぞ!」

「あ、あぁ」

 私は意気揚々と返事をした。

 ――絶対に、守ってみせる。

 烏天狗族からも、妖の力からも。


 いつかはこんな日が来ると思っていた。

 だからこそ、私は本土に戻っていったのだ。

 そのことを彼女に告げようと思ったが、どうしても告げることが出来なかった――。

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