1-23 中高生の笑いは人志松本流。ゾロアスターは風紀覇道流。
旧校舎四階の端っこ。ここを左に曲がれば暖簾部室。ひょっとしたら入部希望の生徒が殺到しているかもしれないと期待して、俺は左に曲がった。
人はいなかった。西日と暖簾が揺れているだけだった。暖簾の奥にはいつもの足だけが見えた。
暖簾に近寄って言う。
「よーゾロアスター。見てたぜ」
ゾロアスターはやっぱり全力で返してくる。
「やや、この声この匂い、もしやお主の正体は、洲屋の浮世に現るる、親子に扮する大盗賊、その片割れの男の方。今先ほどのショーにては、最前列にてご観覧、まこと温かき声援に、感謝感激あめあられ。お主は我が友、洲屋忍者トキマス殿でござるか」
俺も全力で返す。
「そういう貴殿の変わらぬ調子、忍者のオイラが知るところ、貴殿は暖簾の謎づくり、ゾロアスターにて違いなし。今先ほどのショーにては、天下孤高の一人芸、その名に恥じぬ大演舞、拍手喝采天高し。して、何故なぞなぞクラブの貴殿が大道芸じみたショーをしていたのか、まずはその委細、詳しくお聞かせ願いたい」
「いやなに細かいことはさておいて、袖振り合うも他生の縁というしー、君が私のことが気になって気になってしょうがないのは解るがー、どうかなここは一つ。再開の挨拶をしてみるというのも悪くはないと思うのだがー。せーの」
ひょこっと暖簾から顔を出す仮面と、声を合わせる。
「「これはしたり~」」
言った後、ゾロアスターは仮面の顔を出したまま止まる。
「おや、今日は君の相棒もいるようだ」
池谷は人見知りである。こういう時は絶対に話さないので俺が答える。
「気にするな。ただの付き添いだ」
ゾロアスターは何も言わず暖簾の中に戻る。元のように脚だけを見せるゾロアスターに俺は言ってやる。
「驚いたぞ。お前のこと、ただの不思議キャラだと思ってた」
「言ったであろう。この口調は君に合わせているだけだと。本気を出せば君なんてイチコロだと」
相変わらず澄ました調子で喋りやがるぜ。
「めちゃめちゃ面白かった。特にぷよぷよ十連鎖芸。あれはマジで初めて見たし、多分世界でお前しかやってない」
「あれは私の十八番でな。一番得意の芸だ」
「成功率は?」
「六年もぷよぷよをやってる。協力者選びさえ間違えなければ、失敗はしない」
「なぞなぞに速攻で答えられたらどうするんだ? 守本とやった失敗芸のくだりは、なぞなぞの答えが出てこない前提でやってただろう?」
「高校生はそうそう答えんよ。万が一答えられたとしても、その時はルールを変えればいいだけさ」
「ルールを変える?」
「フリップをもう一枚捲って、二問目に答えるまでにイリュージョンを成功させると言えばいい」
「賢いな」
「私はアドリブは効く方だ」
ショーの余韻が残っているからだろうか、ゾロアスターの口はいつもよりよく回る。今ならどんなことを聞いても答えてくれそう。
とりあえず色々気になることはあるけど、まずは聞いてみた。
「ナゾナ・ゾロアスターは、洲屋忍者流じゃないのか?」
暗に俺達と同じミトシ先生の教えを受けているのかと、俺は聞いた。ゾロアスターはすぐには答えなかった。少しだけ間が開く。暖簾だけが揺れている。
ゾロアスターは声を低くして答えた。
「私は洲屋忍者流とは決別した身だ。強いて言うなら風紀覇道流と言うべきか」
……風紀覇道流? そんな大道芸のクラブあったかな?
「そんな流派聞いたことないぞ」
「このナゾナ・ゾロアスターが開祖である。北林京子や霧頭泉から着想を得た」
誰だよその二人って言おうとしたけど……いや知ってる。
北林京子って、この学校の風紀委員長だよな。
てか、俺が昼休みにここでナンパした人じゃん。
で霧頭泉っていうのは、いわゆる三年の泉さんで、パチンコ屋に換金所を聞く云々の件で盛り上がってたあの人。
あの二人ってそんな芸人気質だっけか?
仮に芸人気質だったとしても、洲屋高校の主流は、あの忌まわしき男が作り出した流派のはず。全国の中高大学、全ての若者たちを纏め上げている、あの忌まわしき流派のはず。
「この学校はみんな、人志松本流だろう」
ゾロアスターは素で聞き返してくる。
「人志松本流?」
するとここで、今まで黙っていた池谷がスッと会話に参加してくる。
「バラエティー番組っぽい笑いのことですよ。演者側にはあらかじめ、その人の見た目や地位に基づいてキャラクターが割り振られています。ボケ役、いじられ役、声の大きいツッコミ役、女優みたいに気取っていい役、有吉みたいに毒を吐いていい役などなど。テレビでお馴染みのキャラクター達です。そして演者は自分達のキャラクターが、観客含めその場にいる全員に理解されているという前提で、笑いを作り出します」
「ふむ。キャラ付けありきのバラエティーであるな。して、何故それを人志松本流と呼ぶのかね?」
「この形式の中で一番上位的なキャラクターがクールなツッコミだからです。いつもスタジオを俯瞰して眺めていて、センス抜群の一言で笑いを取る。自分からボケる時はツッコミ方が解らないほどのシュールさで相手を困らせて笑いにする。定番のお笑いの流れを作ることには積極的にならず、むしろ滑る流れになるよう仕向けて、滑った後にコメントで揶揄して笑いにする。それが、高校生のやりたがる典型的な人志松本流です」
この話は相当お笑いについて理解がないと伝わらない話だと思う。
しかし、さすがにゾロアスターの理解は速い。
「ああ、そういう意味か。確かにそうかもしれんな。松本人志、つまり皮肉な天才キャラ中心にした笑いの作り方は高校生の定番である。みな出来ないのに苗字の書いたサイコロを振りたがる。滑らない話の前に、まずは人前に一人で立つことから始めればいいと思うが」
ふむ、ゾロアスターとは気が合いそう。
高校生がやるべきは、クラスメイトの苗字の書いたサイコロを振ることでも、大喜利で一本を争うことでもない。人の前に一人で立つことだ。漫才だって落語だって、大道芸だってマジックだって、全ての芸は人の前に一人で立つことから始まるんだぜ。
つまり、一人で舞台に立って冷たい観客と向かい合う。自分自身の力で観客との関係性を作って、受ける環境まで持っていく。
それが芸道の基本。松本人志の真似などそうそうするものではない。
池谷が更に踏み込んだ話をする。
「サイコロを振って出た目に書かれた名前の人が面白い話を披露する芸は、確かに芸道の基本にかなっていて、王道だと思いますが、やり方が極端だと思いませんか。あのテーブルだけの舞台を、どんなネタも挟まずに、喋り一つで客を湧かせるなんて尋常な精神では出来ないし、素人が真似できることではないんです」
ゾロアスターはなにも言わず聞いている。池谷の言葉が続く。
「かといって、キャラ付けの元で行われるバラエティーは緩すぎます。あれは高校生にでもお手軽に真似出来てしまう。真似できる故に、他人をキャラクター化することに慣れすぎる。上手く喋れない人がいるなら上手く喋れないキャラとして、面白くない人がいるなら面白くないキャラとして、当人のあらゆる特徴をキャラ扱いにして笑いにする。そんなのは邪道です。バラエティーに参加しない人を無理に笑いにする必要はないんです。少しでも下手をすれば、意図しないキャラを押し付けた所為で相手を不快にさせます。キャラ付けありきのバラエティー芸は、それこそ素人が真似すべきではありません」
……さっきまでメンヘラやってたとは思えん喋りだな。
でも、こういう硬派な池谷は好き。何でもアンチで何でも辛口レビューなだけあって、言葉がしっかりしている。
さあゾロアスターはどう答えるかな。いきなりお笑い談義を仕掛けられて、面食らって飲まれてしまうかな。
池谷とゾロアスターの初対談。ちょっと面白い。
「君の考えは、一年前の私とよく似ている」
暖簾の声はびっくりするほど落ち着いていた。池谷は眉を顰める。お前の考えなぞお見通しだと言われたようなものだから、気に障ったんだろう。
ゾロアスターの言葉を聞く。
「確かに高校生のほとんどが君達の言う人志松本流であると思う。彼のすることはサイコロ一つで笑いを作るような王道の笑いと、他人を何でもキャラクター化するバラエティー的な邪道が両極端で、高校生が安易に真似をすべきことではないと思う」
ゾロアスターは池谷の言ったことを端的に纏めている。相当頭の回転が早いんだろう。その喋りに呼吸する間はあっても、考える素振りはない。まるでさっきショーをやっていた時と同じ落ち着き方。
そして、ゾロアスターは池谷の考えに同意するだけでは終わらなかった。
「ただ、そうやって笑いに関して王道だとか邪道だとかを決めて、笑いの形に拘ること自体が、松本人志の作り出した風潮だとも思う」
一瞬、何を言っているのか解らなかった。池谷は口を開けたまま固まっていた。俺も同じような表情で固まった。
笑いの形にこだわること自体が人志松本流。
自分達の信じていたものが覆されたと気が付いた時、次の言葉が始まっていた。
「広い目で見ると、君達も人志松本流ということだ。笑いに捕らわれていて、笑いに関する限り言葉を無限に拘る。その裏で、本当に拘るべき言葉の大半を捨てている。笑いなんて所詮、言葉の使い方の一つに過ぎないのに」
俺には言葉が出ない。池谷も口をつぐむ。何度瞬きをしてもゾロアスターが何を言っているのか全然入ってこない。
暖簾からは、ひたすら落ち着いた言葉だけが聞こえてくる。
「この学校の中でも風紀覇道流だけは違う。北林京子や霧頭泉を聴けば君達も解る。言葉が最も輝くのは、人を笑わせる時ではないと」
言葉が最も輝く時?
もっと話を聞こうとした。ちょうどその時ポケットでスマホのバイブレーションが鳴った。
「ごめん。電話」
言って暖簾から離れる。階段の方に曲がって電話に出る。
ミトシ先生、つまり大道芸の座長からだった。どうやら緊急の案件があるらしい。池谷に目配せをして緊急事態を伝える。
俺はすぐに行きますと答えて電話を切り、暖簾の前に戻った。
「ゾロアスター。俺も池谷も、お前のことすごく興味ある。今度ゆっくり話そう」
暖簾からは何事もなかったかのような澄ました声が返ってくる。
「そうだな。君達の洲屋忍者流も拝見しないといけない」
「また明日」
名残惜しいけど、俺達は暖簾に踵を返す。
そこには殺風景な放課後の廊下だけがある。
ゾロアスターに言われたことを考えながら、歩く。
――確かに、言葉に拘る瞬間って、誰かを笑わせる時だけかもしれない。それ以外で言葉が輝いている時を、俺はあまり知らない。せいぜいスポーツ選手のヒーローインタビューくらいかな。でも俺はスポーツ選手じゃないから、大歓声の前で勝利の秘訣を答える機会も早々ない。
そういう目で見れば、俺も人志松本流だろう。言葉に拘る時って、大体人を笑わせようとしてる時だ。舞台に立ってショーをするとき、クラスメイトにエピソードトークをするとき、誰かが滑ったのを見て冴えた一言で笑いを取ろうとするとき。
それ以外では、いつも言葉に妥協している。読書感想文も初めは自分の思いを伝えようとするけれど、文字数が満ちれば強引に終わらせる。女の子を口説く時も、はじめはカッコいい自分になるために拘るけれど、慣れてくるとむしろ拘りなんて持たずに相手の望むように振舞う方が手っ取り早いと気がつく。
俺達は笑いの時だけ、言葉に拘る。普段の会話の中で、笑いを作るために言葉を一文字単位で推敲してる。改めて考えてみれば、高校生なら皆そんなもんじゃなかろうか。会話して笑えるかどうかって、コミュニケーションで一番大事だし。
でも、だとしたら、ゾロアスターは一体、何に拘ってるんだろう? アイツも笑いに拘っているからこそ、舞台に立ってるんじゃないだろうか。笑いが好きだからこそ、ただの部員勧誘イベントを、あえてなぞなぞイリュージョンショーにしているんじゃなかろうか。
俺は廊下を振り返った。
暖簾からはひょっこりとあの仮面が顔を出していた。
雪の頬に紅塗らず、跳ねずに落ちる髪、肩口で揺れる毛先。黒い舞踏の仮面。
本当に彼女は『雪の花』なんだろうか? 俺の思い描いている彼女の素顔は正しいんだろうか? クラスでは引っ込み思案でいつも周囲の目を気にしてる。でも本当は面白い奴で、まるで雪山の奥地に咲く花のように、そこに迷いこんだ旅人だけを笑顔にする。
そんな存在。その目は静けさと奇想の目。
本当に、そのイメージで正しいんだろうか?
光はまだ、彼女の目を照らしてくれない。彼女がどんな目をしているのか、俺にはまだ解らない。
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