1-27 ゾロアスターの正体。教室で初共演。
するとそこに奴がいた。
いやゾロアスターではなく。もう一人の大事な友人。
後藤である。ゆるいくせ毛のボブカット。昨日の朝テニス部の一年を引き連れてたスポーツ女子。小学生の時は背面飛びで伝説を残した『なっちゃん』。
高校生の今は、身内でやるバラエティー番組風のノリの中で、一番笑いのセンスに長けた奴。
そういう奴ってもはや現れるだけで面白いまでもある。
後藤はドアの前で立ち止まり、カッコウみたいに顎を突き出し俺達の方を見ている。そのまま嫌に慎重な足取りで俺達の前までやってくると、わざとらしく目を擦ってから言う。
「アカン、三対一でちんちんがいじめられてる。これ助けた方がいいんかな」
冷静にツッコむ。
「ちんちん言うな。男子をそう呼ぶのはやめなさい」
次のやり取りは間が大事。相手の言い終わりと共に即答すること。
「喋った」
「だからちんちんじゃねえのよ。人間やし喋るよ」
「えっ?」
「えじゃない。ちんちんネタ禁止。ハネシーが笑い始めてる」
「ハネシー笑ってるん!? やっぱり三対一でちんちんイジメてたん!?」
「だからやめなさいと! 同級生をちんちん呼ばわりしないの! 人間として扱うの!」
ここまでが出合い頭にやる『ちんちんがおる』ネタのテンプレ。人志松本流が作った定番の流れ。シュールな下ネタは高校生に抜群に受けが良く、下ネタに弱いハネシーがクスクス顔を隠しながら笑い始める。
そしてハネシーが笑うと堤や梅っちも乗っかってくるというのが俺たちのノリ。
「でも人間故にちんちんでもあるしな」
「つーつーみー。お前が乗ったらこのグループは終わりやぞ。いいのかこんなお下品グループで。今年から変わるって言ってたやろー」
「いやぁ、私その辺は後藤に任せてるから」
「後藤に任すな! アイツを放置すると止まらんから、お前が手綱を握ってくれ!」
「え? ちんちん握ってくれ?」
「梅っち、お前もな。お前の流され体質がこの学校の全ての女子に悪影響を及ぼしてるんやぞ」
ケタケタと時舛イジリが盛り上がります。この程度なら適当にリアクションしていればいいだけなので、いくらで受け流せます。
しかし、後藤だけはイジリ方の次元が違う。俺がジトーっとした目を後藤に向けると、後藤は嫌にわざとらしい演技で返してくる。
「いやいやいや時舛! 子犬みたいな目で私に助けを求めんといて! 私にはどうしようもないから!」
「助け求めてねえよ! むしろ怪訝な目つきで睨んでるのよ!」
「って言われてもなあ。私だってマリオパーティーのミニゲームは絶対三人側の方がいいし。絶対三人チームで一人をイジめる方が楽やし」
「ふっはははは! 待て、お前急に例えるな! 俺はマリパのミニゲーム感覚でいじめられてるっていうのか!」
予想不能な例え話で既に皆笑っている。だが後藤はさらなる高みへ上る。
「そらそうやん! だってマリパのミニゲームって三人側めっちゃ有利やし! 三人側はAボタン連打するだけやん!? Aボタン連打するだけやん!?」
言いながら後藤は手の指で輪っかを作って激しく上下に振るのである。
理解した俺は噴き出した。見ていた人全員噴き出して笑い始めた。男の俺はもはや羞恥に紛れながら叫ぶしかなかった。
「お前ソレは連打の動きじゃねえよ! 連打でその手を作る奴がいるか!」
笑い声が増す。後藤の激しさも増す。
「連打連打連打連打!」
「朝からやめなさい! その動きは放送禁止!」
「時舛! 一人チームのお前は色々操作大変よな! ボタン三つくらいあるし! スティックも操作せなアカンし!」
「スティック言うな! そんで手をやめい!」
「でも女チームの私らは基本的にAボタン連打するだけやからさあ! Aボタン連打するだけやからさぁ!」
「だからお前のやってるのは連打じゃねえのよ!」
「はい交代! ハネシー交代! ハネシー連打連打連打!」
「お前ハネシーにソレやらせるのは犯罪やぞ! ハネシーやらんでいい! 乙女がしていい動きじゃない!」
戸惑うハネシー。必死に止める俺。笑いをこらえてる人達。真面目なフリをして叫ぶ後藤。
「ほな私がやるのは犯罪じゃないって言うんかーーー! 私かて乙女やぞ! 十八歳未満やぞーーー!」
これが教室中にドカーンで受ける。なんで爆笑がおきるかって、放送禁止の特大下ネタをAボタン連打と称しておおっぴろげにやるからである。そんな奴が乙女なわけがないのに、自分は乙女だと大真面目に主張するからである。
もう俺は顔が真っ赤になってツッコミどころではなくなった。
「最低っ! 最低っ! 堤助けてホンマに! もう嫌やこの人の下ネタ! 堤が止めへんからこうなるんやで!」
俺は堤の腕にひっつかまって振り回す。堤は隠しもせず爆笑している。梅っちはお腹を抱えて笑っている。ハネシーもきゃふふーレベルじゃなく笑っている。
別のグループのちょっと強そうなオシャレ女子達も顔を隠して笑っている。頑なにこっちを見ないフリをしていた大人しい女子のグループも隠れて肩を震わせる。
一体、どういう思考回路をしていれば、男女の営みをマリオパーティーのミニゲームに喩えようと思うんだろうか。確かにマリオパーティーのミニゲームって三対一の時、三人側の操作はすごく簡単なのである。せいぜいスティックを動かすかボタンを連打するかくらいしかない。
しかし、それをセックスする時の女性のようだと考える後藤の感性は、本当に頭がおかしいのである。
これが洲屋高校の人志松本役。学校で一番面白い奴だけがなれる地位。
俺も涙が出るくらい笑っている。堤はグシャっと拳を後藤の頭に押し付けている。でもやっぱり笑っている。
別グループにいた田口と上田も笑いながら寄ってくる。
「朝からどうなってんのお前ら、最低な下ネタやぞ。時舛はよナゾナ・ゾロアスター探せよ」
「ホンマに。僕らは時舛とゾロアスターの、健全な笑いを見にきたのに」
堤と後藤にも催促される。
「そうやぞ時舛。はよなぞなぞ仮面のとこ行け、健全な笑いやれ」
「そやそや。私に恥ずかしい下ネタをやらすな」
「嘘つけお前ら、爆笑してた癖にどの口が言ってんねん。後藤は一生反省しろ、もうお前とマリオパーティーせんからな」
一応ツッコんでいるが、田口上田堤後藤という最強のいつメン四人に囲まれては勝てない。抵抗もむなしく強引に背中を押され、黒板の前まで連れていかれる。
「待て待て待って。えー、嫌やってー。こんな空気の後で、ゾロアスターに顔合わせたくないってー」
あーこれは完全に俺が一人でネタ披露する流れだ。嫌だー、何も用意してないー。
悪友らは俺を無理矢理教壇に押し立てると、後はキャキャーと笑って見物席に戻る。
見てるか、人志松本、お前のせいだぞ。お前が高校生でも出来るお手軽バラエティーを流行らせたせいで、全国の中学高校で俺みたいなイジられ役が教壇に立たされるんだぞ。後藤とか田口とか学校の中の面白い奴って、絶対に自分が壇上に立とうとはしない。みんなイジられ役が滑るのを見て笑って、コメント侍しようとするんだからな。
さてしかし、ステージに立ったからには何かやらざるを得ないので、とりあえず筋書き通りゾロアスターを探すところからやる。
「えー。この中に、ナゾナ・ゾロアスターさんはいませんかー? お友達の時舛が探しておりまーす」
二年五組の観客達の反応を伺う。現在朝のホームルーム開始の五分前。ほぼ全ての生徒が着席済み。洲屋高校は元女子校ですので客層は女子が八割以上を占めております。
そして、観客の女子達はみな顔を見合わせるだけで具体的な反応なし。
「えーと。おらん! 解散!」
素直に帰りたいので打ち切る。観客の堤から声が飛ぶ。
「おるって! 目の前!」
「どこ!」
「そこそこそこ!」
堤の指さす方向はまさしく俺の目の前。教卓と向かい合わせの席。そこに座っている女生徒は。
「おや?」
雪の頬に紅塗らず。跳ねずに落ちる髪。肩口で揺れる毛先。
教卓の目の前の席に座る女子。なんかめちゃめちゃ見覚えあるな。俺なんて見向きもせずゴツい本読んどるな。そのせいで俺と目が全く合わんな。
教卓の座席表でそやつの名を確認する。
――宮奈藍子。
ふーん。ゾロアスター、いい名前してんじゃん。なんかイメージ通り。やっぱり雪の花っぽい雰囲気。
「宮奈さん。宮奈さーん」
ゾロアスターと思しき女生徒に呼びかける。
「……」
反応なし。困った。
すると客席から囁かれる悪魔の声。
「時舛。歌舞伎、歌舞伎、しらざ言って聞かせて」
……誰だよ言ってるやつ。後藤なのは解り切ってるけどさ、なんで歌舞伎なんだよ。荒木先生モノマネとか鉄板のネタやらせてくれよ。
「歌舞伎なら思い伝わるぞ」
田口が乗っかる。堤や上田までカブキカブキと乗せてくる。
クスクスと何かを感じ始める教室。
やらざるを得ない注目度。
「えー突然ですが、歌舞伎やります」
咳払い一つ。
喉の中で歌舞伎の声を用意する。裏声みたいに甲高いビブラート。これでもかと間延びさせる言葉の節。
セリフは歌舞伎では一番有名な七五調をチョイス。全力でいきます。
「浜の真砂に五右衛門が 歌に残せし盗人の」
声を張る。反応がなくても焦らない。歌舞伎と言うからにはしっかりと聞かせる。
「種は尽きねぇ七里ヶ浜 その白浪の――」
しかし、観客の醸す困惑の空気に耐えきれずキレ芸に流れる。
「――なあお前ら面白いかコレ!? お前ら歌舞伎なんて知らんやろ! 知らんのにネタフリして、ポカーンとしてるやろ! それでお前らは満足か!?」
ゲラゲラと笑い声が返る。まあバラエティーはこういう流れが定番です。
無茶ぶりされて、そこそこ本気で無茶ぶりに答えようとして、答えきれずキレ芸する。イジられキャラなら誰もが経験するアレ。俺の場合は歌舞伎やれとか短歌やれとか言われることが多い。
俺もこういうキレ芸は慣れたもので、怒っているように見えて頭はすごく冷静です。今もなお読書を続ける宮奈さんが俺達のことを、うっとおしく思っていることが分かるほど冷静です。
よし撤退しよう。これ以上は宮奈さんに迷惑をかける。
と思ったが、宮奈さんは予想外の動きをしていた。俺の目の前でガサゴソとカバンを漁り、中から見覚えのある仮面を取り出している。
およ、およよ。
まさかと思ったら、そのまさかである。
宮奈さんは仮面を慣れた手つきで装着すると、俺と同じ壇上に登り、ナゾナ・ゾロアスターとして俺と向かい合った。
「やや、この声この匂い」
マジか。やる気か。ゾロアスターの一言目は、クラスの喧騒を一撃で鎮めるほどガチの演劇声だった。客が静まった後に、お決まりのセリフが続く。
「もしやお主の正体は、洲屋の誇る芸道に、東と西があるならば、東を担うべき男。三対一のゲームなら、進んで一人になる芸風、私も少しは見習いたい。お主はわが友、時舛殿ではありませんかな」
ざわついた。ゾロアスター、コイツマジか。教室の中でも本気でやれる系か。しかもさっきの後藤が作った件にアンサーしてるよな。ハートもアドリブ力も凄まじいぞ。
こんなの返されたら俺もやるしかねえ。俺も本気の声で、いつも以上に抑揚をつけて返す。
「そういう貴殿の変わらぬ調子。笑いをゲームに喩うなら、貴殿は三対一ならず、百対一でも湧かす者。その心臓の揺るぎなさ、少しオイラに分けてほしい。貴殿は西の芸達者、ゾロアスターにて違いなし。して、何故貴殿が二年五組教室ではそのなりを潜め、ちょこんと座って本を読んでいるのか、その委細詳しくお聞かせ願いたい」
「いやなに細かいことはさておいて、どうかなここは一つ、袖振り合うも他生の縁と言うしー、如何に教室の中と言えども、我らが相まみえたなら、再開の挨拶をすべきだと思うのだがー。せーの」
声を合わせる。ゾロアスターとなら余裕で合わせられる。
「「これはしたり~」」
こうして俺とゾロアスターは二年五組に大爆笑を巻き起こすのである。
堤一派は全員腹を抱えて転げ落ち、見た目がケバいグループは紙パックのジュースを噴出した。秀才グループも平民グループも破顔して、大人しい女子達ですら控えめの心を忘れて高い笑い声を上げた。
ふむ、やっぱりゾロアスターは出来る奴。こういう皆が見ている前でもネタをやり切れる奴は好きだ。本当に結婚しようか。ゾロアスターとならどんな舞台も乗り切れる気がする。
後藤が「今のネタ何!?」と飛びかかる勢いで聞いてくる。それと同時にチャイムが鳴ったので俺達は一目散に二年五組教室から撤退。
その最中、教室を飛び出る直前。振り返って、もう一度だけあの姿を見る。
雪の頬に紅塗らず。跳ねずに落ちる髪。肩口で揺れる毛先。
ナゾナ・ゾロアスター。本名はもう完璧に漢字まで覚えた。
宮奈藍子。
宮奈さんって柄でもないから、呼び方は宮奈と呼び捨てで決定。
宮奈、アイツは本当に何者なんだろうか。どんな目をしているんだろうか。実はアイツこそ本当の松本人志なんじゃないだろうか。その目にはいつも常人離れした奇想を映しているのではなかろうか。一言で場の空気を変えるほどのコメント力を持った笑いの天才なのではなかろうか。
期待が膨らむ。加速するようにアイツのことを好きになる。
教室は光り輝いて見えて、楽しすぎて眩しすぎて、その逆光で俺にはまだ彼女の素顔が見えない。
そう、俺にだけは見えていないのである。皆とっくに知っているのに、対極にいる俺だけはまだ彼女のことを何も知らないのである。
教室の光は俺達を遮って、運命の二人を出会わせてくれない。
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