後桃園結義-12

 しかし、すぐに号泣する関羽のおっぱいの誘惑も、張飛の鞭打ちも、趙雲の地獄の槍修行も、実はその日の夜に待ち受けていた「深夜の影武者仕事」に比べれば、まったくなんということもなかったのだ。

 ミズキにとって最大の苦難は、「深夜の影武者仕事」だったのだ。


「……しょ、初日からハードすぎる……もう動けない……あいてててて」


 だいじょうぶですか? あわわ……女の子たちって怖いですよねぇ、と同情してくれた孫乾に担いでもらってやっと寝室に入り、全身ズタボロ状態で寝ていたところを、こんどは簡雍に叩き起こされた。酒が入ったひょうたんでぽかぽかと頭を叩かれて、思わず飛び起きてしまった。


「なにやってんだよミズキ。ほら、さっさと行きな」


 この簡雍という娘は、劉備と同じ村の出身で、幼なじみ同士だったという。関羽や張飛よりも劉備とは長いつきあいなのだ。孫乾が劉表のもとに使者として向かった時に同行していたが、特に働いたというわけではない。いつもひょうたんを片手に、酔っ払っている。どうやら簡雍は「劉備のマブダチ」というただそれだけの肩書き(?)で劉備一家に居座っているらしい。


「行くって、どこに? まだ修行が残っていたのか? もう日付が変わるんだぞ?」


「はあ? 今日の影武者修行は終わりだ。ここからは仕事だ。玄徳の野郎は汝南で死んじまったが、麋夫人と甘夫人は生き延びている。お前は影武者として、奥方のもとに夜な夜な通うんだよ」


「えええええっ!?」


「玄徳は天下の女好きだ。それが女のもとに通わなくなりゃ、なにかおかしいと新野の民たちに気取られるだろうが。ほら、行け。歩けねぇなら、あたしが肩を貸してやるよ」


「いやいやいやいや! 尊敬する劉備さんの奥方と一緒に夜を過ごすなんて、そんな真似は俺にはとてもできない! だいいち! 俺! カノジョいた経験ないしいいいい!」


「……あ、アホか! 『芝居』するだけだ! 奥方と夜を過ごしている、という『演技』をやれ、っつってんだよ! あの二人は玄徳の嫁だ! 手ぇ出したら、関羽が青龍偃月刀を振りかざして襲ってくるぜ! 喪に服している玄徳の嫁に指一本でも触れたら、おめえの首が飛ぶぞ!」


 あ、そういうことか、とミズキは安心した、のだが……。



 いざ麋夫人と甘夫人の寝所に足を運んで寝台に寝てみると、緊張と興奮のあまり一睡も出来ないことに気がついた。

 なにしろ二人ともとびきりの美人だし、関羽や張飛たち姫武官にはない人妻の色気というものに溢れている。


「ミズキちゃん。寝所が狭くて、ごめんなさい。新野城では、私と甘ちゃんと二人で一部屋になっちゃったの。夜逃げするたびに貧乏になって、家が狭くなっていくのよ。徐州の大豪邸が懐かしいわ。新野って商いが栄えてないでしょう? 実は、来月の支払いにも困る有様なの」


「……なにしろ阿斗で一部屋埋まってしまいましたからね。夫が死んだら浮屠に入信して出家しようと思っていたのですが、奇縁もあるものですね。ミズキさまは、玄徳さまにそっくりです。こうして間近に眺めてみても、見分けがつきませんね」


「ねえねえ甘ちゃん。脱がせてみたら、見分けがつくかも」


「びびびび麋夫人さん、やめてください! 俺は、あくまでも『影武者』として怪しまれないように奥方の寝所に泊まっているだけだから!」


 冗談よ冗談。やっぱり影武者なんだわ。玄徳ちゃんは麋夫人さんだなんて言わないわよ、と麋夫人が苦笑していた。


「そ、そうなのか」


「そうよ。玄徳ちゃんは私のことを、普通に『麋竺』と呼んでいたわね」


「……麋竺……? いや、それって徐州で劉備玄徳に仕えた文官の名前だったはず……劉備さんが徐州で妻にした女性は、麋竺の妹だったのでは?」


「妹って、麋芳ちゃんのこと? あの子はまだ独身よ。そう。私の本名は麋竺。もとは、徐州の大商人だったの。あの小悪魔の曹操が殲滅戦争を仕掛けてきて荒れ果てた徐州に、義軍を率いて颯爽とやってきた玄徳ちゃんに、私は一目惚れしたの! 一世一代の恋よ! だから、玄徳ちゃんに麋家の全資産を突っ込ませてほしい、援助させてほしい、と申し出たの! その代わり、私を妻にして! 側室でもなんでも構わない! と無理矢理押しかけ女房になろうとしたわけ」


「す、凄い話だね……」


「あの人、それじゃまるで俺は悪いヒモだ、女衒じゃないか、とたじろいでいたけれど、私、自分で自分の身体を縛って玄徳ちゃんの寝室に待ち伏せしてね。結婚してくれないのなら『誘拐されて縛られて無茶苦茶された! 玄徳ちゃんは女の子を縛っていたぶる性癖を持つ変態だった!』って徐州中に言いふらしてやる~って騒いで、押し切っちゃった」


「なんてことだ。麋竺が麋夫人だったなんて? 俺が知っている正史と微妙に違う! しかもほとんどヤンデレ! で、でも、『気』で非力さを補って男よりも強くなっている姫武官がたくさんいる世界だし、女の子が大商人やっててもそんな妙な話でもないのか……」


 自分で自分を縛って劉備さんを脅迫して居座るとか、将軍よりも度胸があるなあ、とミズキは麋竺に感心した。


「ところがね。玄徳ちゃんったらからっきし戦に弱くて、全財産失ってすっててんになっちゃった。もう徐州にも戻れないし、われながら悪い男に惚れちゃったみたい。くすくす。まぁ、影武者のミズキちゃんがいてくれるから、少しは気がなごむかな。ありがとうね!」


「ああ、いや、こちらこそ」


 甘夫人が、「私のほうはごく普通のなれそめで……お金持ちでしたら、火の車と化している劉備一家に財政援助もできるんですけれど……すみません」と苦笑している。

 麋夫人、いや、麋竺は、「銭のことはまた明日考えましょう。それにしても似ているわね!」とミズキをなめ回すように眺めながら、


「玄徳ちゃんは『俺にはそんな妙な癖はない』といちども縛ってくれなかったけれど、ミズキちゃん。縛ってみてくれない? 私と甘ちゃんは生涯玄徳ちゃんに操を立てて男とは床をともにしないと誓ったけれど、縄で縛るだけならば別だから! 操を破ることにはならないから! 私、玄徳ちゃんに縛られているかのように錯覚して、この悲しみを癒やしたいの!」


「いやちょっと待って。もしかして、縄って……」


「そう。玄徳ちゃん以外には秘密にしていたんだけれど、私、旦那さまに緊縛されるのが夢で……もうその夢は永遠にかなわなくなったけれど……お願い!」


「いやいやいや! そんなの、普通に夫婦として同衾するよりヤバいじゃないかああああ! だいいち劉備さんを裏切るような真似はできないよっ!」


「ううん。玄徳ちゃんは、いちどくらい私を縛ってあげればよかった、ってきっと心残りなはずよ! だから一度だけでいいから、緊縛を! 玄徳ちゃんになりきって、是非とも!」


「生まれてはじめて女の子とベッドを共にしたその夜に緊縛を覚えたりしたら、緊縛癖が身についてもう一生治らなくなる! 甘夫人、麋竺を止めてくれ! 助けて!」


「あらあら。趙雲さんの武術修行についていけるほど強いお方でしたら、よわよわの麋竺さんに勝てない道理はありませんわ。腕力で撃退してしまえますでしょう?」


「いやもう俺は全身ボロボロで動くのも辛いし、それよりもなによりも、寝台の上できれいな未亡人二人に挟まれて興奮しちゃって、理性が吹っ飛びそうなんだ!」


「つまり、麋竺さんに抵抗できないばかりか、このままだと麋竺さんと私を襲ってしまいそうだと。うふ。ほんとうに、女の子とつきあった経験がないんですのね。玄徳さまに瓜二つなのに、おかしいこと。かわいいお方」


「かわいいわよね~」


 ミズキは麋竺と甘婦人に左右の腕を取られて、悶絶した。くそ~、からかわれている! あああ、もうダメだ! きつい! これはきつい! こんな生殺しの誘惑に耐えるくらいならば、張飛の鞭打ちのほうが、よっぽどマシ……! それに、「わかりました。縄だけなら」などとうなずいたら、即座に関羽の青竜刀が飛んでくる気がする!


「鎮まれ! 俺の心の中の獣よ、鎮まれえええええ!」


 ミズキは自分の舌も噛み切りかねないくらいに歯ぎしりして、寝台の上で踏みとどまり続けた。



「……あの二人にさんざん嬲られても耐え切って、紳士的に振る舞っていますね。なんだか騙しているみたいでミズキに申し訳ない気はしますが、兄上との信義を貫いてくれました。最終試練は合格ですね」


「ああ。いつの間にか奥方と自然に恋に墜ちたというなら話はまた別だが、影武者初日の『仕事』途中にちょっと誘惑されたくらいであっさり理性決壊してちゃ、兄貴の影武者にとってもっとも必要な『徳』を問われる。よし、これでミズキは正式に劉備兄貴の影武者となった!」


「麋竺は悪乗りしすぎですが……半分本気で言っているんじゃないでしょうね? き、き、緊縛趣味があったなんて……ああ……人妻の世界は恐ろしいです……はあ、はあ」


「関羽も張飛も嬉しそうだね、ふふ。ミズキくんはまだまだ子供。人妻の色気よりも、武具を持って戦う姫武官の揺れるおっぱいに弱いと見たから、『徳』という点では合格かどうか微妙かなあ~。今はおとなしいけれど、資質は劉備くんよりもスケベかもよ?」


「い、いいのです趙雲! わ、私は兄上の『妹』であって奥方ではないのですから、ミズキが私の揺れる胸をどう思おうと、わ、私が恥ずかしいというだけのことで、べ、別に、道義上の問題は……もごもご」


「あ、あたしは、べ、別に嬉しくはないよ! って関羽姉貴? まさかミズキを……だ、ダメだからなっ!」


「き、気のせいです張飛! どうしたのですか、いったい」


「あ、あいつの料理の腕前は、たいしたものだ。ありゃ根っからの料理人だ。だから、あいつはどちらかというとあたしの婿向きだ! はあ……あの唐辛子、最初口に入れた時には死ぬかと思ったけど、癖になりそう……」


「まったく。唐辛子に惚れ込んだみたいですね、張飛は。ですが、ミズキは的盧をあのように見事に乗りこなす人です。汝南ではまともに馬に乗れなかったはずなのに……ただ者ではない予感がします……兄上の志を、私たちには想像もできない形で受け継いでくれる人なのではないか、と」


 麋竺と甘夫人の寝所の真裏では、夜風に耐えながら関羽・張飛・趙雲の三人が二人の夫人の貞操を守るために得物を手にして警護を続けていた。

 三人とも(ミズキはスケベだが義理堅い。夫を失ったばかりの二人の夫人に、なにもするまい)と信じてはいたのだが、家臣としての義務である。二人の夫人がやりすぎない程度にミズキをからかって誘惑して、一晩耐えたら、「徳」があるとして合格と認める。この「深夜の影武者仕事」こそが、ミズキの「影武者」としての適性を問う最初で最後の試練だったのだ。


 これは劉備が言い残したことではない。いつだって適当なはずの簡雍が「あいつにひとつくらい試練を与えないと、お前らもミズキもなんとなく踏ん切りがつかないだろ? なにごとにも通過儀礼ってのは必要なんだ」と言いだしたのだ。

 この夜、もしもミズキがやらかしていたら、義理堅い関羽が渋々「任務執行」し、ミズキは新野城から叩き出されていたかもしれない。

 そして、ミズキは見事にこの試練を突破したのだった――。


 もっとも、言い出しっぺの簡雍が「手を出したら関羽に斬られる」とあらかじめ教えてくれていたからぎりぎりで耐え切れたのであって、つまり簡雍も最初からミズキを見事に「合格」させて関羽たちの踏ん切りをつけさせることが目的だったわけだが、麋竺の攻撃はその簡雍の予想以上に厳しかった。通過儀礼どころか、命がけのガチ試練と化したわけである。


 そして、ミズキは大きな代償を支払わされた。興奮と緊張のあまりミズキはついに一睡もできず朝を迎えてしまい、そのまま関羽に連れ去られて「二日目の修行」に突入させられたのだ。

 まるっきり寝てないのだから、それはもう、初日よりも地獄だった。

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