博望坡の戦い-3

 的盧に跨がって隆中へ舞い戻ったミズキは、ついに三度諸葛亮孔明を尋ねていた。

 これで出盧してもらえなければ、劉備が影武者ミズキに入れ替わったがために「三顧の礼」は発生しないということになる。徐庶が夏侯惇を相手に果敢に立ち向かっているが、新野は孤立無援。劉備一家は新野から敗走することになり、関羽と張飛、そして趙雲たちの運命も先がまったく見えなくなってしまう。ミズキが早く博望へ向かわなければ、彼女たちは愚直に戦い続け、全員討ち死にしてしまうかもしれない。

 彭侯たちを引き連れて箒で庭先をお掃除していた諸葛均が、ミズキがまた現れたことに気づくなり、


「あーっ! また子供さらいの変態のお兄ちゃんだ! しつこいよ~! 働きたくないお姉ちゃんが発明した自動『うどん』切りからくり、しかしてその真の正体は変態紳士撃退からくり、『黄月永』! 出撃!」


 と箒に仕込まれた黄色いボタンをぱちんと押し込んだ。ああもう。今は諸葛均ちゃんと遊んでいる場合じゃないのに。黄月永って孔明の「奥さん」の名前だったんじゃ……とミズキが首を傾げていると。

 がちゃーん、がちゃーん。


 木材で作られた巨大な二足歩行ロボットが、厩を破壊しながらミズキの前に突進してきた。

 その体型と顔は彭侯をモデルにしたらしい。三頭身で脚が短く、そしてずん胴である。人間さまと比べると不格好だが、重心が重くてバランスが取りやすいらしい。


「なんだよ、これはっ!? 紀元三世紀の中国にこんな二足歩行ロボットが存在していていいのかっ? 諸葛均ちゃんっ!? 俺は大至急、孔明に会わないといけないんだ!」


「これは天才発明家のお姉ちゃんが作った、うどん切りからくりだよ! 変態紳士をやっつけることもできる便利なからくりだよ! 帰らないと、踏みつぶしちゃうよ!」


「いったいどうやって動いているんだ!?」


「わかんなーい。設計図がないんだもん。ぜんぶ、お姉ちゃんの頭の中に収まっているんだよね。たしか、動力源は胴体に内蔵された歯車、だったかな~?」


「関羽たちはもう戦場に出ているんだ。今頃は夏侯惇と激闘を繰り広げている! あきらめられるかっ! 的盧、あの脚の間をすり抜けて孔明の屋敷へと突入するぞ。図体はでかいけれど短足だから、高さはぎりぎりだ! できるか!」


「任せておきな相棒! 檀渓を渡るこの的盧さまよ。からくりだって突破してみせるぜ。こいつを抜いたら、関羽のおっぱいでぱふぱふさせてくれよ! 伏せろ相棒! 振り落とされんなよ! ブヒヒヒン!」


 ここぞという時の的盧のエロパワーは異常。

 黄月永の狭い両脚の間を一点突破して、ついにミズキを孔明のもとへと送りとどけていた。的盧が猛スピードで駆けたあげく急停止したので、鞍に捉まっていたミズキの身体は勢いよく吹っ飛ばされて、孔明の部屋へと墜落していたのである。

 孔明は「まさか黄月永を突破してくるとは、計算外だわ」と屈辱に震えながら、ミズキの顔を容赦なく踏みつけていた。


「……あなたは、ついに三顧の礼を尽くしてしまったのね。冗談じゃないわ。新野で自分が影武者だと民にバラしてしまうだなんて、底抜けに馬鹿すぎる。せっかく私が劉表と蔡瑁に弁明の手紙を出してあげたというのに、なんて愚かな真似を。もう、襄陽から劉表の援軍を借りることは不可能よ。荊州の名士たちも、ニセモノだと発覚したあなたの元には仕官しない。あなたの一時的なくだらない感傷のために、関羽も張飛も『劉備玄徳』もここで歴史から退場することになったのよ。わかっているの? その間抜け顔を見るに、わかっていないようね!? もっと頭のツボを踏んで刺激してあげないとダメかしら?」


「……関羽は、民を騙したまま戦場に連れ出して戦わせることを忍びない、義ではない、と苦しんでいた。俺だって、同じ気持ちだった。たとえ襄陽の劉表たちに見限られることになっても、新野の民を騙して死地へ送ることはできなかった……それは義でもなく、侠でもなく、なによりも、『劉備玄徳』ではない。そう思った。たしかに事態は悪化したが、俺は、決して後悔はしていない! 関羽だって」


「信じられない! 愚か者! 無能! あなたのその感情に流されて大局を見定められない愚かさは、ほんものの劉備とまるで同じよ! なんのために劉備玄徳は自分の命を削っておあなたを召喚したの? その上、あなたは、私を出盧させられなかった。自分の正体を自分からバラしてしまうような無能は、いくら私でも補佐できないわ。私抜きで天下を三分し、蜀漢を建国できると思っているの? 荊州の名士たちの支持も得られぬままに? 思い上がりにも程があるでしょう!」


 孔明の好意を、俺は無にしてしまった。孔明に失望されるのも当然だ、とミズキは思った。しかし、後悔はない。


「……できないかもしれない。でも、やるしかないんだ。きみが出盧してくれないというのならば、それも仕方がない。俺は劉備さんじゃないんだから、当然の選択だ。だから俺は、劉備玄徳として生きると同時に、諸葛亮孔明の影武者を務める。一人で二役を演じる。きみが生涯この隆中から出てこないというのならば、せめて影武者を演じることを俺に許可してほしい……」


「無知で無学なあなたが、私を演じられるの? そもそも、あなたは男よ! まさか、孔明が男に変身した、とでも言いふらすつもりなの? しかもこんな冴えない男に。勝手にお年頃の乙女を男体化しないでちょうだい!」


「この国の歴史には、劉備玄徳と諸葛亮孔明の二人が、どうしても必要なんだ。俺は未来を知っている。諸葛亮孔明の生涯を知っている。あの『黄月永』を俺に貸してくれ。孔明は人前に出ることを極度に恐れる内気な女の子なので、常に黄月永に乗り込んで降りてこない、ということにして押し通す。この時代にあんなオーパーツめいたロボットを作れる天下の奇才は漢広しといえどもきみしかいないから、みな、信じるはずだ。俺の知恵のなさ、才能のなさは、未来知識で補う」


「……はあ……実に愚かだわ、ミズキ。黄月永は、歯車が回りきるちょっとの間しか動けない。うどんを切るくらいの時間しか稼働できないのよ。まったく、後先考えずにハッタリばかりね……このまま黄月永をあなたに貸して隆中から追い返してもいいが、さっさと劉備一家を解散して商人になることを重ねてお勧めするわ。そうしなさい」


「それはできない。前回の訪問の際に、語り合ったはずだ! 劉備と孔明が曹操に抵抗し続けてこそ、この国は永久に『分裂』し続ける運命を回避できるんだ、と!」


「……いくら言葉を説いてもあなたのような知能の低い馬鹿には馬耳東風なのね。それじゃあ、三顧の礼を尽くしてくれたお礼に、『未来』を見せてあげるわ。これが、私があなたに与えてやる最初で最後の奉公よ」


 孔明がミズキの額に自分の額をそっと押しつけてきた。「星眼」が目映く輝いた。ミズキは言葉を失って、孔明の煌めく星眼に魅入られていた。孔明がひとたび放ったその星眼の魔力は、男の心を捕らえて放さない。徐庶が恐れていた事態である。が、孔明は、眼力でミズキの心を奪おうとしているのではない。殿方の心など、奪ったことはないし、奪いたくもない。愛は、あやかしの眼力で奪うものではなく、自然と心の内に萌えいずるべきものだ、と孔明は信じているのだから。


 孔明は、「未来」を、直接ミズキに見せたのだ。星眼が孔明に見せた未来の映像を。それは、孔明が劉備に未来を予言せずに、そのままミズキが召喚されなかった場合に起こる「正史」の未来だった。

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