後桃園結義-3
※
ミズキが目覚めると、そこは関帝廟ではなかった。
暗い山中の崖道に、ミズキの身体は転がっていた。
目の前に、怒濤の勢いで突っ走ってくる一人の騎馬兵、そしてその騎馬兵が守護している馬車。
騎馬兵は、見事なまでに長い黒髪をたなびかせた少女だった。
目が大きく、その視線は燃えるように熱い。
歳は俺とあまり変わらないだけれど、大人びていて、そして今まで会ったこともない美人だ……! とミズキは逃げることも忘れて呆然と少女に見とれていた。
だが妙なことに、馬上の少女のほうも、路上に突然現れたミズキの顔を凝視して、そして硬直している。みるみる白い肌が真っ赤に染まっていくのがわかった。少女の肌は、興奮すると赤くなるらしい。
「兄上!? なぜこのような敵地に? まさか、この私を迎えに来てくださったのですか!?」
「あ、兄上? 俺が?」
「この関羽雲長、生きていてこれほど幸せだと感じた瞬間はありません! 五関に六将を破って曹操のもとから逃げてきた苦労が報われました! 私は、兄上に一生着いていきます!」
ぶわっ、と少女は大きな目から涙を流して感極まったかのように青龍偃月刀を掲げていた――。
「関羽雲長? それじゃあ、関羽? きみが、関羽!?」
「なにを言っているのですか。私が関羽以外の誰だというのですか、兄上。お戯れを。徐州で曹操に敗れて以来、心ならずも曹操に仕えておりましたが、袁紹との戦いで顔良を斬って曹操への義理は果たしました! 兄上が健在と知って曹操にいとまを乞い、奥方さまたちをお連れして参りました!」
妙だな。関羽が持っている青龍偃月刀は、「三国志演義」の独自設定で、正史では存在しなかった架空の武器のはずだ。それに、言葉が通じている。俺が三国時代の中国語を喋っているのか、関羽が日本語を喋っているのか、なぜか自分では判別できない。また、関羽が関羽雲長と名乗るのも妙だ。「正史」では、名と字を連ねて名乗ることはないはずだ。関雲長、と名乗るはずなのだ。
どうも俺は――「三国志の世界」ともいうべき「異世界」に来てしまったらしい、とミズキは直感していた。
なにしろ、関羽が、女の子だ。
しかも、グーグルを画像汚染しているいくつかの「女の子関羽」とも、違う。
「絵」じゃない。リアルな人間だ。
俺の世界と直接繋がっている「過去」では関羽は赤ら顔で髭が見事な男武者なのだから、ここは「異世界」に違いない。
「曹操が私を引き留めるために送ってきた贈り物は全部返しておきましたが、赤兎だけは返さなくてほんとうによかったです! こんなに早く兄上と再会できるだなんて! 曹操が迫ってきます、急ぎますよ! 私の馬に乗ってください!」
「あ。いや。俺は劉備じゃなくて、劉秀一。人違い。他人のそら似なんだ。そもそも俺はこの世界の人間じゃないと思う……」
「うう……お労しや……もう偽名を用いて世を忍ばなくてもいいのです、兄上! この関羽が戻って来たからには、再び旗揚げして一国一城の主に返り咲いていただきますから! お任せください! こんどこそ曹操に勝ちます!」
だから違うから、誤解だから、とミズキは関羽を説得しようとしたが、関羽はいちどこうと決めると人の意見に耳を貸さない性格らしい。無理矢理にミズキの身体を引っ張り上げて、自分の馬に乗せてしまった。そのまま再び猛スピードで走り出す。落馬したら、崖下へと転落してしまう。ミズキは関羽の腰に手を回してしがみつくしかなかった。
「兄上の奥方たち……麋夫人と甘夫人は馬車の中です。甘夫人はご懐妊されておられまして、阿斗さまが生まれました。それはもう、兄上に似たかわいい女の子で」
「関羽。頼むから聞いてくれ。だいたい状況はわかった。劉備は曹操に敗れて徐州を失い、袁紹陣営に転がり込んで、今は汝南へと転戦。きみは劉備の奥方を守るために心ならずも曹操に降伏したが、袁紹との戦いの最中に劉備が生きていると知り、五関に六将を斬って汝南の劉備のもとへ向かっている、そういうわけだな」
「滅茶苦茶詳しいじゃないですか! やはりあなたは兄上ご本人!」
「でも、残念ながら俺は劉備じゃないんだ! このまま勘違いしっぱなしだと、たぶんまずいことになる!」
「ひっ、酷いです! 私が兄上の顔を見間違えるとでも?」
「世界に三人は瓜ふたつな人間がいるというだろう? 他人のそら似だよ!」
「兄上はこの関羽を不要と仰るのですか!? この千里の逃避行で私がどれほど苦労したと……これまでに破った関所は五つ、斬った武将は六人! その間、奥方さまたちをお守りするために、夜もずっと寝ずに立ったまま警護をしてきたというのに……桃園結義はなんだったのですか? ぜ、ぜ、絶望しました! いっそ、兄上を斬って私も……!」
「待て! 待ってくれ! 落ち着いてくれ! 俺は乗馬に不慣れなんだ! 暴れるな、馬から振り落とされてしまう! ストップ! ストーップ!」
「きゃああっ? 妙な造語を叫びながら、おっぱいを触らないでくださいっ! いいいいくら義理の兄妹だとはいえ、ああああ兄がいいいい妹のおっぱいを揉んでいいという道理はありませんよっ? 桃園結義の折りに男女の仲にはなるまい、真の兄妹となろう、と一線を引いたはずですのに、やはり私をもう妹とは思っていないのですね。絶望しました!」
「う、うわあ。お、大きい……! 片手じゃ掴みきれない! 余裕でGカップはある……じゃなかった! ごめん、わざとじゃないんだ!」
「ちょ。なに興奮してるんですかーっ! 兄上はなにを考えておられるのですか! 二人の奥方も馬車の中からこちらを観ているというのに! 汝南で山賊暮らしをしているうちに、そこまで色ボケされたのですか! 衰微した漢王朝の復興に生涯を捧げた英雄・劉備玄徳ともあろう者が、台無しです!」
関羽といえば中国はもちろん世界中の中華街で神として祀られている「関公」。「三界伏魔大帝神威遠震天尊關聖帝君」であり、「忠義神武霊佑仁勇関聖大帝」である。神だから、小説「三国志演義」でも呼び捨てにされることはない。それを、女の子だからって「おっぱいが大きい」と興奮していては神罰が下される……!
「鎮まれ。鎮まれ、俺の邪念よ! 今は鎮まれ! この修羅場を脱出するまで鎮まれ! ああっ、生命の危機が迫るとどうして余計なところまで元気になってしまうのか! 生命保存の本能のせいなのか!? それとも、上杉謙信(姫武将)さんと姫武将トークで盛り上がりすぎたせいなのか? 関羽がこれほどの巨乳お持ち主ということは、や、やはり姫武将のおっぱいと武力には相関関係が」
「いいから、おっぱいから手を離してください! ……あっ」
ミズキは、馬上から振り落とされていた。
関羽が「きゃあああっ? 兄上えええええ!? おのれ、いったい誰が兄上を突き落としたのだ許さぬ!」と泣いているが、不可抗力とはいえ痴漢行為を働いてしまったのだから、「お前が落としたんだろう!」とも言えない。そもそもいずれ神となる「関公」に「お前」呼ばわりは失敬すぎる。
だが、ここでようやくミズキに幸運が転がり込んできた。
ミズキはかろうじて崖下への転落を免れていた。左側へ落ちていたら崖下だったが、右へ落ちたことが幸いした。そこは草むらだったのだ。
「た、助かった……どうも関羽を説得するのは無理らしい。俺が劉備として関羽に着いていかないと、関羽と劉備の奥方たちが曹操軍に追いつかれてしまう」
猛スピードで先行してしまった関羽に追いつこうと、ミズキが草むらの中から身体を起こすと――。
背後から壮絶な馬蹄の音が鳴り響き、夜の闇の中から騎馬兵たちが飛びだしてきた。
曹操率いる軽騎馬隊だった。鎧を脱ぎ捨てて「速度」に特化した、曹操独自の兵科である。
ついに、曹操軍が追いついてしまったのだ。
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