1-18 学校には存在しない舞台の笑い1

 放課後、俺は用事があって職員室に向かっていた。

 その道中、たまたま通りかかった教室の前。廊下に設置されていた一枚の立て看板に目が留まる。


『16:00~16:30 ナゾナ・ゾロアスターの部員募集なぞなぞイリュージョンショー なぞなぞクラブ部員募集中!』


 ――え?


 二度見した。ナゾナ・ゾロアスターと書いてあった。丁度今からなぞなぞイリュージョンショーをやると書いてあった。


 ……マジ? この教室で? いつも暖簾にいるゾロアスターが? てか、なぞなぞイリュージョンて何?


 俄然、気になった。俺がこの手のものを見物しないわけがなく、自然と足が教室に入る。

 教室の中は既にステージができていた。生徒用の机はすべて下げられている。椅子だけがステージを中心に放射線状に並んでいる。


 ステージは窓側をバックにして半径二メートルほどの扇形の空間。

 足元は段差のない平場。

 道具は机が一つとその上に大きなスケッチブックが一つ。

 それと中央に開いたアタッシュケースが一つ。

 スケッチブックにはポップな字体で『なぞなぞイリュージョンショー』と書かれており、アタッシュケースはショーに使う小道具が入っているのだろうが、布がかかっていてまだ中身は見えない。

 あと窓際にもう一つ机があって、その机の上には何故かモニターとゲーム機みたいなものも置いてある。ショーにゲーム機を使うのか。斬新だな。


 俺が入った時点で客の数は、俺を含めてちょうど八人。俺以外は全員女生徒。雰囲気的に一年生っぽい。みな一番後ろの席に座っている。

 よく見れば、その中に知った顔があった。成田さんだ。今朝出会った後藤のテニス部の後輩。

 一瞬声をかけようかと思ったが、成田さんの奥に例の金髪ヤンキー美少女の姿が見えたのでやめた。池谷も友達と一緒にこのショーを見に来たらしい。


 教室の掛け時計は今、十五時五十分。開演まであと十分。


 教室の中に俺の知るゾロアスターの姿はまだない。

 俺は最前列の端っこに一人で座った。ちょうどそのタイミングで奴は現れた。

 教室の後ろのドア。ぬっと入ってきて、しずしずとステージの中心へと歩いてくる。

 視線を集める。黒い舞踏の仮面。怪盗みたいなマント。雪白い頬、薄い唇、跳ねずに落ちる髪、肩口で揺れる毛先。


 ナゾナ・ゾロアスター。


 ゾロアスターはステージの中心にやってくると、最前列の俺と一瞬だけ目を合わせた。けどすぐに反らされる。今、奴がどんな目をしているのかは解らない。

 ゾロアスターはたった八人の客に向かって丁寧に礼をした。そして、顔を上げると、ゆっくりとした調子で言い始める。


「いやー、お初にお目にかかりまする。わたくし、ナゾナ・ゾロアスターと申す者でございます。この学校の、なぞなぞクラブをの部長を務めております、本名芸名ともにナゾナ・ゾロアスターと申す者でございます」


 ゾロアスターは落ち着いていた。声の焦りもないし、女子だからって甲高いこともない。

 むしろ低音と低速を意識していてとても聞き取りやすい。

 とりあえずは安心して見てられる。ゾロアスターはゆっくりとしたテンポを保ったまま続けた。


「皆さま周知のとおり、本日は十六時ゼロゼロ分より、この新校舎側二階の空き教室にて、なぞなぞイリュージョンショーを開催しますと、生徒会に申請し、教室を貸切り、そして、ツイッターや学校の掲示板を使って、大々的に、すごく大々的に、そう、私も全力を尽くして、なぞなぞイリュージョンショーを宣伝していたわけですが」


 つまり何が言いたいのだろう。

 ゾロアスターはここで言葉を止める。観客席を端から端まで見回す。

 一瞬だけ訪れた静けさは、ガラ空きの観客席の寂しさ。

 そう、大々的に宣伝を打ったが、観客はこれだけだと言いたいのだろう。

 ゾロアスターは今までよりも声を沈めて、哀愁じみた声を観客に聞かせる。


「……今現在、大変な問題が、たいーへんな問題が、発生しておりましてですね。して、その問題とは何かといいますと。このわたくしの、スーパーなそなぞイリュージョンショーを見届けてくださるお客様が、ひーふーみーよーの、たったの七人、たったの七人しかいない、ということであります」


 たったの七人。ゾロアスターは抑揚をたっぷりとつけて強調した。


「――」


 しかし、如何に抑揚をつけたところで。ちょっと哀愁の雰囲気を演技ぶってみたところで。そのわずかな客からは何も反応が返ってこない。観客の女生徒はグループ内で顔を見合わせるばかりで愛想笑いも浮かべない。

 これが舞台の冷たさ。バラエティー番組なら珍妙な仮面が出てきただけで、歓声があがって、芸人の気の利いたコメントで一笑い起きるのだろうけど、ここでは違う。


 舞台では演者と客が正面を切って向かい合う。ショーが行われるということ以外は何も知らない客の前に突然と演者が現れる。バラエティー番組と違って、そこには予め割り振られたキャラの設定が存在しない。人と人との間に媒介するものがないから、客はそれを笑っていいのかどうかも解らない。


 舞台には距離感だけが用意されている。何にも媒介されない、人と人との純粋な距離感。

 演者にかかる重圧、客の感じる気まずさ。互いが互いの緊張を感じ合う。客は決して自分からは近づいてこない。演者が醸すあの緊張の中に混ざりたくない。対して演者は、客の纏う緊張の一線を、自分から一歩踏み出して、この舞台を自分のフィールドにしなければならない。そうしないと客との関係が出来上がらない。


 そう、大体の人には、この距離感を詰めることが出来ない。特に高校生にはこの一線を越えることが出来ない。クラスでは一番面白い奴でも、舞台に立ったら面白くない。舞台での笑いの作り方を知らない。だからクラス内だけのバラエティー設定に甘えたような喋り方をする。そんなことでは客は笑わない。俺も笑ってやらない。


 正面から客と向かいあって、何も知らない客に、自分のキャラを解らせる。自分と客の間に関係性をを作って、笑いどころを作り出す。この作業が、高校生のお前らには出来ないんだ。バラエティー番組やユーチューブばかり見て笑いを学ぶお前らには。


 さあ、ゾロアスターはどうするかな。この冷たい観客の心に、どうやって入り込むのかな。

 ゾロアスターは観客の無反応を、さして気にした様子なく続けた。


「これは皆さまが思っている以上に深刻な問題でして、実はこのなぞなぞショー、この教室をお客様で満杯にしないと、廃部にすると、貴様のようなふざけた仮面のクラブは廃部にしてやると、この学校の関係各所から脅しを受けています。故、わたくしはここで何としても、何としても、この教室に人を集めなければならないのです」


 ゾロアスターは場慣れしていた。この冷たい空気で乱れることはなく、むしろ活舌をよくしてスラスラ続けた。


「そこでお集りの皆様方には、大変申し訳ないと思いますが、ここは一つ、袖振り合うも多生の縁と言いますし、今から私が人を集めますので、そのお手伝いを、ちょっとしたお手伝いを、お願いしたいのです」


 鉄板の流れだな。大道芸的には、通行人が立ち止まるよう出来るだけ大きなリアクションをしろと言い出すのが定番。ゾロアスターはどうする。


「とは言いましても、今からビラを配れであるとか、大声を出して宣伝しろとか、そういうことを言うのではありません。わたくしナゾナ・ゾロアスターが、皆様にお願いしたいことはただ一つだけ、ただ一つだけ、であります」


 ……先ほどから感じていたが、ゾロアスターは言葉を繰り返して強調するやり方を好む。大袈裟に抑揚をつけるので、はじめは少し胡散臭さもあったが、もはや定着して耳に馴染んできた。同じフレーズが繰り返されると、その部分を自然と注意して聞くようになる。

 して、その一つだけのお願いとは如何に。


「それは何かと言いますと、簡単でございます。このわたくしの姿が、廊下を通るお客様によく見えますよう、廊下側の窓を全開にしていただきたいのです」


 意外。そう来たか。そのくらいのお願いなら、手伝いやすいな。

 すぐに後ろに座っていた女子の一人が立ち上がった。小走りで窓を開けに行く。


「ありがとうございます。今、一番に立ち上がってくださった貴方、お名前は?」

「え、な、成田です」

「成田さん。なるほど、貴方には特別にイリュージョンが一番よく見える最前列の席にご招待します。お連れの方もよければ一番前の席ににどうぞ」


 ゾロアスターは後ろに座る女生徒達に前の席へ移動することを勧めた。けど女生徒達は戸惑ってすぐには動こうとしない。そこでゾロアスターは言う。殊更優しそうな口調を作って言う。


「大丈夫でございます。たとえ一番前に座ったとしてもですね、ショーをやっている最中に、いきなり立てであるとか、前へ出てショーの手伝いをしろとか、そういう厚かましい大道芸人みたいなことはですね、一切しません。一切しませんと――成田さん以外にはお約束します」


 ここで初めて、冷たい舞台に笑いが起きた。

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