後桃園結義-11

 張飛の講義か……関羽はおっかないところもあるけれど、真面目だから訓練をこなせば褒めてくれる。でも、張飛は思いっきり厳しそうだ。血反吐を吐く武術地獄か。それとも鞭で打たれるのか。


「って、どうして厨房? もしかして俺を解体して鍋で煮込んで食うつもりなのかっ、張飛ッ!?」


「なにを失礼なことを言っているんだよ、お前は。ミズキの武芸師範は趙雲だ。あたしが兵卒に武術を仕込んだら、死んでしまうからな。特に男は痛みに弱いから、二、三発鞭で叩いただけであっさりくたばっちゃうんだ。ったく、根性が足りないよ。だから将軍職を女の子に取られるんだよ」


 やっぱり鞭で打たれる危機だったんだ、危ない! とミズキは怖気を震った。だが、長いポニーテールを揺らしながら厨房にすらりと立つ張飛は、「豪傑」というイメージからは程遠い。むしろ、家庭的な雰囲気を醸し出しているかわいい女の子だった。武具を持つと人が変わるタイプなのかもしれない。


「あたしは、厨房担当。劉備一家のお食事係なのさ。もともとあたしは、豚肉を裁いていた料理人なんだ♪」


「関羽は塩を売っていたんだっけ?」


「そうそう。兄貴は草鞋を売っていた。もっとも裏社会では、『侠』として盗賊や不正役人を懲らしめる稼業を勤めていたんだけれどな」


 こうしてお料理している時と戦場で蛇矛を振っている時だけは、兄貴の死を忘れられる。さあ調教するぞ! と張飛が腕をまくった。


「って、ちょっと待ってくれ。劉備の影武者が、どうして料理を教わらなきゃならないんだ?」


「馬鹿。料理を甘く見るなよ。野営! 飢饉! 籠城! 逃走! 山賊暮らし! 自慢じゃないが、劉備一家は基本的に曹操や呂布にやられて逃げるのがお家芸なんだ。もはや伝統芸の域に達している。君主といえども、野戦料理や飢饉時の非常料理を自分で作れる腕がなくちゃ、餓死しちゃうんだぞ?」


「サバイバル術の一環だったのか。OK、わかった。自衛隊でも、野戦料理は重要だもんな」


「妙な倭国言葉を多用するなよ。意味がわからないじゃないか。しかし、お前が未来だか倭国だかから持ってきたあの『豚まん』は……その……び、美味だったな! もう一度食べてみたい! そうだ! 豚まんの調理法を、あたしに教えてくれ!」


「俺が講師を務めてどうするんだよ? そりゃ、俺の実家は豚まん屋だったから、作るのはお茶の子だけど。でも、あれは日持ちしないから、野戦料理には向いてないよ。この時代には冷蔵庫もないし」


「いいから教えろっ! お前はタダでものを教わるつもりなのか? これは、いわば授業料だ! 話はそこからだっ! さて、こいつを豚まんの具にしよう」


 ぶきいいいい! と悲鳴を上げる子豚をひっつかみながら、張飛が「ぶんぶん」と包丁を振り回しはじめた。


「うう。かわいいなあ。ほんとうはずっと飼っていたかったんだけど……かわいい子豚ちゃん、これもミズキの修行のためだ。あたしたちのお腹に収まってくれ。あとで供養とかするから」


「ぶき~、ぶき~! うるうる、うるうる」


 うっ。子豚と目が合ってしまった。涙目で俺に命乞いをしているかのような……なんてつぶらな瞳なんだ。豚まん屋の息子が今さら豚に憐憫の情を抱くのも妙だが、なにしろ仕入れ先から挽肉が来るシステムだった。店で直接豚を裁いたことはなかったんだよなあ。


「待てよ張飛! 俺のせいでこのいたいけな子豚が裁かれるのは目覚めが悪い! 別の料理を教えるから、その子豚は見逃してあげてくれ!」


「別の料理? お前、豚まんしか持ってなかったじゃないか。あとは銀色に輝くヘンな鉄の箱くらい。あれ、玉璽の親戚かなにかか? あんなもの食べられないだろう?」


「iPhoneは食べ物じゃないよ。だがまだ俺には、『唐辛子』がある。横浜の中華街でおみやげに買った食材だ。こいつは乾燥させて長期保存できるから、野戦料理に役立つはずだ」


「ふうん。唐辛子? 唐ってなんだよ?」


「それは今は置いておいて。唐辛子は、どんな料理も『四川料理』に変えてしまうという最強の香辛料なんだ。この世に二つの凶悪な香辛料あり。ひとつはカレー。なにに入れてもカレー味になってしまう。そして、もうひとつは唐辛子。なにに入れても四川料理になってしまう。唐辛子は身体を問答無用で温めるから、寒い野戦陣地では絶対に役に立つと思う。俺の唐辛子にはまだ種があるから、栽培もできるし。覚えておいて損はない」


 ええ? 四川料理にそんな調味料はないよ? と張飛が首を捻ったが、

「まあいずれそうなるから。それに、この唐辛子は中国産だから、俺が漢の時代に持ち込んでも少々唐辛子のデビュー時期が早まるだけで、歴史の大筋的には問題ない」


 俺も豚まん屋の息子だなあ。やっぱり料理の話になると熱くなるぜ! エプロン越しにぱんぱんに膨らんでいる張飛のわがままおっぱいも気になるが、食欲は性欲と拮抗する力を持つ! さすがは人間の三大本能のひとつ!


 ミズキは自信まんまんで、張飛がさっと作った野菜炒め料理に「唐辛子」の輪切りを大量投入し、「さあ食べてみてくれ! 世界初の真・四川料理をいちはやく!」と張飛にレンゲを差し出して、一口食べさせた。張飛は「かいだことのない不思議な香り……」と頬を染めながら、


「あーん。あむっ」

 と、ミズキが差し出したレンゲを加えていた。


 かくして、生まれてはじめて「唐辛子」を口にした張飛は、

「お、お……」

 と一瞬で涙目になり、(なんちゅうもんを食わせてくれたんや、と張飛に感激されて好感度と評価があがった! これで、短気な張飛に鞭打たれて息絶えるフラグは回避した)と安堵していたミズキを思いっきり蹴り飛ばすと、


「かっ……辛いいいいいいいいいっ!? 口が、口が燃えるううううう! ミズキお前、あたしを暗殺するつもりだったのかあああ! 許せないっ!」


 烈火の如く激怒して、びゅん、と鞭を振るってきたのだった。


「ふぎゃあああっ!? 結局鞭打たれるのかあああ! 痛い痛い痛い! 皮膚の痛覚ってのは鍛えられないんだ! 死ぬからやめろ!」


「うるさいっ! お前がこんな激辛料理を食べさせるからだろっ! う、う、お腹が、お腹が熱い……! なんだよ、これええええっ! 熱いのを通り越してむしろ、下腹部が痛い!」


「ぐふふ。はじめて食べた子はみんなそう言って泣くんだよ。でも、いずれその痛みが快感に変わるんだ。病みつきになるから。ほら、もう一口だけ、くわえてみて」


「はああっ? び、微妙にいやらしい言い回しをするなあっ!」


 あ、いや俺、別にそんなつもりは……張飛って意外とムッツリ系だったのか……いや、唐辛子で悶絶している張飛の泣き顔に俺のほうが興奮しているのかもしれない……と鞭打たれる痛みにやられて薄れていく意識の中でミズキは呟いていた。



「張飛に鞭打たれてたいへんだったようだね、ミズキくん。こういう事態を恐れて、私が武術師範役を買って出たのに、人間の運命ってなかなか変えられないんだねえ」


「……だびぢょうぶでづ、趙雲師匠」


 すでに道場で武術修行がはじまった時にはもう、ミズキはぼろぞうきんのようによれよれになっていた。


「さてと。ミズキくんは、武術の基礎はもう習得済みだね。しかも『気』を練って用いる術まで覚えている。師範の私としては、『気』のさらなる練り方と、実戦向きの具体的な技術を教えるだけでいい。いやあ、きみってつくづく、乱世向きだねえ」


「『気』を練る……それじゃ、三国志時代の武術も、合気道と同じ原理? 打撃技の空手では直線的な『力』を重視するけれど、柔術や合気道では自分と相手の『気』の流れを感じ取って技に利用する」


「そうそう。柔よく剛を制す、だよ。前漢が簒奪された混乱期に後漢を復興した光武帝も、そう言っていたよね? まあ光武帝の言葉は、意味がちょっと違うけれどね。そういえば光武帝の名は、劉秀。きみの名は、劉秀一。もしかして劉秀の子孫だったりしてね」


「いや、俺は日本人だよ。秀一ってのは、母さんがガンダムファンだったからで。まあ、偶然だよ。でも、合気道はこの時代には存在しないからイケる、と楽観していたんだけど、そうでもないんだな……たしかに、関羽の武術は、まるで舞を舞っているかのような優雅なものだった。実戦的な刀術というよりは、太極拳の円舞のような……あれで、とてつもなく実戦に強いということは……関羽の青龍偃月刀の裁きには単純な『力』だけでなく、『気』の原理も取り入れられているということか。張飛の蛇矛や、趙雲の涯角槍も、そうなのか」


「ふふ。ご名答。今時の武官に女の子が多いのは、女の子のほうが『気』を感じ取る力が強いからだよ。近頃は太平道や五斗米道といった道教が盛んになり、民衆が武装して蜂起しているよね? 女子供も武具を取っている。道教の教えとともに『気』を用いる武術が漢全土に普及したから、あれほどの規模の武装蜂起が可能になったんだよ。そしてその潮流は、いまや士大夫にまで及んでいるんだよ。もちろん、『力』が足りなければ『気』をいくら練れても実戦では役に立たないから、体力増強のための鍛錬も必要だけれど」


「なるほど。関羽も張飛も趙雲も、ちっちゃいとは言えないけれど、男に比べれば身体はそれほど大きくないもんな。もっとも、関羽と張飛は、おっぱいは大きいな……特に張飛は、このおっぱいソムリエの俺をもってしても、いったい何カップあるのか推測すらできない……あ、いや、なんでもない」


 趙雲が「ええ? 私は大きいうちに入らないんだね。割と大きいほうだと思っていたのに、未来から来た殿方のおっぱい査定は厳しいね」としょんぼり肩を落とした。


「ごめん! 趙雲も大きいほうだと思うよっ!」


「……大きい『ほう』……まあいいや。殿方は、感じるよりも頭で考えちゃうからね。ただ、劉備くんも『気』を練る力は強かったんだよ。喧嘩が好きな割には、逃げ技ばかり覚えてたけどね。もうちょっと攻め技も覚えないとねー」


「俺は攻め技もいけるよ。ただ、刃物で人を斬るのはちょっとダメだなあ……」


「ミズキくんの優しさは、劉備くん譲りだねえ。峰打ちという手もあるよ。ただ、圧倒的に強くならないとね。関羽も張飛も私も、よほどの強敵が相手でない限りは、敵兵を斬り殺しはしないよ。さすがに呂布や夏侯惇が出てくれば、そんな手加減はできないけれど」


 とりあえずやってみよう、と趙雲が微笑みながら涯角槍を手に取り、そしてミズキのみぞおちめがけて突いてきた。避けた、はずだった。しかし、趙雲の槍はまるで伸縮自在。物理的に延びたかのように、かわしたはずのミズキのみぞおちに槍の先端が「どん」と当てられていた。ミズキの身体は、道場の壁へと吹っ飛ばされていた。あくまでも練習だから、刃は外してある。だが、もしも戦場だったら胸を貫かれていた。


「いてて……! げほ、げほげほげほっ! お、おかしいな。ぎりぎりで見切れたつもりだったのに? ど、どうやったんだ!?」


「『考えるな、感じるんだ』というやつだよミズキくん。きみは、目で私の動きを追おうとしたね? それが間違いなんだよ。私の槍裁きは、目が見える者の動きとは違うんだよ」


「『考えるな、感じるんだ』、か。それは、ブルース・リー師匠の言葉と同じだ……! ジークンドーの源流は、すでに三国志時代に存在していたということか!」


「ふふ。ブルース・リーって人は知らないけれど。私は、目は見えなくとも心眼が開いている。目が開いている者は、己の視界に縛られる。己の目を用いて、私の目や身体の動きから私の『気』を読もうとしても、読めない。対する私は、風の流れから、熱の伝わり方から、音から、そして匂いから、相手の『気』の動きを読める。この世界のすべては、『気』で繋がっているんだよ。私の身体の中にもきみの身体の中にも、そしてこの天と地の間にも、『気』は充満している。世界を世界として繋ぎ止めている、命の根源だよ」


 趙雲が、手をさしのべてくれた。ミズキは立ち上がろうとした、が、全身が軋んだ。


「あいたたた。身体中の関節が一撃でバラバラになったような……さ、さすがは趙雲子龍。じ、実戦ではほんとうに対処しづらい相手だな。もしも真剣勝負をやれば、関羽や張飛よりもきみのほうが強いかもしれない……」


「ふふ。あの二人には慣れられてるから、そうはいかないよ。もっとも『初見殺し』としては、私のほうがちょっぴり上かもね?」


 心眼、か。その目はいつ、どうして見えなくなったんだ? と尋ねたかった。だが、我慢した。まだ趙雲とは出会ったばかりだ。それに趙雲は、態度には出さないが劉備の死を深く悲しんでいる。さらに悲しい記憶を掘り返したくは、なかった。


 今は、乱世なんだな……趙雲のような優しい女の子が、盲目というハンディを「武器」として活かして戦わねばならないほどの。

 趙雲が槍を取らなくていい世界を築きたい、この乱世を終わらせたい、とミズキはちょっと心の中で泣いた。そして。


「ミズキくん。きみは、最初の十年分の修行をすでに終えている。それに、驚くほど頑丈だね~。張飛に鞭打たれて、私の槍をまともに食らっているのに、まだまだ『気』も体力も尽きていない。さすがは男の子、だね」


「打たれ強いんだよ。道場では父さんにボコボコにされたからなあ。道場での修行以外で叩かれたことはないけど」


「体内で『気』を練れる才能を持つ男の子は、この世界では貴重なんだ。鍛えがいが、ありそうだね。ふ、ふ、ふ……」


 ミズキは、「この弟子は少々痛めつけても死にはしない」とひとたび見定めた趙雲が実は張飛以上の鬼教官だということを、すぐさま思い知ったのだった。胴。小手。肩。背中。ついには股間まで。いくら避けようとしても、趙雲の槍は容赦なく急所を突いてくる。「もう無理です! 降参です! 師匠!」と悲鳴をあげても、「きみには、まだ命があるよね~? 通常の十倍の密度で鍛えないと間に合わないからね~」とにっこり微笑まれてしまって、無駄だった。


 乱世なんだな……とミズキは再び失神しながら、呟いていた。

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