1-8 リア充の髪セットで一句詠むうちの母親

 土日はしっかりと闇バイトに勤しみ、翌週の月曜日。

 朝、俺はいつもより一時間ほど早い時間に起床すると、家に一つしかない洗面所をどっかりと占拠していた。

 朝のスタイリングのお時間である。


 四月の新学期が始まって二週目。先週までは担任教師やクラスのノリを伺いつつ控えめにセットしていたが――もういい加減我慢なんねえぜ! 学校パンフレットの表紙みたいないい子ちゃんはやってらんねえ! 今日から全力でセットじゃ! 全力でチャラチャラするんじゃ! 丹波さんにも狙われてることだし、ナゾナ・ゾロアスターとかいうオモロイやつにも出会ったことだしな!


 ではまずは洗顔から行きます。


 ――とその前に。忘れてた。今日はパーマを作るのでヘアアイロンを温めなければ。

 洗面所の電源で温めるとドライヤーと被ってブレイカーが落ちてしまうので、安全な電源を求めてリビングへ。テレビ裏のコンセントにぶっさし、テレビ台の上でヘアアイロンを温めておく。設定温度は百四十度。温まるまで少々時間がかかる。必要になってから温めていては時間ロスになるのだ。


 さあ洗面所に戻って、改めて洗顔開始。

 カチューシャで髪をたくし上げて、冷水をばしゃばしゃと顔に浴びる。これで目をぱっちりと覚ましたら次は歯磨き。俺専用の高級電動歯ブラシと高級歯磨き粉で、鏡を見ながら丁寧に磨く。ウィーン、シャコシャコ。この微細な振動が癖になるんだよなぁ。ウィーン、シャコシャコ、カチ、歯磨き終了。


 その後、再び洗顔に入る。今度は洗顔料をつかってじっくりと。肌を柔らかく撫でるように泡を広げてゆく。泡を流すタイミングは、泡を顔全体に広げてから三十秒と決めているので、目を瞑りながら数える。二十八、二十九、三十。流す。タオルで優しく水をふき取る。


 これで洗顔フェイズ終了。

 女子はここから乳液やオイルを使ったスキンケアフェイズに入ると聞くが、俺のルーティーンにそのフェイズはない。男はニキビと乾燥肌さえ防げればよいのだ。ニキビ予防はさっきの洗顔で事足りる。乾燥肌はひどいと感じる時だけ母親の化粧水を借りて使用することにしている。


 どうかな? 今日の俺の肌は乾燥してるかな?


 鏡に目を近づけて自分の顔を覗き込む。見た目には乾燥しているかどうかなんて解らない。髭もほとんど生えない体質なので、いつも肌はツルツル。まあ、新学期キャンペーン中なので今日は化粧水も使っておこう。洗面器の横の棚から母親の化粧水を取り出す。手のひらにぱっぱと液体を落し、ぺちぺち顔にあてる。成分なんてよく解らないけど、とにかくこれで肌が保湿されて乾燥が防げるらしい。


 スキンケアフェイズ終了。なんだか肌に艶が出た気がする。これでよし。


 さあ、次はいよいよ髪のセットにはいる。新年度でクラス替えが行われたばかりなのでこだわっていくぞ。新しいクラスメイトに匠のヘアスタイルを見せつけてやるのだ。本日の目標は少女漫画の王子様風ゆるふわエアリーカールヘアー。


 というわけで、まずは洗顔用につけていたカチューシャを外してと。ここでおもむろに上半身裸になる。そのままお風呂場に突入し、シャワーで髪を濡らす。髪の根元までしっかりと、かつ下半身が濡れないよう慎重に。

 シャワーが終わったらタオルで水分を十分ふき取る。


 続いてドライヤー作業になります。

 スイッチオン。ブオオオンとドライヤーの温風を響かせる。まずは全体を乾かす。前から後ろから左右からブオオオンブオオオン。髪を手ですくいながら毛の根本に向かって温風を吹きつける。時折全体をわしゃわしゃしながら髪の乾き具合を確認。ほとんど水分を感じなくなったら、次は髪を立たせる作業。元々髪質の柔らかい俺はワックスだけで髪を立たせてもすぐにペタっとしてしまうので、ドライヤーの段階である程度髪を立たせておくのだ。ブオオオンっとね。髪のてっぺんが逆立つように温風をあてる。逆に側頭部はボリュームのない方が綺麗になるので、髪をおさえながら温風を当てる。ブオオオオンっとね。

 最後は冷風で形を固定したら、ドライヤーは終了。


 さあ次はいよいよパーマを作るぞ。ヘアアイロンで巻き巻き作業だ。リビングで温めていたヘアアイロンを取りにゆく。ランプは緑色、温め完了の合図。洗面所に戻ってドライヤーのコンセントをヘアアイロンに差し替えて、巻き巻き開始。


 まずは襟足部分から一つまみ。ヘアアイロンでかちっとはさんで外側にくるん。次は今作ったカールのちょっと上の髪を一つまみ。今度は内側にくるん。こんな感じで外はねと内はねを交互に作り、髪の全体が均一なカールになるようにする。いとこのお姉さんと一緒に何度も練習したので、アイロンの扱いにはなれたもの。前髪の処理はちょっと別で、分け目を右目の上あたりにとったら、おでこ側に向かってゆるーく巻く。手で形を整えて左流しを作る。これで前髪もオッケ。


 髪全体にカールを作れたら、ヘアアイロン終了。百四十度の高温を放置しては非常に危ないのでスイッチオフ。コンセントも抜いて、元のドライヤーに差し替えておく。


 さあ手櫛で全体の形を整えて、鏡で自分の顔を見つめてみる。この時点で既にゆるふわカールヘアーの面影は見えている。が、王子様というにはまだ足りない。せいぜいイケメンな親戚の兄ちゃんってとこ。あるいは青年漫画のダークな主人公。もしくはラノベの本気を出せば強い系の主人公。


 つまり、髪が重たい印象を受けるのである。少女漫画の王子様の髪はふわっふわーでエアリーでなくてはならぬ。


 そこでワックスが登場する。軟毛の俺にはキープ力のあるマッドなタイプ。適量を取り出して手の平に塗り込む。後頭部から髪の中に手を突っ込み、ワックスを揉み込むようにしながら髪を逆立たせていく。サイドも同じようにして、もみもみと髪にワックスを馴染ませながら、前髪以外の毛を全て逆立ちさせる。


 ガオーンとライオンのような髪型になった。いや、遊んでいるわけではなく、これが正しいワックスの付け方。このライオンヘアーから手を左右に振って髪を散らしながら降ろしていくと、あら不思議、毛同士がいい感じにくっついて細かい毛束が出来上がる。

 この細かい髪の束が王子様が醸し出すエアリー感の正体なのだ。


 再び手櫛で全体を整えて鏡とにらめっこ。ふふふ、元の直毛スットンヘアーとは見違えるほどの変化。少女漫画の王子様はもうすぐ出来上がる。

 俺は鼻歌交じりでワックス作業を続けた。もう一度ライオンヘアーにして、散らしながら降ろす。毛束が均一になるよう手で直接割いて調整する。鏡を見る。ふぅむ、王子様っぽいけど、襟足がまだまだ気に入らん。毛束を割く。右側をいじったので左側も割く。これで完成か。いや、毛の流れが全然だめ。前頭部、右に流す髪と左に流す髪と、より厳密に選別する。さわさわ。これで完成か。あ、前髪も調整しなきゃ。毛先にちょこっとだけワックスをつける。割れませんようにと。さあこれで完成か。いや、後頭部の形が美しくない。もうちょっと盛らなければ。もりもりさわさわ。これで完成か。いや、今気づいたのだが、全体的に躍動感が足りない気がする。もっと毛を動かさねば。エアリー感を追い求めるのだ。


 いじいじ、いじいじ、髪の毛いじいじ。


 と、男の子の髪セットにありがちな永遠の微調整タイムに入っている時だった。 

 唐突に、詩が聞こえてきたのである。


「小童も はやこの頃は 色つきて 油さしたり パーマかけたり」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る