後桃園結義-8
「俺には星を読む能力なんぞないが、俺が『正攻法』で選択肢を選んでいたら、二人の妹たち――関羽と張飛の未来に破滅が訪れると知ったからな。二人の破滅を、予言されていたのさ」
「え? 予言?」
「曹操が荒らし回って荒廃していた徐州に義軍を率いて乗り込んだ時のことだった。死屍累々の戦場にひとりきりで佇んでいた銀色の髪を持つ奇妙な少女に、そう教えられたんだ。漢王室を復興して乱世を終わらせるという俺の志は果たせない。どんなに悪あがきしても、蒼天はすでに死す。漢王朝の命運は尽きている。関羽も張飛も、夢破れて死ぬ。三人とも非業の死を遂げる、ってな。俺ぁ切った張ったの世界を生き抜いてきた侠客、予言なんざ信じない。だが、そんな俺にもわかった。この銀髪の少女はほんものだ、この子は星を読み人間の運命を見ることができる特別な存在、いわば神仙に近い賢者なんだって、わかってしまったんだ。だから、あまのじゃくになってみた。いかにも選びたくなりそうな選択肢をことごとく蹴り飛ばして『逆張り』することで、運命に逆らってきたのさ」
「……星を読む少女……? その子は今、どこに?」
「さあ。幻のように消えちまった。徐州中を探したが、見つからなかったな」
誰だったんだろう? 劉備さんが信じたということは、「ほんもの」だったに違いない。その少女が劉備さんのもとに留まってくれていれば、あるいは。
「俺は泰山に昇って『誓い』を立て、天に祈ったよ。俺の寿命を半分のさらに半分に削ってもいい。四十年の余命を四年に、いや一年に削ってもいいと、だから、妹たちの運命を変えてくれ、ってな」
「泰山って、皇帝が封禅を行う神の山じゃないか。皇帝になる儀式だって行えたはずなのに、妹たちの運命を変えるために自分の命を――」
「あいつらはひたすらに俺のために戦ってくれている。兄貴である俺が漢王室の復興に賭けているからって、あの二人までが漢に殉じる必要はないんだ。ミズキ。お前が『未来』から来たというのならば、関羽と張飛がどうなるのか、知っているんだろう? やはり、あの銀髪の少女の言葉通りの最期を迎えちまうのか、妹たちは」
この人は。
自分の死が目の前に迫っているというのに、目に涙を溜めながらひたすらに妹たちの未来だけを案じている。
とても、ほんとうのことは言えなかった。
「……関羽は……『神』になったよ……」
「そっか。あれはえらく民に人気があるんだが、死後に祀られたか。やっぱり、あいつは……非業の死を、遂げるんだな。漢王室に、殉じて」
「俺がこの世界に来たきっかけは、関羽を祀る関帝廟が地震で倒壊したことだった。関帝廟は日本にもいくつかあるんだ。今思うと、まるで、関羽に呼ばれたかのような」
そいつは俺が呼んだんだ、妹たちの運命を変えたいという俺の執念が天を動かしたんだ、関帝廟はお互いの世界を繋げる「門」の役割を果たしてくれたのさ、と劉備は胸を張った。
そうかもしれない、とミズキは思った。
「逆張りを続けてきた結果、俺は曹仁軍との戦いの折に流れ矢を受けていよいよ死ぬことになった。人間は誰だっていずれは死ぬわけだが、汝南で山賊に落ちぶれ果てているこの最悪の状況でくたばるってのはさすがにまずい。今俺が死ねば、形勢逆転はもう不可能。大将を失った劉備一家は解散するか、ほんものの山賊になっちまうしかない。関羽と張飛も、絶望して俺の後を追いかねない。だが、お前が来た。『未来』を知っている者が。しかも、俺に生き写しときた。ミズキ、武術の心得は? 人を斬ったことのなさそうな顔だ」
「関羽や張飛のような破格の達人にはとても敵わないけれど、父親がブルース・リー信者だったから、多少は。この世界にはまだ存在しない未来の流派を囓っているから、自分の身くらいは守れると思う。馬術は身につけていないけれど」
「ならば、よし! 条件がほぼすべて揃っている。お前こそ、妹たちの運命を変えてくれる『選ばれし者』だ。ミズキ」
お前が妹たちに力を貸してくれれば運命は覆せる、もちろん承諾してくれるよな、と劉備は晴れがましく笑っていた。
「俺はまもなく死ぬ。ミズキ。俺と入れ替われ。俺の死を秘して、『劉備玄徳』になりすませ。それで、劉備一家解体は免れる。漢王朝を復興するという俺の志を継げとは言わない。今は曹操が俺を目の敵にしているが、ほとぼりがさめるまで持ちこたえたら、商人になってもいいし、料理人になってもいい。もちろん、俺同様に漢王室の復興を目指して武人として戦いたいのなら、それもいい。ただ、関羽と張飛に――妹たちに、本来歩むはずだった破滅の結末とは違う人生を、未来を、歩ませてやってくれ」
「お、俺に、『影武者劉備玄徳』になれと!?」
「影武者、か。いい言葉だな。それだ。そいつだよ。頼まれてくれるな?」
「ま、待ってくれ。劉備さんに熱烈な妹愛を抱いている関羽と張飛はともかく、冷静な趙雲にはすぐにバレた! なりきれるはずがない!」
「趙雲は『心眼』が開いているから、特別さ。一生影武者をやれとは言わない。三年でいいんだ。曹操だって、袁紹を討伐して中原の覇者となれば、新たな国家作りに忙殺されて劉備のことなんざしばらく忘れるだろう。それまで妹たちとともに生き延びてくれればいい。俺はあの二人に、殉死してほしくないんだ。影武者を擁立して劉備一家を存続させろと俺が遺言を遺せば、二人はお前を守るために生きるしかなくなる。それに、俺が死ねば、あの二人が貫いている生涯不犯の誓いは無効になる。いずれお前の嫁にでもなれば、二人の運命はまるで変わるはずだ……な、頼まれてくれよ」
この人の涙混じりの笑顔には……逆らえないなあ、とミズキは頭をかいた。参ったな。三国志ファンに、劉備の遺言を蹴り飛ばせる人間などいない。いるわけがない。
これは「本来の未来」の話だが、死にゆく劉備に遺児を託された軍師・諸葛亮孔明は、劉備から、
「俺の子がものにならなければ、孔明。遠慮するこたぁねえ。お前が蜀の皇帝になれ。それが万民の幸せのためだ」
と告げられたのだという。
こんな人から、そんなことを言われたら、孔明でなくたって、
「臣は死ぬまで犬馬の労を尽くします」
と号泣し、過労死するまで劉備の遺児のために戦うしかないではないか。
関羽と張飛の運命を変えるために、この人は、自分の命を削り尽くしたのだ。
あるいは、己の寿命と引き替えに、「関帝廟」という「門」を開いて、自分に瓜二つな未来人を召喚したのかもしれない。だが――。
「俺は倭人だ。漢人じゃない。ここはおそらく俺が生きていた世界と同一の世界線ではなくて、並行世界――つまり異世界だと思うけれど、劉備玄徳になりすましたら、俺はこの大陸の王朝を簒奪しかねない。少なくともあなたの家系を乗っとることになってしまう。そんな不義な真似はできないよ」
「お前も『侠』の持ち主だな、ミズキ。気に入った! だがな。倭だの漢だの、細かいことを言うな。ひとたび漢に生きると決めたならば、匈奴だろうが烏桓だろうが鮮卑だろうが山越だろうが、みな漢人よ。それだけの文明を、漢は築き上げてきた。お前はずっとこの『三国士』の世界に思いをはせ、親しんで憧れてきたんだろう。なら、すでにお前の心は倭人であると同時にすでに漢人でもあると言えるじゃないか」
「俺を同朋として迎え入れてくれるのは嬉しいけれど、劉備さんは『大徳』の人だからそう思えるんだよ。俺は異民族を飛び越えて異世界人だ」
「わかったわかった。じゃあこうしよう。俺には跡継ぎの阿斗がいる。運命に逆らうつもりで子作りを急いだ甲斐があった。俺の家系なんぞ漢の王族とはいえ末の末でたいしたものじゃない。むしろ王族ですらないかもしれないが、お前がどうしても気が引ける、男として納得できないってんなら、劉家の家督を阿斗に継がせればいい。だろう?」
「俺がいずれ阿斗を殺して劉家を乗っとる、と疑わないのか?」
「ミズキ。お前はそんな人間じゃない。これだけ語り合えば、わかるさ」
だからこの世界で遠慮せず嫁を取れ、関羽と張飛を嫁にしてもいいぞ、ただし両方と恋仲になると揉めるから気をつけろ、二人とも独占欲が強い、と劉備はうなずき、そして鈴を鳴らして関羽と張飛を寝室に招き入れていた。
すでに二人とも目を真っ赤に腫らしている。劉備とミズキの会話を立ち聞きしていたらしい。
「影武者劉備玄徳など、ご免被ります! 桃園結義はなんだったのですか、兄上! われら三人は生まれた日は違えども、願わくば同じ日に死なん、と誓ったではないですか! 私は兄上にお供します。どうか殉死させてください!」
「あたしも関羽の姉貴と同じ気持ちだ。でも、兄貴が遺言を託すっていうのなら、なんでも聞くよ。奥方たちとお世継ぎの阿斗を守り通せっていうのなら、死ぬまで汝南の要塞に立てこもって山賊をやってやる。曹操軍に突撃されても、最後の最後まで戦うよ。斬り死にするまで! た・だ・し、影武者劉備玄徳は要らないっ! そりゃこいつは兄貴に瓜二つだけど、兄貴の代わりなんてあたしたちには必要ないからなっ!」
ダメだ。関羽はこの場での殉死を望み、張飛は討ち死にを望んでいる。二人とも劉備さんとともに死ぬ気まんまんだ。これじゃ、劉備さんが寿命を削った意味がない。関羽と張飛の寿命まで削ってしまっただけになってしまう。ミズキは(後のことは、後で考える! 今は、関羽と張飛を説得して「影武者劉備玄徳」になりおおせるしかしかない!)と覚悟を完了させていた。
「さすがにつきあいが長いだけあって、俺の予想通りだな、お前たちの反応は。ミズキ。俺はもう、俺自身の思いをお前たちに伝えた。お前の人生だ、お前自身が選べ。選択しろ。影武者劉備玄徳になるか、ならないか、を」
この瞬間。
「ああ。『逆張り』するよ。英雄・劉備には永遠に追いつけないだろうが、それでも――影武者劉備玄徳に、俺は、なる。なってみせる」
ミズキは「影武者劉備玄徳」として生きる道を、自ら選択していた。
劉備が大きくうなずき、「お前ならば、お前自身の力でひとかどの英雄になれる。妹たちを頼む」とミズキの手を取っていた。
「じょっ、冗談はやめてください! 聞けば倭国の豚まん屋さんのご子息だとか! だいいち、兄上とともに同じ日に死せんと誓った桃園結義を破ることになってしまいます!」
「そうだよ、兄貴! 桃園結義の誓いは絶対だったはずだ! それが『侠』だろう?」
「だったら、今ここでミズキを長兄として『義兄妹の契り』を結べ。この殺風景な要塞には桃園はないが、一応、枕元に桃の花を飾っている。『後桃園結義』だ」
「なぜ私たちが、この得体の知れないニセモノの妹にならねばならないのですか! どれほど努力したって、兄上以外の殿方を兄だとは思えません! しかも、私のおっぱいを撫でたり揉んだりした男ですよっ! 無理です兄上!」
「そういえば関羽と一騎打ちしている時に、あたしのおっぱいも揉もうとしていたな。顔は兄貴そっくりだが、どうも兄貴とは大違いのスケベ男だ。肉まんの具にしちゃおうか、姉貴?」
「まあ待て妹たち。この世に、スケベじゃない男などいない! 俺は昔からモテモテのどうしようもない遊び人だったから、女に慣れていたんだ。だからお前たちと義兄妹の契りを結んだ以上、お前たちを『女』として見ることは決してなかった。『血が繋がった妹』同様に思い、そしてそのように接してきた。が、ミズキは清らかに生きていたらしい。つまり、まだ女を知らないんだ。童貞ってやつだ! それくらいは許してやってくれ。それにな、ミズキを兄と思えなければ素直に『殿方』だと思えばいい。どのみち、生涯不犯の誓いのほうはもう無効だ。もしも兄妹の関係を越えて恋仲になった時は、そのままミズキの嫁になってもいいぞ」
「ちょ。私たちをこの男に売り飛ばすのですか、兄上えええええ!」
「ここここの男の嫁にっ? ああああ兄貴、そりゃないだろっ! あたしたちを置いて死なないでくれよおおおお! うわあああああん!」
「……いいからお前たちは生きろ。長々と語りすぎたらしい。俺は少し疲れた。眠る……」
「待ってください、目を閉じないでください! 兄上……!」
「ふーっ。長い戦いの人生であったわ。そろそろ死ぬぞ」
「兄貴らしくない台詞の連発!? やばいぞ姉貴! 兄貴の意識が混濁している!」
今、一天万乗の天子となるはずだった劉備玄徳が、息を引き取ろうとしていた。
関羽と張飛は、「兄上の意識があるうちに」とミズキの手を取って盃を握らせ、「後桃園結義」の誓いの言葉を叫んでいた。二人は(もうこの人を「殿方」だと意識してしまった。たぶん、ほんとうの兄妹にはなれない)と戸惑いながらも、劉備の遺言を受け入れていた。
急がなければ。「生きる」という意志を示さなければ。「運命を覆す」と伝えなければ。妹たちのために運命に抗って命を削った兄を、安心させなければ――!
「兄上、お聞きください! 我ら三人、天に誓います! 生まれし世界、生まれし国は違えども、義兄妹の契りを結びしからには――」
「同年、同月、同日に生まれることを得ずとも、同年、同月、同日に死せん事を願わん! こんどこそ!」
ミズキが「劉備さん。あなたの志は、俺が――!」と盃を空けた時には、すでに劉備の魂は、天に還っていた。安らかな寝顔だった。「後桃園結義」は、間に合ったのだ。
劉備の臨終とほぼ同時に、趙雲が飛び込んできた。趙雲は寝室に入ると同時に劉備の死を感じ取り、「……劉備くん……」と痛ましげな表情を浮かべて固まってしまった。
趙雲も、劉備を実の兄のように慕っていたんだな……関羽と張飛をこれ以上悲しませまいと耐えていたミズキが、思わず泣きそうになった。だが、泣いている場合ではなかった。なぜならば。
趙雲が感情を押し殺し、武人としての「任務」を遂行したからだった。
「汝南へと曹操軍が攻め入ってきた。兵数も増強されているよ。この要塞ではとても保たない。もしも曹操に投降するのならば、今しかないよ。劉備くんが息を引き取ったと曹操に告げれば、皆殺しは免れるだろうし、関羽と張飛は将軍として取り立てられるはず。でも、もしも劉備くんの意志を継いで曹操と戦い漢王朝を復興する夢を捨てないというのならば、急いで落ち延びないと」
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