1-19 学校には存在しない舞台の笑い2

「大丈夫でございます。たとえ一番前に座ったとしてもですね、ショーをやっている最中に、いきなり立てであるとか、前へ出てショーの手伝いをしろとか、そういう厚かましい大道芸人みたいなことはですね、一切しません。一切しませんと――成田さん以外にはお約束します」


 ここで初めて、冷たい舞台に笑いが起きた。


 上手い。

 客の心理をよく理解しているし、こういうしれっと厚かましくなるやり方は、澄ました喋りによく似合う。

 ひょっとして今までの繰り返しの言葉も、全てこのギャグをするための伏線だったのだろうか。だとすれば、ゾロアスターは相当に計算高い。


 成田さんと友達の女生徒達はカバンを持って前の席へと移動する。一笑い起きたから、場の空気はどこか緊張がほぐれた。それを察知したかのように、ゾロアスターは声を張り上げる。


「さあさあ、どうぞお入りください! 今丁度、ショーが始まったところであります。このショーはお客様に一切面倒な絡み方はしない、大変クリーンなショーでございます! よければお入りください!」


 これで通りかかった何人かが教室の中に入る。

 ゾロアスターの喋りもここからは一変。ゆっくりと澄ました調子は止めて、元気さとスピード感を出していく。


「さあこれで、廊下の窓は開け放たれ、お客様の数が十人程度まで増えました。しかし、まだまだ足りません。今から更に人を集めるために、ショーの開演にはまだ少し時間は早いですが、今からウォーミングアップのイリュージョンを見せたいと思います」


 言いながらゾロアスターはテキパキと動く。机の上に置いてあったスケッチブックを取って掲げる。


「まずはイリュージョンの説明をいたします。こちらのスケッチブック。このスケッチブックには、ナゾナ・ゾロアスター作のなぞなぞが書いてあります。イリュージョンではまず、皆様になぞなぞを一問出題します」


 ゾロアスターはスケッチブックを机に戻すと、今度は足元のアタッシュケースから何かを取り出す。同じように掲げて説明する。


「そして、こちらはルービックキューブ。全ての面がバラバラで、種も仕掛けもありません。念のためにお客様に更に混ぜてもらうことにします。では成田さん。これ混ぜてください」


 ゾロアスターはルービックキューブを手渡す。成田さんが混ぜている間に説明を続ける。


「今回のイリュージョンでは、まず私が皆様に一問なぞなぞを出します。そして皆様の中から、なぞなぞの答えが返ってくる前に、なんと、ルービックキューブの六面を全て揃えます」


 なるほどな。なぞなぞのシンキングタイムにゾロアスターが凄業を披露するって感じか。把握した。

 しかし、客からの反応はまだ薄く、場はシーンとしている。温まった舞台だと、どんなことをするのか宣言するだけで『ええー!』と驚いたようなリアクションが返るもの。


 せっかくのイリュージョンなのにちょっと寂しい。普通の大道芸人なら、場を盛り上げるために『もっとリアクションしてー!』とお願いするものだが……ゾロアスターはそれをするつもりもないらしい。どこまでも定番嫌いの奴。

 ゾロアスターは成田さんから混ぜ終わったルービックキューブを受け取ると、すぐに始めてしまう。


「ではなぞなぞイリュージョン行きます! 第一問、こちら! パンはパンでも食べられないパンってな~んだ! では皆様はなぞなぞをお解きください!」


 ゾロアスターはスケッチブックを一ページめくる。急いで真ん中に戻ると、今度はイリュージョンの開始を宣言する。


「そして私は、ルービックキューブスタート!」


 ゾロアスターは高速でルービックキューブを回し始める。見た感じ、手つきは慣れてるから、多分普通に揃うだろう。

 しかし、客の頭にあるのはルービックキューブの進捗じゃなくて、こんなベタななぞなぞに答えてしまっていいのだろうか、という戸惑いである。


 パンはパンでも食べられないパン。答え、フライパン。


 これ答えていいのか。俺も解らん。俺が解らんということはほかの客も解らない。

 一秒、二秒。答える人、なし。


「さあ既にイリュージョンが始まっております! ナゾナ・ゾロアスターのスーパーなぞなぞイリュージョンが既に始まっております! 答えが解った方は遠慮なくお答えください! 遠慮なく、お答えください!」


 と言ってみても、客からは反応なし。

 十秒くらい経った。

 すると、客の何人かがくすくすと笑い始めた。何かなと思ってよく見たら、ゾロアスターはもうルービックキューブを回していなかった。全力で回しているフリになっていた。


 そして、ゾロアスターはルービックキューブを回しているフリをしながら、ゆっくりと屈んでゆき、足元のアタッシュケースから何かを取り出す。

 おもちゃのマイクがでてきた。ゾロアスターはマイクを器用に指の間に挟むと、あくまでルービックキューブは回しているフリをしながら、客席に近づいていく。


「さあ、どなたでも答えてください。さあさあ、さあさあさあ、今私が揃えている最中であります。もうすぐで揃ってしまいます。誰かが答えてくれないとイリュージョンが一回目で成功してしまいます。どなたかお答えください、どなたかお答えください」


 と言いながら、ゾロアスターは客席の前でかがみ始める。すると、指に挟んだマイクがちょうど女生徒の口の前にやって来る。さっき窓を開けてくれた成田さんだった。

 ここまでされると、成田さんは答えざるを得ない。


「ふ、フライパン」

「あっ」


 ゾロアスターはわざとらしく驚いた演技をして、ルービックキューブを止める。

 そして、なぞなぞの解説に入る。


「正解でございます。パンはパンでも食べられないパン、答えはフライパン。お見事」


 次はルービックキューブを掲げてイリュージョンの報告。


「そして、いわゆるイリュージョンの方は失敗でございます。揃っておりません。あと二回転で揃うところでしたが、惜しくも揃わず。残念」


 客は心の中で「いやいやお前回してなかっただろ」とツッコむ。それを読んだゾロアスターはこう返す。


「いえいえ皆さま、動揺しないで。安心してください。今のはデモンストレーションでございます。これで皆様にも、このショーの要領が解っていただけたかと思います。このショーは、皆様がなぞなぞに答えるよりも早く、私が凄業を完成させるという、ただそれだけのショーでございます」


 言われて客は納得する。今のは予行演習。次からは本当に答えていいんだと確信する。ゾロアスターも声を大きくして更に念を押す。


「でも、次からは本番ですからね! 次からちゃんとしたなぞなぞが出ますからね!? 答えてもらわないと困りますからね!?」


 そしてゾロアスターはしれっとルービックキューブを客席の成田さんに手渡した。


「というわけで成田さん、これもう一回混ぜて」

「は、はい」


 その図々しさで客が笑う。

 見てる側は段々とゾロアスターのキャラが解ってきた。澄ました調子で客の心理を読みながら喋る。たまに図々しく客を使う。それが面白い。コテコテなボケもしないから安心して見てられるし、もう喋りがプロがかってることは十分に分かった。

 これは信頼できるショーだ。客と演者の気まずい距離感はなくなった。俺もゾロアスターのショーにのめりこんでいってる。


 さあ次は、本当のイリュージョンになるのかな。

 ゾロアスターは成田さんからルービックキューブを受け取ると、すぐに二問目を始める。


「では二回目行きます! 問題『干支の中で、いつもパソコンとくっついてる動物ってなーんだ?』 そして私はルービックキューブスタートッ!?」


 ゾロアスターはスケッチブックをめくり、勢いよくルービックキューブを回し始める。


「さあ答えが解ったら言って下さい! 今回は本当に答えてくださって結構です! ルービックキューブ歴三年半のわたくしが手を動かして、皆様は頭を働かせてください! 今回の問題は難しいですよ。簡単に解ける問題ではございません。イリュージョンは必ず成功いたします。さあ既に一面が揃いかけている。このパターンは得意の奴だ、そろうぞー、そろうぞー!」


 と、ゾロアスターは実況しながらルービックキューブを回すが、そこに。


「ネズミ」


 誰かが答えた。


「あっ」


 ゾロアスターがわざとらしく驚いて、ひょうきんみたいに固まった。

 その光景がシュールで面白い。

 ……これ多分、失敗芸なんだろうな。失敗を面白く見せて笑わせる形式なんだろうな。仮面にマントの組み合わせが冗談みたいに静止していて、シュールな感じが面白い。

 やがて笑いがおさまると、ゾロアスターはなぞなぞの解説に入る。


「正解でございます。いつもパソコンとくっついている動物、それはマウス、つまりネズミでございます。お見事」


 次はイリュージョンの報告。


「そして、いわゆるイリュージョンの方は失敗でございます。間に合いませんでした。残念」


 イリュージョンは二回目も失敗。

 さあここから三回目にどう繋げる。さすがに失敗ばかりでは面白さも薄れてくる。


「いやーお恥ずかしい。どうやら今回のお客様の中には、凄腕のなぞなぞハンターがいるようでございます。いつもは二問目で成功するのですが、なんと二問目も答えられてしまった。そしてイリュージョンは、皆様がどう思うかに拘わらず、泣きの三回目に突入いたします」


 本当に図々しい喋りだな。面白い。

 次はどんななぞなぞが来るのだろうと身構えた。そろそろ成功させるためにも難しい問題が来そうだなと予想した。

 ゾロアスターは次の問題を出そうとスケッチブックを手に取るが、やっぱり止める。舞台の中央に戻ってきて、改まって喋りだす。


「皆さま、私は一つ言い忘れていることがありました。泣きの三回目に突入する前に、一つだけ、皆様にお伝えしなければならいことがあります」


 真剣な雰囲気だった。さも今から大事なことを言いますという感じだった。

 ゾロアスターは最初に挨拶した時と同じように、ゆっくりとしたテンポで、しかも大袈裟に抑揚をつけて言い始める。


「わたくしナゾナ・ゾロアスターは、このなぞなぞイリュージョンショーを、洲屋市各地で行っておりますが、不思議なことに、どこでショーを行っても、どんなイリュージョンを行っても、大体、三回目には、必ず成功いたします。どんなお客様も、三回目になると、三回目になると、空気を読んでいただけるのです」


 笑った。仮面が大真面目に八百長をしろと言っている。

 でも全然嫌な空気じゃない。むしろ協力的な雰囲気。そりゃそうだよ、三回目は空気を読んでやらないとこのショーは成立しない。


「みなさんご理解いただけましたか? このイリュージョンショーは三回目には成功するんですよ? では、成田さん。空気を読んでルービックキューブを混ぜてください」

「はい」


 成田さんは共感しやすいタイプなのか、こころなしかゆっくりルービックキューブを混ぜる。甘めに混ざったルービックキューブが返ってくると、ゾロアスターは今度こそ三問目を始める。


「では第三問いきます! 問題『ハサミはハサミでも、ものを切ることは出来ず、つまめるだけのハサミってなーんだ?』。そして私はルービックキューブスタート!」


 ゾロアスターはスケッチブックをめくり、ルービックキューブを回し始める。

 このなぞなぞ、答えめっちゃ簡単だけど大丈夫か。


「さあ始まりました! このイリュージョンは泣きの三回目、泣きの三回目の挑戦でございます! 皆さまは遠慮なく答えてくださって構いません。その代わりわたくしも遠慮なくルービックキューブを回させていただきます。もうこのショーに忖度はありません。あるのはわたくしナゾナ・ゾロアスターの美しい手さばきだけであります。さあもうすぐ揃います、さあさあ、さあさあさあ!」


 ゾロアスターが勢いよく実況する最中、やっぱりなぞなぞが簡単すぎるので。


「あ、どうしよう。答え解ったかも。せんたくばさ――」


 誰かが呟くのをゾロアスターが遮る。


「――あーん待って待って待って! もうちょっと待って! もうちょっとだけもうちょっとだけ! あと十秒十秒十秒! あああーーんっ!?」


 全員爆笑していた。どっから出たんだってくらいの声で「あーん」と言っていた。こういう芸風をやってくるのは予想外だった。

 教室が笑いに包まれる中、ゾロアスターはルービックキューブを真上に突き上げて宣言する。


「はい! 揃いました! イリュージョン成功です!?」

「「「「おおおおーー!」」」」


 拍手が起こった。歓声も起こった。

 思ったより反応が大きかったから、振り返ってみると、廊下からもかなりの数が見物していた。

 ゾロアスターは大人数が相手でも、上がることなく、冷静になぞなぞを解説する。


「ちなみになぞなぞの答えは、せんたくばさみ、でございます。答えが解っていた方も、ひょっとしたらいらっしゃったかもしれませんが、わたくしがルービックキューブを揃える方が、わずかに一歩早かったというわけでございます」


 その澄ました言い方がまた笑いを誘う。さっき「あーん」と叫んでいた時とのギャップがいい。

 会場は十分に温まっている。ゾロアスターは更に声を張り上げる。


「さあさあ! まもなく十六時ゼロゼロ分を迎えます! スーパーなぞなぞイリュージョンショーがまもなく開演します! どうぞお入りください! 席は今半分ほど埋まったところであります! 廊下で見ているお客様、よければお入りください!」



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