後桃園結義-10


「今は河北で袁紹と戦っている曹操は、いずれ天下を統一するべく荊州に南下してきます! われらが主・劉備玄徳を対曹操戦の『壁』にお使いください! 曹操軍が袁紹を追って北上すれば、兵を率いて一挙に許をつくこともできます! もうわれらには劉表さんしか頼れる人がいないんです、お願いします~!」


 襄陽に飛び込んだ孫乾の懇願は、容れられた。

 漢王室に連なる劉一族の一人、劉表が治める荊州は広大だった。影武者劉備玄徳となったミズキは、荊州の北端に位置する田舎町・新野への駐屯を許可された。荊州の州都・襄陽とは大違いの、寂れた田舎町である。


 襄陽では「劉備は民からの人気だけは絶大ですが、曹操にはからきし勝てない連戦連敗将軍」「歴代、劉備が仕えた連中……公孫瓚、陶謙、呂布はみな敗れ去り、劉備が最後に当てにした袁紹も官渡で曹操に大敗。あれは貧乏神みたいな男です。荊州に迎え入れてはなりません」「徐州の陶謙のように、口車に乗せられて国を譲らされるかもしれません」と反対する者も多かったが、孫乾の泣き落とし外交と「武神・関羽が劉備のもとに戻って来た」という噂が効いた。


 人のいい劉表は「劉備は同じ劉一族だし、山賊暮らしを続けさせるには忍びない。新野に駐屯してもらって、曹操を防ぎとめてもらおう」と決めたのだった。



 曹操は民政の達人だが、もしも自分に抵抗する者がいればたとえ相手が民であろうが容赦ない。曹操の南下を恐れていた新野の民は「劉備さまだ!」「関羽さまと張飛さまもおられるぞ!」「あのお三方ならば、きっと曹操から町を守ってくださる!」と歓呼の声で劉備軍を迎え入れたのだった。誰も、「ニセモノじゃない?」と気がつかない。それほどミズキが劉備に生き写しだったわけだ。


 劉備が死んだことはまだ、諸国には知られていない。汝南から新野へ逃げ込んだ劉備軍の将兵の中でも、知っている者はごくわずか。義妹の関羽と張飛。新たに親衛隊に加わった趙雲。文官の孫乾と簡雍。そして、劉備の奥方だった麋夫人と甘夫人。これだけである。もしも劉備がニセモノだと発覚すれば、劉表陣営の中には「ニセモノを討て」と叫ぶ者も出てくるだろう。ミズキの立場は、まだまだ危うい。


 だから新野に到着するなり、初日からミズキを「影武者劉備玄徳」として鍛え上げる特訓がはじまった。ミズキの正体を知っている面々がそれぞれ役割を分担して、短期間でミズキに必須スキルを教えると決まったのだ。


 だが、最優先科目の「馬術」講師を担当した関羽が、使い物にならなかった。

 颯爽と赤兎に跨がり、野原にミズキを連れ出して馬術の訓練をはじめてはみたものの。


「……ううっ……なにをおいても、まずは乗馬です……漢の左将軍たるもの、並みの武人以上に馬を乗りこなせねばなりません……とりわけ劉備軍名物となっている戦場からの遁走には、馬術は必須です。ううっ……兄上……ああっやっぱり兄上の喪に服させてください! 三年といわず五年でも十年でも。いいえ、一生涯でも! 桃園結義を守れなかった私は妹として失格です。いっそ出家して浮屠になりたい! 髪も切ってしまいたい! 兄上えええええ!」


 劉備と瓜二つのミズキと二人きりで馬を並べて進んでいると、どうしても劉備のことを思いだしてしまうらしく、大粒の涙を流し泣き叫びはじめるのだ。


「か、関羽。その黒髪を切るだなんて、もったいない。気持ちはわかるけれど、俺に馬術を仕込んでくれないと」


「……ぐすっ、ぐすっ……そうでした。私は兄上からあなたを守れ、と託されたのでした。臓腑が破れそうなほど辛いですが、耐えます! でも、やっぱり涙が止まりません! ちーん!」


「わかったから、俺の服の袖をティッシュ代わりにしないでくれ!」


「くすんくすん。ですがミズキ。あなたはどうも筋が悪いですね。馬と相性が悪いというか……」


 そう。

 父親からさまざまな武術を仕込まれてきたミズキだが、馬術というやつはどうも苦手だった。どんな馬に乗っても、すぐに振り落とされてしまう。

 関羽は「むむむ。この馬なら気性が優しいから……」「この子でしたらミズキのようなへっぽこでも不満なく乗せてくれるでしょう」とあれこれ馬を選んではミズキを乗せてみたが、どういうわけかどの馬もミズキを拒むのだった。


「なぜです! 兄上はどのような馬をも瞬時に懐かせる徳人でしたのに、なぜあなたはあらゆる馬を興奮させるんですかっ!」


 たぶん、美人でおっぱいの大きい関羽と二人きりで馬に乗っているというこのデートのような感覚が女の子に不慣れな俺を興奮させ、その興奮が馬に伝わるんだろう、とミズキは分析した。

 関羽が赤兎を駆れば、そのたびにふくよかな胸が揺れる。ダメだ! 見るな! 相手は「関公」だぞ。意識するな! と耐えても無駄だった。劉備さんが死んでまもないというのに、劉備さんの死を悲しみながらも同時に関羽にドキドキしてしまう。俺って意外と大人物だったのか。それとも徹底したスケベ野郎だったのだろうか。「上杉謙信(姫武将)」さんこと相良良晴くんのおっぱい好きには退いたけれど、俺も彼と同じだったんだなあ。いや、下手したら彼より俺のほうがスケベかもしれない。


 劉備さんがどこかで「英雄色を好むというだろう? お前まで関羽と一緒に泣いていたら底なし沼だ、だからそれでいい。やっぱりお前は俺の影武者に相応しい」と苦笑しているような気がした。


 だが、そんなことを生真面目な関羽に告げたら首が飛びかねないので、

「さあ。どうしてだろうなあ、あ、あはは……」

 とお茶を濁すしかない。


「仕方がありませんね。まったく、あなたの調教は手がかかります。これじゃあ泣いている暇はないですね。はあ」


「訓練と言ってくれよ、せめて……あっ、また揺れた……」


「って、どこを見ているのですかっ? な、な、なんという不謹慎な……! わかりました。あ、あ、あ、あなたは、私のおっぱいにまだ邪念を抱いているんですね! それでも影武者劉備玄徳ですか、恥を知りなさい!」


「ば、バレてしまった!? わざとじゃないんだ! 男の子なんだから仕方ないよ~!」


「いーえ! いくら女人に不慣れな清純な殿方とはいえ、限度があります! もう、優しく調教するのはやめました! 新野に入城する際に張飛が拾ってきた、最凶最悪の暴れ馬がおります。趙雲が、的盧と名付けました。飼い主に祟る不吉な馬相の持ち主なのだそうです。この暴れ馬に乗せて、落馬に慣れてもらいます!」


「あ。いや。関羽。いえ、関羽さん。ごめんなさい。汝南への逃避行で、馬の揺れには慣れた。おっぱいの揺れにも必ず慣れるから、それまで我慢してくれ。頼む!」


「お断りです! 落ち方が悪ければ死にますが、わたしのおっぱいを堪能しながら逝くのであれば、生涯に悔いなしですよね!」


「関羽さま? 調教じゃなくて、懲罰ですよね、これって!? ダメだ。関羽の顔が真っ赤になっている……!」


 大激怒した関羽が引っ張り出してきた、野生の暴れ馬・的盧。

 これが、とんでもない馬だった。

 世にも希な、エロ馬だったのだ。


「ブヒヒヒン! ブルルルルッ!」


 なにしろ、「やめなさい!」と嫌がる関羽の揺れる胸元に執拗に鼻先を近づけて

「フン、フン」と荒ぶっている。しかも、その目は一ヶ月禁欲生活を強いられた男子高校生の如く血走っていた。なんだか俺が馬になったみたい奴だな……妙に人間臭い、とミズキは呆れたが、不思議なことにミズキが的盧の背中に乗るや否や、


「……ブルルッ」


 あれほど関羽に興奮していた的盧が、たちまち鎮まってしまった。


「えっ? どういうことだ、関羽?」


「わ、私にもわかりません。これでは懲罰にはなりません……が……的盧はもしかするとミズキと相性がいい馬なのかもしれません。手綱を引いて、命令してみてください」


「あ、ああ。的盧、走れ。関羽が跨がっている赤兎の後ろを、走るんだ」


「ヒヒン!」


 的盧は、ミズキの言葉通りに動いた。自由自在だった。まるでミズキと的盧が人馬一体となったかのような走りぶり、懐きぶりだった。「人中の呂布、馬中の赤兎」と称された天下の名馬・赤兎に引き離されることなく、素晴らしい速度で大地を駆けてくれる。赤兎で走る関羽の真後ろについて、ぴったり離れない。


「信じられない、関羽! 手綱や脚で合図しなくても、言葉を囁くだけで言うことを聞いてくれる! こいつ、どうも俺の言葉が理解できるみたいだ! しかも、赤兎に勝るとも劣らない走りぶりだぞ!」


「ブヒヒヒン!」


「……ミズキ。兄上の慧眼は正しかったのかもしれません。あなたには、乗馬の才があったのです。名馬は人を選ぶと申します。並の馬では、あなたについていけなかったのかもしれません。これまでの非礼を詫びます。ごめんなさい!」


「あ。いや。いいんだ。俺のほうこそ、劉備さんが亡くなって間もないというのに、スケベでごめんね……」


「って、こんどは後ろから私のお尻を見ているのですか? んもう。まあいいでしょう。あなたのそのスケベっぷりに怒っているうちに、涙が止まっちゃいました……ヘンな人です、あなたは。兄上もたいがいな女好きでしたが、そういう目では私たちを見ませんでしたのに」


「そこが不思議といえば不思議だな。劉備さんは、自分はスケベな遊び人だと号していた。なぜ関羽や張飛ほどの美人を、奥方ではなく、義妹に?」


「われら三人が出会った時にはまだ、私も張飛も乙女ではなく、恋心に目覚めていなかったからですよ」


「じゃあ、幼女を義妹にしたのか。それはそれで、ある意味、達人だな」


「よ、幼女という程幼くはありませんでしたけれどね。兄上との出会いが数年遅ければ、もしかしたら異なる関係になっていたのかもしれませんが……でも、私は兄上の妹になれてよかったです。奥方になると、浮気に嫉妬したり離婚されるんじゃないかと不安になったりしますが、妹でしたら、なにがあろうとも死ぬまで兄上の妹でいられますから。兄上が生きておられる間は、そう、思っていましたが……う……」


 ああっ。関羽がまた劉備さんを思いだして泣きそうになっている! しばらく劉備さんの話を関羽に切り出さないほうがいいらしい。でも俺も、関羽ほどの天下の英雄にこれほど想われてみたい、とミズキは思った。


「そ、そろそろ厨房へ行ってくださいミズキ。張飛の講義がはじまりますよ?」


「ああ、わかった」

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