後桃園結義-7
※
「倭国から来たと言ったな、旅の少年。だが刺青がない。邪馬台国の人には見えないな。不思議だ」
「今の邪馬台国の人間じゃないんだ。劉備さん、あなたならば俺の突拍子もない言葉を聞いてくれるはずだ。俺は『未来』の日本から来た。千八百年ほど先の未来から。おなじみのiPhone、豚まんと唐辛子が、その証拠だ。どれも、この時代の中国、つまり漢にはまだ存在しないはず。豚まんの原形みたいな料理はあるだろうけれど、食材も味付けも違うと思う」
劉備の寝室で二人きりとなったミズキは、装備品一式を劉備に見せたが、劉備は「信じるさ」と一言言って笑っただけで、ミズキの言葉を疑いもしない。
「その豚まんという料理は、張飛が好きそうだ。あいつは肉屋だったからな。関羽は塩商人だった。役人が塩を独占して不正を働いていたのをみかねて、あいつは塩の密貿易に手を出したんだ。それで故郷を追われて、張飛と、そして俺と出会った――俺はまあ、任侠の徒でね。地元では侠客を束ねる親分みたいな存在だった。ところが黄巾族が蜂起し、村の治安が乱れて自治兵が必要になった。村を守るために一旗揚げようってことで、桃園の下で義兄妹の誓いをやったわけさ」
「任侠の徒――やくざ?」
「その言葉は初耳だが、義と侠を貫く無頼の徒さ。まあ、本業は草鞋売りだ。黄巾族の乱の鎮圧は曹操の働きがでかかった。あいつが、青州百万の黄巾族を降伏させて自分の軍に編入した時点で、勝負ありだ。で、俺はいろいろあって今は浪々の身。そして、致命傷を負っちまった。飲むか?」
汝南に来るまでの経緯はだいたい知っているよ、とミズキは劉備から盃を受けながらうなずいていた。が、酒は飲んだことがない。ちらりと舐めてみたら意外と度数が低い。でも、やっぱり苦い。
「黄巾族の乱は下火になったけれど、漢王朝は乱れに乱れた。董卓という凄いラスボスが出てきて、呂布というチートな最強武将を手に入れ帝を奪って都・洛陽を支配し、天下を簒奪しようとした。で、名門の袁紹を総大将に、曹操や孫権、そして劉備さんたちは反董卓連合軍を結成。連合軍は仲間割れして自然消滅となったが、董卓は呂布に裏切られて暗殺されてしまった――そして、帝は許の曹操のもとに」
「なるほど。詳しいな。たしかに邪馬台国のお人じゃあ、ないな」
「董卓が死んだ時点で、漢王朝は事実上崩壊して、群雄たちが中原に覇を競い合う乱世となった。曹操は父親を徐州の太守に殺されて激怒し、青州黄巾族あがりの青州兵を率いて徐州へと侵攻。あなたは徐州の民を守ろうとして義軍を率いて徐州入りし、曹操と戦った」
「はは。つい最近の話なのに、ずいぶん昔のような気がするぜ。その結果、俺は徐州の新たな太守に担ぎ上げられちまった。とても曹操には敵わなかったんだが、董卓を斬ったあと放浪していた呂布が曹操の本国を襲うという空き巣狙いをやらかしてくれたおかげで、徐州は偶然助かったのさ――」
「武の呂布と知の曹操。二人の戦いは果てしなく続いたが、最終的に呂布は飢饉と曹操の知略に敗れて、そして徐州のあなたのもとに亡命してきた。斬っておけばいいのに、あなたは、裏切り上等の呂布を受け入れた」
「それが『侠』の精神ってやつさ」
「予想通り徐州を呂布に横取りされ、仕方なく曹操のもとに亡命。そこで帝に『漢王室の一族』として認められ、いたく気に入られて、曹操に警戒されることに」
俺は知謀も武力もからっきしなのに、どこへ行っても、器がでかい、大人物だ、とちやほやされて担ぎ上げられてしまうんだ。それが俺の業でね、と劉備は苦笑していた。
「俺は、逃げ足だけは速い。朝廷の連中は曹操を暗殺しようと企んでいた。堂々と戦って曹操を倒すってんなら話に乗ったが、暗殺なんて侠客のやることじゃねえ。だが、あいつら、断ったのに勝手に俺を暗殺計画の一員にしちまった。俺はこれ以上曹操のもとに留まっているのはまずいと思って、曹操が呂布を倒してがら空きになっていた徐州に戻って曹操と戦うことにした。曹操は、この俺が徐州にすたこら逃げたのを見て、暗殺計画の存在に気づき、からくも生き延びたわけだ」
「劉備さん。あなたは人が良すぎる。呂布を徐州に迎えたり、曹操の暗殺を断ったり……その時、暗殺しておけば……って、あんなちっちゃい子を暗殺は、できないよな」
なんだ曹操に会ったのか? 小さくてかわいいだろう。あれでいざ「天下」を盗ろうとなると無茶苦茶するんだぜ、と劉備は苦笑している。
「いや。参った参った。董卓なきあと、中原の覇者候補は河北の袁紹と帝を擁する曹操の二者に絞られていて、その袁紹と曹操がまさに決戦をはじめようとしていた。俺は、あの二人が戦っている間にしばし徐州で時間を稼げる、軍備と人材を強化しようと思ったんだが」
「曹操は『名門』の血筋で力を持った袁紹よりも、あなたの『侠』と『徳』を恐れていた。曹操にすら推し量れない、あなたの器の大きさを。だから対袁紹戦線を放りだして、徐州に自ら攻め入ってきたんだな」
「まったく、買いかぶりにもほどがある。袁紹は愚図だったな。大魚を逸した」
「それで大敗して、関羽と奥方たちは曹操の捕虜に。あなたは袁紹陣営に逃げ込んだ、と。でも、なぜ最前線を離脱して、汝南の別働隊に?」
「関羽があっちにいることを知ってしまったからな。関羽を苦しめたくなかった。あいつはとびきりの義将だ。曹操に『劉備と戦いなさいよ』と命令されたら死ぬほど逡巡して、ほんとうに死にかねない」
「結局、関羽は曹操のもとでの栄達の道を捨てて、汝南に来たね」
「まったく律儀な妹だ。あいつと張飛は、万夫不当・一騎当千の姫武官。俺にはもったいない」
村を守るために義勇兵を結成し、帝を奪った董卓と戦い、徐州の民を救うために義軍を率いて曹操に戦いを挑み、敗残の呂布を受け入れ、貴族たちが企んでいた曹操暗殺計画を蹴って筋を通すために堂々の兵を挙げて曹操に宣戦布告する。
劉備は、まさに「侠」の男だった。徹底した合理主義者で兵法・謀略の天才である曹操が恐れるのも、その理屈を超越した「侠」の精神と、侠が生みだす無尽蔵の「徳」なのだ。
だが、あまりにも愚直すぎる。
「劉備さん。俺は『三国志演義』の大ファンなんだ」
「そりゃ、なんだい?」
「あなたが主人公を務める歴史小説だよ」
「ふうん。『三国士』か。三人の国を憂う『国士』、つまり俺と関羽と張飛が大暴れする義侠物語ってわけか? ならば、この汝南の要塞は物語に欠かせない格好の秘密基地だな」
そうではないのだが、話せば長くなってしまう。そして、劉備の容体は悪い。ミズキは訂正しなかった。時間を惜しんだ。劉備は、残されたわずかな時間を割いてまで自分になにかを伝えようとしているのだ。
「未来の倭国――日本でも、『三国志』は戦国時代と並ぶ大人気ぶりだったんだ。だから、いつも歯がゆい思いをしてきた。劉備玄徳は、何度も選択肢を誤ってきた。徐州に逃げ込んできた呂布を助けたり、天下を盗る絶好の機会なのに曹操を暗殺しなかったり。どうしていつもわざわざ苦難の道を選ぶんだろう、って」
「呂布や曹操が女だから助けたわけじゃないさ。人間に男と女の別はない。だが、困っている奴ぁ助ける。暗殺なんて汚い真似はしない。喧嘩は正々堂々とやる。それが『侠』だからな。それに」
「それに?」
「俺には星を読む能力なんぞないが、俺が『正攻法』で選択肢を選んでいたら、二人の妹たち――関羽と張飛の未来に破滅が訪れると知ったからな。二人の破滅を、予言されていたのさ」
「え? 予言?」
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