1-17 スクールカーストはバラエティー番組みたいなもの

 高校生にとっての笑いって、テレビのバラエティー番組のノリだと思う。


 学校っていうスタジオがある。

 クラスメイトは演者で、演者にはそれぞれ人柄に合ったキャラクターが割り振られている。このスタジオの中で誰がどんな発言をしていいかは、その割り振られたキャラクターが定める暗黙のルールによって、日常の世界よりも多くが許容されたり、逆により多くを許容しなければならかったりする。


 例えば、俺にはお調子者キャラがあてられていて、ある程度なら女子の見た目をイジってもよいことになっている。その代わりお調子者でもある俺は、皆からテストの点数や見た目のことをイジられるのを許容する。


 ハシグッチこと橋口さんや、超絶早口な林田さんには、秀才キャラがあてられている。

 この人達に対してはお調子者の俺でも安易に見た目をイジったりしちゃダメ。犯人捜しレーダーピピピで、いきなり指名して困らせたりするのもダメ。その代わり、授業でグループ作業する時はリーダーになってもらったり、先生が補助員が欲しいと言い出した時はその役目を任せてもオッケー。彼女らは笑いの標的にならない代わりに、模範生徒の役目を負うことを許容する。


 守本や福原。あのグループはいわゆる陽キャラ。

 休み時間は誰よりも大声で騒いでもよくって、昼休みなら誰の席でも勝手に座っていい。その代わり、先輩や先生からイジられる時は真っ先に狙われるし、行事の時は強制的に主要メンバーにされがち。彼女らは教室で一番自由である代わりに、クラスの代表的な顔となることを許容しなければならない。


 俺達はそれぞれがキャラクターを背負い、教室をバラエティー番組みたいにしている。そうすることで、日常使っていい言葉の制限を一気に飛び越える。スタジオが作る許容のルールが、使用可能な言葉を大きく拡張し、俺達のやり取りはとてもスピーディーになる。


 今朝の俺と後藤。一年生イジリに後藤の背面跳びイジリ、そして俺の元カノイジリ。俺と後藤のスタジオならどんな話題でも大体面白くできるので、ほとんどどんな言葉を使ってもオッケー。池谷のことをウンチ呼ばわりしたりしたが、あんなの悪口になるわけがない。


 休み時間のインテリ達の会話。ハシグッチのいるあのグループは笑いの形が全然違って、俺が少々ナルシストキャラをやる程度では笑ってくれない。しかし他クラスからやってきた林田さんの一言。

 『時舛君、顔変わった?』

 不意に出る天然発言はどんなグループでも面白い。林田っちは是非俺のスタジオにも招きたい。


 同じ天然の秀才でも上田は少し特殊で、アイツは俺のことが大好きな熱血真面目キャラ。

 『時舛君は卒業まで生徒会が面倒を見ます!』

 こんなことを大真面目に言うのだから、時舛の女性遍歴イジリにはかかせない存在である。


 もう一つスタジオに欠かせない存在といえば、今朝の成田さんや昼休みの福原みたいな人である。

 『えええ!? じゃあ使わないです! 私滑らない話なんて絶対出来ないですから!』

 『違うし! アタシあんたより成績上やし!』

 急な振りに対する全力のリアクション。

 このリアクションが出来る人がいると圧倒的にオチを作りやすいので、クラスに一人は欲しい重要なポジション。


 俺達はこのバラエティー番組の中で日常よりずっと速いスピードでやり取りをする。しかも、日常よりもずっと広い範囲の中から言葉を選ぶ。この速さの中で誰かの言った言葉がピタリとその場の空気にはまった時、笑いになる。

 これが高校生が好きなバラエティー番組のノリ。テレビだけじゃなくてユーチューブも一緒。テレビもユーチューブも、予め割り振られたキャラでスピーディーな笑いを作ろうっていう、根本的な笑いの形式は一緒だから。


 この笑いの形式の中で最も面白いとされるのは、みんなが言い表せないもやっとした感覚をクールに言い当てる奴である。


 例えば田口。

 『教室の端と端で陽キャの会話見せつけんのやめてくれん? 俺ら辟易するから』

 これは上手い。俺と守本は教室の空気など意にも介さず二人で会話した。その様子を端的に『陽キャの会話』と揶揄し、教室のもやもやとした空気感を解消した。

 しかもその上『辟易』とかいう難しい言葉を使って、俺と守本に対してお前らとは違うと一線を引いてくる感じ。こういう言葉がスルッと出てくるところが凄い。


 実はその時の守本も上手い。俺と守本は初対面で、俺は守本になんと言おうか一瞬迷った。その時に守本は『喋ったことないからやりにくい奴やん』と言った。ツッコミをいれるとき『~な奴やん』っていう言い方は定型である。

 おそらく食レポとかで演者が食べる前に言う『絶対美味しい奴やん』っていうセリフから波及したものだと思う。『~な奴』という言葉使いをすると、言葉が直接的な対象を取らず、その場の空気感そのものを対象にとれるので、そこに含んだ意味が柔らかくなるのである。


 つまり守本が『時舛やりにくそうやん』と言っていたら、それは笑いにもならず、俺への直接的な攻撃になって、むしろ空気が引いていた。笑いの機微を解っている守本は俺が戸惑う様子を『喋ったことないからやりにくい奴』と言い換えた。俺ではなく場の空気を揶揄することで、俺への攻撃性が緩和され、皮肉だけが残って笑いになった。


 田口や守本は面白い。ああいう風に言葉を使い分けられる奴は皆から尊敬される。


 俺達はバラエティー番組を見るみたいに教室を見ている。

 初対面の時、絵に描いたように清純で礼儀正しい会話をしている裏で、ソイツが俺達の番組に出演できるかどうかを決めている。面白くない奴は出演させない。解かり切ったことしか言わなかったり、同じことばかり繰り返す奴。あと変に気取ってる奴、ネットに毒され過ぎてる奴、男女の機微が解ってない奴、そういう奴らって大体幼い。幼い奴は番組に出れない。教室にはいても、スタジオにはいないものとして扱われる。


 そうやってクラスメイトを勝手に色分けしている。面白い奴だけが発言できる暗黙のルールを作り上げている。その方が面白いって解ってるから自然とそうなるんだ。誰のせいでもない。みんな面白い方がいいに決まってるんだから、面白くするために、キャラ付けする。


 俺達は中学のクラス替えの度に番組を作ってるから、もうこの作業には慣れっこ。流行りのバラエティー番組のネタはすぐに取り入れる。古くてもクールポコやダンディ坂野は未だに面白いからギャグの定番として残り続ける。ユーチューブでも面白いものはすぐ取り入れる。最近は友達とお昼ご飯を決めるためにジャンケンをして、最終的に濃厚なラーメン屋に行く流れが流行ってたりする。


 でも、なんだかんだ松本人志は笑いの最前線にいる。

 スキンヘッドが出てきたら真顔で『待ってください。ちんこですか?』と聞くのが松本人志のスタジオだけでなくて俺達のスタジオでも流行っている。どちらかと言うとみんな松本人志になりたいと思っている。学校の中で一番センスのあるただ一人だけが、松本人志キャラになることができる。


 うちの学校でそのキャラになれるのは、俺でもなく田口でもなく守本でもなく、後藤だ。

 背面跳び伝説の『なっちゃん』だ。今朝は一年生をゲストにした手前、後藤は俺の受け手に回ってくれたけど、仲間で集まったときはアイツの方が百倍面白い。

 これも学校が作る暗黙のルールが導いた結論、つまり俺ら自身が後藤の面白さを認めてるということ。


 俺達の高校では今年も最前線の笑いが出来上がる。

 毎日を面白い日常にするために、クラスではキャラ付けが容赦なく行われる。テレビのバラエティー番組やユーチューバーの作る動画が俺達の心をとらえ続ける限り、この作業は、これからもずっと変わらない。


 俺はそう思う。


 けれど、そんな風に笑いを作る感覚に長けた俺達でも、一つだけ、作ることのできない笑いがある。

 それはバラエティー番組では知ることが出来ないもう一つの笑いの形だ。ユーチューブでもほとんどお目にかかれない笑いの形だ。

 俺達のほとんどは、この笑いの作り方を知らない。知ろうとも思わない。笑うことが大好きな俺達でも、この笑いにだけは、何故か手を付けない。


 ――いいや。ここからは、『俺達』じゃなくて『お前ら』って言うべきだろう。


 お前らは不思議なくらいこの笑いに対して奥手で、むしろ興味がない素振りすら見せる。これはきっと松本人志が作り出した風潮だと、俺は勝手に思ってる。

 スタジオをクールに眺めて的確なツッコミをいれることだけが笑いだろうか。皮肉な言葉遊びで場の空気を揶揄することが一番の笑いだろうか。


 俺はお前らに、もう一つの笑いを見せたい。 

 放課後、俺は一人の観客になってその笑いを見ていた。

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