三顧の礼-3
趙雲が合流してからも、徐庶は「銭だ銭だ。仕事料を払え! ニセ劉備よぅ、てめえが新野でやっている『ツケ払い』の手は知恵者の俺さまには通じねえぜ!」となおも食い下がる。新野へと帰還する途上も、「銭を払え」と執拗だった。
「小僧。今すぐ払え。俺さまは新野まで着いていくぜ、借金を取り立てるまで絶対に離れねえぞ! てめえには詐欺師の才能がある! 元祖本家劉備も、幽州の草鞋売りのくせに『漢王室の末裔だ』と言い張って帝の覚えめでたく、漢の左将軍にまで成り上がった詐欺師だったがよ。てめえの詐欺師の才覚はもっとなんか禍々しい……っていうか、独創性を感じるぜ! ちゃっかり劉備になりすましたばかりか、うるさ方の関羽・張飛まで従えて、さらには商人どもから銭を借りて借りて決して返さないそのやり口よ!」
徐庶は剣客であると同時に、荊州随一の大学者・水鏡先生のもとで学んでいる書生でもある。すでにミズキの「手」を見抜いていた。
「新野の商人たちは、お前の濡れ手に粟な関羽飯店での商売繁盛ぶりに目を眩まされてお前にガンガンと融資しているが、お前は銭を借りるばかりで一向に返さない! もしも今、お前が曹操なり劉表なりに討たれでもしたら、新野商人どもは『貸し倒れ』だ! つまり、望む望まぬに関わらず、新野商人は全員、もはやお前と運命共同体! ニセ劉備を決して敗れさせてはならない立場ってわけだ! お前、そこまでわかっていてわざと借金を重ねていやがるな? まさに鬼畜! 漢の人間の発想じゃねえぜ、そいつは!」
「……バレちゃったか。名付けて『カエサル作戦』。ローマのカエサルはこの手で借金を積み上げて成り上がったんだ。市井の個人ならばともかく、有名人は借りれば借りるほど貸し主に守られる仕組みってわけだ」
「ローマって、西方の砂漠の道をはるか彼方まで旅した果てにある、あのローマか? なんでお前、ローマの事情に詳しいんだ? てめえ、いったい何者だあーっ!?」
徐庶が馬で駆けながら剣を突きつけてくるので、ミズキは仕方なく自分の正体を教えた。
「しょうがないなあもう。俺の本名はミズキっていうんだ。『劉』と書いてミズキと読むんだ」
「ケッ。なーんだ、てめえも劉氏か。案外つまらん正体だな。劉備の親戚かなんかか? 双子の弟かあ?」
「いや、未来の倭国から流れてきた。劉をリュウと読まずにミズキと読むのは、倭国独特の『訓読み』ってやつだよ。誰にも言わないでくれよ」
「……はあ? 未来? 倭国? オイオイオイオイオイオイオイオイ! この徐庶さまを騙そうったって、そうはいくか! 倭国っつったらあれだろ、東の海の彼方の島に棲み着いててよう、身体に刺青彫って魚ばかり狩ってる連中だろーっ!?」
「『魏志倭人伝』ではそう書かれているけれど、俺は四捨五入すれば千八百年後の未来から来てるんだ、ぜんぜん違う! 神戸の大都会ぶりをみたらチビるぜ? そりゃ、猪がウリボーを連れて人里までお散歩にくるような町だけどさ!」
ウリボーが町を散歩してんのかよ? 糞田舎じゃねえか! と徐庶は呆れた。
「ミズキくん。新野まであと少しだよ。ああ、私、関羽と張飛に叱られちゃうよ。おまけに借金取りまで連れ帰っちゃって」
「ごめん趙雲。俺が無理矢理に酒を飲ませたせいだ、一盃の酒で趙雲が泥酔して眠っちゃって……って、きちんと説明するから」
「関羽は『なんですって? ミズキ、あなたは泥酔させた趙雲にあんなことやこんなことをしたのですね! ね、眠っている趙雲のおっぱいを撫でたりさすったり揉んだりしたのですね、そうに決まっています! なんと卑劣な! 斬ります』と怒りの矛先をミズキくんに向けてくると思う」
「律儀というか生真面目というか、人の話を聞かないからな関羽って。張飛のほうが意外とさばさばしていて、そのあたりやんわり対応してくれる……まあ、怒ると鞭で打ってくるけど」
「新野の城門が見えてきたぜーっ! いいから銭だ銭だーっ! 知恵者の俺さまには『貸し倒れ』の策なんざ通じないぜ小僧ーっ! 耳を揃えて全額支払え! 俺はその脚で銭をあるところへ届けに行くからよう! ああ……こんなまとまった稼ぎを貢げるなんて、いつ以来だろう。きっと喜ばれるだろうなあ……元直、お前も立派な名士になったねえ、って……うへ、うへへへへ……」
的盧が「見なよ相棒。こやつの鼻の下を伸ばした馬面っぷり。やっぱり女に貢いでやがるぜこの男、ブヒヒヒン」と嗤った。
しかしこの時、ミズキはあることに気づいた。
歴史はまだ、正史からも、そして演義からも、大きく逸れていない。
劉備は死んだが、影武者となったミズキは、やっぱり蔡瑁に暗殺されかけて檀渓を的盧で渡った。本来ならば、劉備自身が経験するはずだった事件だ。
そして、劉備が荊州で召し抱えるはずだった軍師・徐庶がふらりと登場し、ミズキと出会った――。
ということは、徐庶の行く手に待っている「未来」も、迫っているということではないのか?
(劉備さんは荊州で多くの軍師を召し抱えて、蜀漢の建国という大業を成し遂げるわけだが、惜しいことに徐庶は母親を曹操に人質に取られてしまって途中で脱落してしまう。徐庶を曹操に奪われたあと、諸葛亮孔明と龐統が劉備陣営の二大軍師となったが、その龐統も益州攻めの途中で戦死し、荊州三人軍師のうち孔明ただ一人しか劉備さんのもとには残らなかった。益州から劉備さんが、荊州から関羽が曹操領へと攻め上るという孔明の天下盗りの大戦略は、劉備軍と関羽軍とでそれぞれ必要だった軍師のうち、劉備さんに侍る孔明しか残っていなかったことが原因のひとつとなって、破綻。気位の高い関羽は呉の孫権を怒らせてしまい、呉に討たれるんだ)
もしも関羽のもとに龐統か、せめて徐庶が軍師としてついていてくれれば、関羽と呉の関係は破綻しなかったはず。
それに……母親を人質に取られて心ならずも曹操の元に降った徐庶は、その後、まったく活躍せずにひっそりと歴史の影へ埋もれてしまった。曹操政権下である程度の出世はしたというが、なんら功績を残していない。孔明も「徐庶ほどの人間が埋もれるとは、曹魏のもとにはどれほどの人材がいるのか」と不思議がっていたという。
「なにをうすらぼんやりしてやがる、小僧? さっさと新野へ入るぜーっ!」
「待ったーっ! 徐庶の兄貴! あんたが銭を貢ごうとしている相手は……あんたの母親だな! そうだろう!」
「ゲッ!? なななな、なにを言っていやがる? おおおお俺は天下の遊び人徐庶さまだぜ? おおおお女よ。女に貢ぐのよ! はははは母親孝行だなんて、そんな儒者臭い真似を無頼の俺さまがするとでも?」
なるほど。ババアでも女は女だな一応、ブルル、と的盧がまた嗤う。
「徐庶の兄貴は、もともとは無頼の放蕩息子。人を斬って故郷を飛びだしたはいいが、その日泊まる宿にも困るありさま。そんなあんたに、故郷のお母さんは無理をして仕送りを送り続けてくれた……今は住所不定無職のやくざでも、元直や、お前はいつか必ず世に隠れなき英雄として認められる良い子だよ、とか手紙つきで! それで徐庶の兄貴は号泣して一念発起、水鏡先生の門を叩いて軍師になるために学問に打ち込むことにした! 故郷は遠くにありて思うものだ。俺も日本からこの世界に飛ばされてきて、つくづく母さんが恋しくなったから、よくわかる! そんなところだろう!」
あーそうだったんだあ、と趙雲が苦笑していた。
「……うぜえええええええ! てめえ、うぜえええええ! 俺さまの恥部を暴くなーっ! しかも、こんな絶世の美女の目の前でーっ! ああそうだよ、俺さまが貢ぐ相手は俺さまのおかんよ! おかんもすっかり歳食っちまって、近頃じゃあ暮らしぶりも楽じゃねえ……大金を仕送りして楽させてやりてえんだよーっ!」
この無頼の徐庶さまが熱烈なおかん孝行信者だということは秘密だぜ、小僧、と徐庶が耳打ちしてきた。
「俺の正体を黙っていてくれればな」
「そいつを強請のタネにするつもりだったのによ。だが小僧、なんで俺さまが病的なまでのおかん孝行信者だとわかった?」
「未来から来た、と言っただろう? 徐庶の兄貴は劉備玄徳に仕官する。だがお母さんは、いずれ曹操に捕らえられるんだ。曹操が揃えている軍師陣はこの国のあらゆる情報を収集している。狂おしいまでの母親孝行息子だと曹操に見破られるんだろう。それで、徐庶の兄貴は一生、心ならずも曹操にお仕えしなければならなくなる。ぱっとしないままで」
「……んだとおおおおお? 曹操が、俺の、おかんをおおおおお!? ざけんじゃねええええ! そんな未来があってたまるかあ! 俺が誰に仕えようと俺さまの自由よ! 曹操のもとで軍師をやるのも悪くはねえ! だが……おかんを人質に取られて仕官させられるだなんて……ありえねえええ! そんなもん、お前、おかんの心中を思うと俺さまは辛くて悲しくて、力も知恵も沸いてこなくなっちまうぜえええええ!」
ああ。それでダメ人間のまま生涯を終えるんだね、と趙雲が同情しながら徐庶の肩を叩いていた。
「……こんな、飲む打つ買うを地で行くような無頼の殿方が、ご母堂のために知謀も武力も失って生涯を投げ出して歴史に埋もれてしまうなんて……でも、それはそれで、男、だね」
「うわーっ、美人のお嬢ちゃんに同情されたああああ! ああそうだよ、俺さまは文武両道の上に筋金入りの守銭奴という完璧な乱世型人間だが、おかんへの篤すぎる忠孝心が唯一の弱点なのよ! このままじゃ俺さまの立場がねえええ!」
徐庶の兄貴は現代語でいう「マザコン」なんだな……と思いながら、ミズキは、「糞ガキが! 嘘だったらタダじゃおかねえ、殺すぞ!」と吼えながら惑い続けている徐庶に向けて宣言していた。
「徐庶の兄貴はまだ劉備玄徳に仕官していない! つまり、曹操にその名を知られていない。曹操の謀略が発動する条件は揃っていない! 今すぐに迎えに行けばまだ間に合う! 行こう!」
「行こうって、オイオイオイオイミズキ。てめーが俺さまのおかんを人質に取ろうとしているだけじゃねーかよーっ! 俺さまは風来坊、天衣無縫の徐庶さまだぜーっ!? かったるくて仕官なんざできるかよ! しかも、ニセ劉備に仕えるたあ、どんな酔狂だ!?」
「違う! 影武者の俺に仕官なんてしなくてもいい! ただ……義侠・徐庶元直の人生をあんなかたちで終わらせてしまうのはあまりにも惜しい! 三国志ファンとして! だから、運命を変えよう!」
小僧。てめえ……その言葉。その表情。まるで劉備玄徳だぜ、と徐庶は馬上で姿勢を正していた。
「しかし、徐庶の兄貴。願わくば……どうか関羽に、仕えてほしい」
「関羽に? やだぜ。ありゃ美人だし乳もでかくて最高の女だが、性格が堅すぎる。飲む打つ買う、と遊んでいたら斬られそうだ」
「徐庶の兄貴の運命は、関羽の運命と、連環しているんだ……人間の運命は、それぞれ見えない糸で繋がっている。徐庶の兄貴がここでつまづけば、巡り巡って最後に関羽がつまづくんだ。関羽がつまづけば、張飛も……それが、俺が知っている三国志正史だ。俺は関羽と張飛を劉備さんから託された。関羽と張飛の運命を変えてくれ、と……徐庶の兄貴が、必要なんだ」
「連環、か……どこかで、いつか、聞いたような……懐かしいような、言葉だ」
徐庶は、蒼天をじっと見上げながら「わかった」と答えていた。
「言われてみれば、おかんの家は、曹操の領土にほど近い。宛の近郊の農村で暮らしているんだ。オイオイオイオイオオイ! なんだか悪い予感がするぜ! ミズキ、べっぴんのお嬢ちゃん、急ぐぜええ!」
承知。襄陽での失点を取り返すよ、と趙雲が微笑んだ。
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