1-9 関西の親子の会話

「小童も はやこの頃は 色つきて 油さしたり パーマかけたり」


 その句を詠んだのは母親だった。鏡の向こうで、つまり俺の後ろ側で、母親がジトーっとした目を俺に向けてる。

 俺は微調整を続けながら、詠み返す。


「陽炎も 稲妻も月も 蝶々も 色がなくては 誰も追うまじ」


 うーむ。これは俺の一本かなぁ。陽炎も稲妻も月も蝶々も、美しい見た目をしているから人間が追いかけるわけで、美しくなかったら誰も追いかけないからなぁ。

 俺は微調整タイムを続けるが、母親は構わず話しかけてくる。

 関西の親子の会話が始まります。


「どうでもええけど、アンタはよ洗面所どきや。舛奈ちゃん怒らはるで」

「アイツまだ寝とるやろ」

「もうすぐ起きはる」

「起きはっても舛奈は俺には怒らへんから大丈夫。アイツが怒るのは母さんだけ」

「せやねん。いっつもお母さんだけ怒られんねん。一日一回ヘイトスピーチ聞かされてる」

「ヘイトスピーチて。あ、てか、母さん俺の歯磨き粉勝手に使ってるやろ」

「え? なんで解ったん?」

「ホンマに使ってんのかーい。あんなけ歯磨き粉なんて安いのでいいって言ってたのに」

「そりゃ、家に高い奴あるならそっち使うよ。高い方がええ奴やし。ケチ言わんといてよ」

「まあええけど、電動歯ブラシは使わんといてや。あれは俺専用やから」

「あほ。電動なんてみみっちいし使わへんわ。歯磨きでウィーン鳴らして喜んでんのは洲屋市ではアンタだけ」

「それヘイトスピーチやわー。電動歯ブラシ使ってる人を差別してるわー」

「えー。これはヘイトスピーチちゃうもーん。お母さんは自分が思ったことを素直に言ってるだけやもーん」

「そんな適当なこと言うてるから舛奈が怒りよるんやで」

「はぁい以後気をつけまーす」


 ふーふふーふふー。髪の毛イジイジ。この襟足の外はねが芸術的。後ろから見たシルエットも芸術的。もちろん正面からみた顔も芸術的。

 髪の毛イジイジ。イジイジ。


「で、どうでもええけど、アンタその髪はなんなん? いつからパーマになったん? 昨日美容院いった?」

「美容院は行ってへんよ。アイロンで作っただけ」

「そのコテで? 自分でやったの?」

「うん。ええやろ? 別人やろ?」

「ええけども、スゴイけどもよ。アンタ、誰に教わってんのよその技術は。水商売の姉ちゃんとこいってんちゃうやろなぁ。お母さんそっちのが心配」

「行ってへんし。てかなんで髪のセット教わりに水商売の人のとこ行くねん」

「だって、そういうのて普通は女の子がするもんちゃうの。あとはホストの男の子とか」

「あのね母さん。今は普通の高校生もヘアアイロンするの。誰かに教わるとかじゃなくて、みんなユーチューブ見て独自に勉強すんのよ」

「ええ? ユーチューブで? 髪型勉強すんの?」

「そうですよ。プロの美容師の人が初心者でも出来るヘアアレンジいうて解説動画を出してくれてるわけ。皆それをマネするわけです」

「ふーん。スゴ。我が息子、Z世代や、テレビで言うてんのとおんなじや」

「せやで。我が息子Z世代やで? なんなら、こういう俺ですら若干時代遅れなんやで?」

「なんで?」

「今の子はさ、ユーチューブ見るだけじゃなくてさ、自分の動画を投稿しはんのよ。コスプレメイクしてみたとか、友達とディズニーランドで踊ってみた、みたいな。みんな自分の動画を世に広めて有名人になりたいわけ」

「ほんなんアンタもやったらええやん。そういうの得意やんか」

「え? 俺が? まあねー、ネット投稿はねー。ちょっとは俺も考えたことあるけど、池谷もやろうとか言ってくるし、まあやるとしても池谷とは絶対にやらんけど、なんかなー、ネットの世界はやる気が起きんって感じー。でも母さんがそう言うて応援してくれんのは嬉しいかもー」

「んでさ、アンタがユーチューバーになってちょっと人気出てきたら、お母さんもチャンネル開設して、アンタの歴代彼女とか闇バイトとか全部話すわ。名付けて、我が息子暴露系ユーチューバー。どや! なんぼでもネタあるで!」

「やめい。息子の暴露動画で人気になろうとすな」

「ほっほっほ」


 まったく朝から機嫌のいい母親である。関西人特有の適当節をかましながら台所の方へと消える。

 俺はもう少しだけ髪の調整をすることにする。髪の毛イジイジ、イジイジ。

 やがて朝ごはんの匂いが漂ってきて、そろそろセットも終わろうかなと思っていると、再び母親登場。


「もうええて、それで完成してるて」

「もうちょっと、もうちょっとだけ」

「舛奈きよる」

「来たらやめる」

「あ解った。そんなけセット頑張るってことは、ひょっとして告られた? 新しい彼女できちゃった? 誰? 誰? 教えて教えて」

「違う違う。これは単純に新学期キャンペーン。新学期やから頑張るってだけ」

「なんや新学期キャンペーンて。そんなキャンペーンあらへん。正直に言い。アンタ、ちょっと気になる子できたんやろ」

「だから違うて。ホンマにただの新学期キャンペーンや」

「ホンマに? 新学期なんて、みんなブッサイクな顔して学校いってんちゃうん?」

「そりゃブッサイクな人もいるけど、俺はブッサイクじゃあかんねん。ちょっとナルシストで、かっこよくて、面白い。そういうキャラ」

「ふーん。それで、実際アンタにカッコいいって言ってくれる人はいんの?」

「おらん」

「おらんのかい。そんなけ髪の毛セットしてんのにカッコいいって言われへんかったら意味ないやん」

「相変わらず母さんは解ってへんなぁ。言われんくてええねん。ホンマのイケメンは女の子にカッコいいなんて言わせたらあかんねん」

「どういうことよ」

「カッコいいって認めちゃったら、カッコいい人として扱わなあかんやろ? カッコいい人にはいろいろ気を使う。気軽にご飯食べよーとか誘えへん」

「うん」

「だから、俺はあえてちょっとナルシストなキャラになって、自分から俺カッコいいやろって雰囲気を出す。それで女の子に俺の事をナルシストってイジらせてあげる。俺もイジられてふんがーって乗ってあげる。そういう関係やったら、相手がイケメンでも気使わずに話せるやろ? 俺もそっちの方がやりやすい」

「ほんで、そういう親しみやすさを演出して、騙されて寄ってきた子を、まんまと釣り上げるわけ?」

「そらそうよ。俺優しいし、いっつも下から目線で会話してあげてるから、調子乗って舐めた口ききよる奴もおるけど、そんなん全員俺にメロンメロンやで。俺が来いって言ったらどこでもついて来よるわ」

「さいですか。でも時舛。アンタ一つ間違ってるで」

「なに?」

「そういう人はね、イケメンじゃなくて女の敵って言うのよ」

「同じ意味やから問題ないわ」

「生意気言いはるわ。鉄拳制裁が必要やわ。えーいっ、とおりゃあ」


 後ろから背中に緩いパンチとキックが飛んでくる。あいたあいた、と俺は反応する。

 俺と母親のやり取りはいつもこんな感じ。毒の効いた如何にもシニカルで関西人らしい言葉の応酬。そして、鉄拳制裁という名のパンチとキックでじゃれ合い。


 今日は特に母さんの機嫌がよく、もはやパンチ攻撃が抱き着き攻撃に変わろうとしていた。じりじりと母親の腕が俺の横腹あたりに回ってくる。


 しかし、そんな母の後ろからぬっと現れるチビの影。


「ほらまたコレ。お母さん、お兄ちゃんには全然怒らへんやん」


 妹の舛奈であった。母親はぱっと俺から離れ取り繕う。


「ああ見つかってしもた。ごめんごめん。退散するから許して」

「私が洗面所使ってる時は、無駄なことすんなとか、お前には化粧は早いとかめっちゃ言うやん。でも、お兄ちゃんには全然言わへん。甘々やねん」

「解ったお兄ちゃんにも怒るから。ほら時舛、アンタはよー、学校行く準備しや」


 母さんは舛奈の気を宥めようと対応しているが、


「もういいし。どうせ更年期障害やから何言っても忘れるんやろ」


 この一言で喧嘩勃発。 


「なんやてこのチビィ! お前そんなこと自分の親に言うてええ思ってんのか!」

「お母さんだってさっき人の事ブッサイクやとか言ってたやんか! 言われた側の気持ちも知らんで!」

「お兄ちゃんが相手やから言っとるんや!」


 こうして不毛な言い争いが始まって、びえーんと舛奈が泣き出すまでがいつもの流れ。中二の妹は絶賛反抗期中である。

 不毛な言い争いを続ける二人をよそ眼に、俺もそろそろセットを終わらせる。髪型を保持するためのヘアスプレーをかけてと。


 はいセット終了。


 じゃあ朝ルーティーンの最後の作業、掃除をする。

 髪をイジった後は洗面所に髪の毛がいっぱい落ちているので、これを全部ティッシュでくるみとる。濡れているところはタオルでふき取って、ヘアアイロンやワックスなど、使ったものを所定の位置に戻す。

 はい本当に作業終了。


 いよいよ泣き始めた妹に洗面所を譲る前、俺は最後にもう一度鏡を見ておく。

 少女漫画に出てくるような王子様がそこにいた。

 ふふふ、まあ新学期キャンペーンというのは本当でもあるし建前でもある。気になる人かぁ。強いて言うならアイツだよなぁ。


 ナゾナ・ゾロアスター、白くてちびっこくて少しだけ口が達者で、可愛らしいなぞなぞ趣味で、雪の花みたいな女の子。ふふふ、今日も放課後に会いにいってやるからな。俺のイケメンっぷりに落ちるがよい。

 さあ朝ご飯を食べて、レッツ登校。


 ――と、忘れてた。ハンカチ持たなきゃ。ハンカチはミラクルを起こす男の必需品。今日は最近ヘビロテの市松模様を選んでポケットに突っ飲む。

 今度こそレッツ登校。


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