三顧の礼-9

 修行初日、「書物・詩」の修行。仮想孔明役には、劉備一家の武官の中でもっとも学がある関羽が選ばれた。(とうとう徐庶に押し切られて「恋愛修行」だなんて妙なことになってしまったけれど、うーむ……ほんとうに効果があるのだろうか? 孔明ほどの智者が、ただ恋愛感情だけで出盧を決めたりするだろうか?)とミズキは半信半疑だった。徐庶は知恵者だがどうも暴走癖があるというか、熟考する前に行動する男らしい。この恋愛修行はあるいは逆効果となって、孔明が出盧しないという事態になるかもしれない。


 新野城の書庫でミズキと二人きりになって「き、緊張しますね」とふるふる震えていた関羽は、ミズキが不機嫌なのだと勘違いしたらしく、


「申し訳ありません! 私はどうも詩心がないといいますか、文章を読むのは好きなのですがなにしろふつつかな武辺者でして、詩にはぜんぜん疎いのです! 『春秋左氏伝』の話でしたらいくらでも盛り上がれますが、曹操から五行詩を教え込まれてもちんぷんかんぷんで」


 と謝りはじめた。


「あ、ああ。違う違う。孔明に恋させて出盧させようという徐庶の策そのものが、逆効果になるんじゃないかって悩んでいただけだよ。俺も詩なんてぜんぜん知らないから、気にしないで」


「そ、そうでしたか。ど、どうも、恋人ごっこをするとなるといつもと違って妙に意識してしまって気まずいですね……ミズキは外見は兄上に瓜二つですが、中身は違う人だということはもうよくわかっていますし……やっぱり、兄ではなく殿方として意識してしまいます」


「お、俺のほうも関羽に照れられると、照れるな……か、固まってしまいそうだ……き、き、緊張してきた」


「み、ミズキは兄上と違って女たらしではありませんからね。し、仕方ありません。じょ、徐庶どのは、おそらく、孔明と二人きりになったらミズキが緊張してしまうのではと案じて、こうして場数を踏ませようとしているのではないでしょうか? 孔明は星眼を持つ異形の美少女だと聞いていますし。星眼の美少女ってどういう容姿なのか、想像もできませんが。目が大きいのでしょうか。まさか彭侯が八頭身になったような感じなのでしょうか?」


「まあ、関羽は王道正統派の美少女だからね。もしかしたら、孔明は黒髪ではないのかも? 南方の異民族の血が入っているのか、呉の孫権は碧眼だという。孔明もあるいは――人間の女の子とはいえ、話を聞く限りほとんど神仙だしね」


 わ、わ、私が王道正統派の美少女……や、やめてください、照れます! と関羽は目をぐるぐる回しはじめている。照れるとたちまち顔が真っ赤になるから、わかりやすい。劉備の義妹として合戦に明け暮れてきた関羽は、これほどの美人なのに恋に免疫がないらしい。


 劉備さんが関羽を生涯独身のまま過ごさせるのは忍びないと思っていたのも当然だ、とミズキは思った。


「しゅ、『春秋左氏伝』の話で盛り上がってもいいんじゃないかな。孔明は軍師候補生なんだから、その種の書物にも精通しているはずだよ。俺も歴史が好きだし」


 関羽がはまっている「春秋左氏伝」とは、孔子が書いたと伝わる歴史書「春秋」の注釈書で、春秋時代の英雄名将たちの逸話がふんだんに収録されている。武人ならば必読の書だが、分厚い上に難解なので、そうたやすくは読破できない。が、関羽はこの書をほとんど暗唱できる。関羽は、地頭は抜群にいいのだ。ただ、関羽は性格が真っ正直すぎて、謀略にはからきし弱い。それで高い知力を持ちながら軍師的な立場にはなれなかったのである。


「未来の倭国でも、われらの国の歴史が語られているのですか?」


「ああ。この国の歴史だと、長い戦乱から秦による大陸統一までを描いた春秋戦国時代、秦の滅亡を経て項羽と劉邦が天下を争う楚漢戦争、そして四百年続いた漢が衰微して曹操が台頭してきた今現在の時代を描いている三国志だな。『三国志演義』は繰り返し繰り返し読んだよ。横山光輝先生版のマンガのほうがもちろん馴染んでいるけれど――実は、未来の日本では春秋戦国ブームが来ていてね。秦のほうが正義だったな」


「な、なんですか、それは。秦が正義では、漢の出番がないではないですか!」

 関羽もミズキとしばらくともに過ごしているので、「和製英語」も多少は覚えている。


「項羽と劉邦の物語は完全に掘り尽くされたから、漢建国以前の秦と諸国の戦いのほうに興味が移ったんだろうな。歴史ファンってどんどん時代をさかのぼっていくのが好きだから」


「……ミズキ。兄上は、私と張飛には悲劇的な運命が待っていると言っておられましたね。徐州で不思議な少女から予言されたのだと。あなたが愛読してきた『三国志』に、それらの未来はすべて書かれているのですね……」


 書かれている。だが、その未来を知っている俺が影武者劉備玄徳となった。だから運命は変えられる、とミズキは答えていた。


「あなたは、いずれ私は神になる、と言っていましたね。あれは、どういう意味なのですか?」


「そのままの意味だよ。関羽雲長はこの国の民たちに篤く崇拝されることになる。神として祀られるんだ。千八百年後の日本でも、中華街には関帝廟が」


「おかしな話もあったものです。私は兄上にお仕えする一介の武人にすぎませんのに。兄上を差し置いて、どうして私が?」


「……理由はいろいろあるけれど、最後の最後まで己の『義』を貫いたから、だろうな。曹操のもとに留まっていれば出世できたものを、わざわざ劉備さんのもとに舞い戻るなんて、普通はできないよ。関羽は武神としても祀られるけれど、やがては商売の神様になる。誰よりも信用できる義人だったから。商売は信用が一番だからな――俺が関羽の信用を用いて関羽飯店で荒稼ぎして軍資金を調達できたのも、きみが商売の神になる未来を知っていたからだよ。生前から商人たちに信頼されていたに違いないと思ってね。とりわけ、曹操のもとを去って劉備さんのもとに戻ってからの関羽は。大陸を離れて海外の異国に移住し、異国で商売をはじめたこの国の人たちは、みな、関羽の義のもとに集うことで力を合わせて生きてきた。どの国の人間にも、英雄が必要なんだ。時代を超越して人々の心の中に生き続け、彼らに生きる勇気と希望を与えて続ける存在が。この国では、その英雄の役割を、きみが担うことになる」


 私の生き様が、この国の未来の民たちの心を支える力のひとつになるのですね、ならば……と関羽は悲しげに微笑んでみせた。


「ならば、私は運命を回避してはならないのではないでしょうか。関羽雲長としての運命をまっとうしなければ、死後、神として人々の心を支える未来もなくなってしまいます」


「いや。いいんだ。それでも俺は……関羽に、人間として生きてほしい。劉備さんも、それを望んでいた。それにきみは、異なる運命を辿り異なる人生を生きたとしても、きっと、神として崇められる。それだけの価値がある人だ、きみは」


「……み、ミズキ。あ、あなたは……」


「だって関羽は美人でおっぱいが大きいから、絶対に大人気になる! なんなら俺が関羽フィギュアを大量生産してこの大陸の商人たちに配り歩いて布教してもいい! そうだよ、関羽の生前から俺が知恵を絞って関羽を神格化してしまえばいいんだ! 生前から画像汚染だ、わはは! それで帳尻は合うし、なによりもぼろ儲けできそうだ……でも、おっぱいの部分には柔らかい素材が必要だな。さてと、どうやってシリコンを発明するか……ふぎゃっ! 痛い痛い! 頬をつねらないでくれ!」


「んもう。ちょっと感動していたのに、すぐにそうやって茶化すんですから! でも」


 遙か未来を生きてきた人からそれほどに想われて私は嬉しいです、と関羽は小声でつぶやいていた。

 あ、あれれ。これじゃ、なんだか関羽を口説いているかのような……ミズキは(詩の話にはぜんぜんならなかったけれど、関羽との距離がまた近づいた気がする。そうだ。俺には手練手管なんて必要ない。孔明にも赤心でぶつかるだけだ)とうなずいていた。が、その後、関羽がずっと顔を赤らめっぱなしなので、ミズキのほうも頬が赤くなり、困り果ててしまった。


 ちなみに、(未来人のミズキが私を……女神として崇められる価値がある女の子だと……ど、どうしましょう……もしかして口説かれているのでしょうか、それとも……)とミズキから尊敬の視線を送られ続ける関羽はそのたびに舞い上がってしまって、どんどん調子に乗っていくことになるのだが、まだこの時のミズキは気づいていなかった。



「うーん。恋愛修行ったって、あたしは色気より食い気だからなあ。まあ、美少女であることは認めるけれども。まあいいや! あたしの担当は、会食修行だからなっ!」


 二日目は、「関羽飯店」を借り切って張飛と会食に臨むことに。

 関羽はなにしろ生真面目なので、言葉のひとつひとつがずしりと重い。ミズキの言葉も、凄まじく重い受け止め方をする。どうも「きみは神になる」だなんて重すぎる話を愚直すぎる関羽に振ると、なにやらどんどん二人の関係がただならぬ重さを帯びてくるらしいと、さすがのミズキも書庫での「修行」の終盤にようやく気づきはじめた。


 が、その点、同じ巨乳美少女武官でも、張飛は乗りが軽くて気楽で助かる。

 正史では、張飛の人格が「壊れた」のは、関羽が同盟国の呉に裏切られて殺されたからだ。関羽を失った悲しみのあまり張飛は酒に溺れ、部下をやたらに鞭打つようになり、暗殺されてしまったのだ。

 とりあえず、張飛を破滅させることになる「鞭打ち」の悪癖だけは今のうちに修正しておきたいのだが。

 しかし……チャイナドレス姿の張飛は目のやり場に困る……あれ? そういえば昨日の関羽は軍服だったな、あれはあれでどうなんだろう。


「ちょっと待った、張飛。また鞭なんて持ってきて。若い男女が会食つまりデートを楽しむのに、鞭持参はないだろう?」


「ああ、これ? 別にミズキをぶつために持ってるんじゃないから、安心していいぞ。あたしのおっぱいをわしづかみにしてくるというのなら、話は別だけどな」


「なんのために持ってるんだよ。今日は貸し切りだ、客はいないぞ」


「ミズキ語で言うところの『ペット』をしつけるためさ。なかなか芸を仕込めないんだよなー」


「ぶきー、ぶきー!」


 ああっ。こいつは、いつだったか張飛が豚まんの具にしようとしていた子豚! 飼われていたのか! 生きていてよかった、とミズキは安堵した、が、張飛はペットの躾に厳しいらしい。


「こらっ『豚まんまん』! あたしは今、ミズキとデート中なんだっ! ぶきぶき騒ぐなっ、鞭でぶつぞー!」


「ぶっきー~! ぶきぶき~!」


「その、食べる気まんまんの名前が良くないんじゃないか張飛? そいつ、怯えてるぞ」


「だって豚って食べるものじゃん。ミズキがかわいそうだって言うから、ペットとして飼ってやることにしたんじゃん。ミズキだって未来で豚まんを売っていたんだろ? 彭侯の一匹くらい食材に用いたって」


 張飛は、餓えに苦しむ機会がしばしばあった劉備軍の調理係。常に「食材」を追い求めているらしい。


「なにしろさー。昔、兄貴が徐州を陶謙から譲られた時には、飢饉が起きて民も兵もみんな餓えるありさまでさ。袁術と合戦しているうちに完全に飢餓状態に。もう、人間を食うしかないんじゃないかってくらい悲惨なことに……もちろん徳人の兄貴にそんな真似させられないから、あたしは元・豚肉料理屋さんとして野山に食材を探しまわるようになったんだ。キノコにあたったこともあったなあ。あの頃は呂布と曹操も、イナゴに食い物を全部奪われて戦闘を中止していたっけ」


「う、うん。わかった。でも、豚まんまんを鞭打つのはやめような? 張飛は関羽と違って気に病まない性格だからはっきり言っておくが、きみはいずれその鞭打ち癖が原因で身を滅ぼすことになるんだから」


「そうなのか? まあ、人を鞭で打ったら恨まれるよなあ。でも、豚ならだいじょうぶだろ? もしも豚まんまんが反旗を翻したら、その時は饅頭の具にすればいいんだし」


「ぶぶぶ、ぶっきい~!(涙)」


「待てってば! 打つなら、俺を打て! 俺は劉備さんから張飛の未来を託されているんだ、俺をぶって気が済むなら好きなだけ打て!」


 ええ? そ、そうやって殿方のほうから「鞭で打ってくれ!」と頼まれると、なんだか恥ずかしくなってくるというか、妙な気分になってくるから遠慮する……と張飛は思わず目をそらしていた。


「あ、あたしは気力体力が有り余っているから、合戦をしていないと欲求不満で爆発しそうになっちゃうんだ。しかも、肝心の合戦は負けてばかりで、曹操を見たら逃げるのがお決まりになっちゃって、蛇矛をふるって暴れる機会がなかなかないだろう? その上、兄貴のことを思いだすともう……それでつい、鞭を」


「細身なのに元気だなあ……でも、鞭打ち癖はよくないよ。劉備一家の中で、ほんとうに恋愛が必要なのは張飛かもしれないなあ。恋をすればそちらに気力体力を何割か割かれるから、そんなに悶々とすることも」


「……た、たしかにあたしは兄貴からミズキの許婚に指定されたけれどっ! こ、こ、恋なんてあたしにはまだ早いよ。だいいち、よくわからない」


「指定されたかどうかはさておき、恋に早いも遅いもないよ。たとえば理知的な関羽は時間を重ねてゆっくりと恋心を深めていくタイプだろうけれど、張飛は情熱的な女の子だから、なにかのきっかけがあったら突然熱烈な恋に墜ちるタイプだと思う」


「ふーん。きっかけ、か……ミズキに唐辛子を食わされた瞬間に、全身を雷を駆け巡ったな。はっ? もしかして、あれが、乙女が恋に墜ちる瞬間というものだったのか!? そ、そ、そういえば、あれ以来、唐辛子を口にするだけで頬が赤らんで汗だくだくになって、心の臓の鼓動が激しく……ぜ、ぜ、ぜんぶ、恋の症状じゃないか!」


 そ、そうか。あたしはもう、ミズキに恋してしまっていたんだな……あたしってば馬鹿だから気がつかなかった! そうか。だから、関羽姉貴にはミズキは渡すもんか、ミズキの唐辛子はあたしのものだ! と柄にもなく独占欲が……!

 張飛がなにやら一人で照れたり涙目になったりして慌てているので、ミズキも慌てはじめた。


「いやっそれは違う! 全身からアドレナリンが出ているという点では同じだけれど! それは恋ではなく、カプサイシン中毒の症状だーっ!」


 しかし、乙女らしい表情で目を潤ませて照れている張飛は、やはりかわいい。「万人の敵」つまり一人で一万人の兵士と戦えると曹操陣営の軍師たちに恐れられる豪傑・張飛の武名からは想像もつかない可憐な姿だった。


「そうか。これが恋か……わかった、ミズキ。あたしとほんとうに付き合ってくれ。二人の縁は、唐辛子だけじゃない。なにしろ、あたしの鞭打ち趣味に理解を示してくれる男なんて、そうはいないからな! 普通の殿方は、あたしの鞭を何発か食らったら痛みで死ぬから。お前を旦那にして鞭打ち相手に選べば、あたしの未来も変わるんだろう? そうだよな?」


「そうじゃない! いや、でもまあ、理屈で考えるとそうかもしれないが!」


「そう照れるなってば。あたしも恥ずかしくなるじゃないか~。よーし、試しに鞭で打たせろ! その瞬間に電撃的にあたしの身体が痺れたら、この恋心はほんものだ!」


 びしーっ! と張飛が容赦のない一撃を食らわせてきた。ミズキは慌てて反転してお尻で受けたが、それでも痛かった。


「ふぎゃあああああ! いってええええええ! 俺の全身に電流が走っているうううう!」


「な、なんだって? み、ミズキ、お前……あ、あたしに恋をしたんだな!? そうだよ。鞭打ち好きの乙女と、鞭で打たれて喜ぶ男が出会ったんだ。ミズキ語で言うところのベストカップル誕生だ!」


「いやいや、この電流は恋の電流とは違うっ! 俺にはそんな変態趣味はない!」


 ばしーっ! と二発目が飛んできた。「豚まんまん、助けろ!」と悲鳴をあげながら、ミズキは関羽飯店から逃走した――。



 修行三日目――前日、張飛から三発の鞭を食らったミズキはもう、ズタボロになっていた。あと二発ほど食らっていたら痛みで悶死していただろう。

 最終日は、求愛修行の日である。相手は趙雲。

 が、ミズキは最初から体力が切れていた。

 というより、張飛の鞭打ちのダメージから回復していない。


「ふふ。しょうがないね。張飛は叱っておくよ。殿方を鞭で打ってはならない、って」


 青空の下、庭園に二人きり。ミズキは趙雲に膝枕されていた。


「申し訳ない。関羽も張飛も、まだ見ぬ孔明に嫉妬しまくりみたいなんだ。徐庶の兄貴が孔明を神仙かなにかのように褒めちぎるものだから、ヘンな対抗意識が出てきたらしい。なんだよ、孔明を口説いて嫁にしろって……劉備一家の結束が危うくなってきた」


「ふふ。ミズキくんは劉備玄徳くんの『跡継ぎ』だからねえ。関羽と張飛は、劉備くんとずっと寝食を共にしてきた家族だから。あ、寝ると言っても三人で川の字になって泥酔していただけで、男女の仲じゃなかったけれどもね。劉備くんから直接後を託されたミズキくんはともかく、見ず知らずの謎の諸葛亮孔明が劉備一家入りして軍師として合戦を仕切ることになるのは納得いかないんだろうねえ」


 そりゃ嫉妬もするよな、三人が全員男だった「正史」でも関羽と張飛は劉備さんと孔明が仲が良すぎるので嫉妬しまくっていたとあるし。まして、女の子じゃなあ。あ、でも、焼き餅を焼かれるはずの劉備さんはもういないじゃないか。俺は影武者だよ? 奪い合うことはないと思うんだけれど、とミズキは首を傾げそうになった。が、後頭部に趙雲の胸が当たりそうになったので、思わず(動くな!)と硬直した。


「これから求婚するというのに、そう堅くならなくても。ミズキくん」


「あ、い、いや、求婚の修行ったって、いったいなにをどうすればいいのやら」


「私も求婚された経験はないんだけどねえ。こういう時は女の子の目をじっと見つめて、なにか甘い言葉を囁けばいいんだよ。好きだとか生涯をともに過ごしてほしいとか、いろいろあるけれど、ミズキくんが言いたい言葉を口にすれば」


「女の子の目を見つめて、か……でも、趙雲は……その……」


「ああ。私にはミズキくんが見えないけれど、修行相手としてはちょうどいいでしょ? 人間の瞳は強烈な『気』を発するからね。とりわけ関羽や張飛は目力が凄いから。その点、私ならばだいじょうぶ。いくら見つめても見つめ返される心配はないから、女の子に不慣れなミズキくんでも平気でしょう? 徐庶さんは守銭奴だけど、いい軍師だねえ~」


 新野で「関羽飯店」を経営する日々を過ごすうちに、趙雲との距離も、ずっと近くなった。

 聞いてもいいのかな、とミズキは意を決していた。ある意味、求婚するよりも勇気が必要だった。趙雲を傷つけてはしまわないか、と。でも、これほどに距離が近づいた今ならば。


「……趙雲。その目は、いつから」


 常山で暮らしていた子供の頃にね。黄巾の乱で村が襲われた時に、ちょっとした怪我で。だから劉備くんの顔も見たことはないんだよねえ。でも、わかるよ。劉備くんは、とても優しい顔をしていた。きみもだよ、と趙雲は苦笑していた。ミズキは、そんな趙雲の頬にそっと指を沿えていた。


「趙雲。関羽も張飛も美しいけれど、きみだって、とても綺麗だ。見せてあげることはできないけれど、言葉を伝えることは、俺にだってできる。その顔立ちは慎ましくて派手なところはないけれど、ほんとうに、綺麗だ」


「ありがとう。関羽と張飛には、おっぱいで負けているけれどもね~」


「あ、あの二人は大きすぎるよ。見ているだけならば大きければ大きいほど目を惹くけれど、触れるならば、趙雲の胸くらいがちょうどいい大きさだよ」


「褒められているのかなんなのか。そんな品のない求愛の言葉を孔明に吐いちゃダメなんだよ、ふふ」


「……『心眼』が開いているから、不自由することはない、って趙雲は言っていたけれど。でも……もしも目が再び見えるようになったら、きみは、なにを見たい?」


「……蒼天、かな。一度だけでいいから、見たいよ。青空が」


 でも、きみの顔も見てみたいかもね、と趙雲は微笑んでいた。なぜ俺のほうが泣いているんだ。なぜ趙雲に頭を撫でられているんだ。ミズキは、「蒼天既に死す、なんて嘘だ。蒼天はまだ、生きている。いつか趙雲に、見せてあげたい」と心から願った。

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