ミッション1/プロポーズ編③

 翌日。ダイヤモンドルースを取り返すため、千颯ちはやみやびは京都市内を彷徨うことになった。メモによれば、ミッションとやらをクリアすれば返してもらえるようだけど……。


「まずはどこに向かえばいいんだろう?」

「清水の舞台から飛び降りるつもりで~って書かれとるから、清水寺やない?」

「そのまんまだけど……とりあえず行ってみるかぁ」


 なぎのことだから凝った仕掛けはしてこないだろう。素直に清水の舞台に行くのが正解な気がする。


 アパートを出たところで、隣を歩く雅に手を差し出す。


「手、繋ごっか」

「ん」


 おずおずと差し出された手を握って、指を絡ませる。雅の手は冬場だというのに、スベスベとしていて柔らかい。きっと入念に手入れをしているんだろう。


「何にやけてはるん?」

「んー、嬉しいなって」


 素直な気持ちを伝えると、雅は視線を逸らす。


「嬉しいって、そんなこと言っとる場合なん? 大事なもの盗まれたのに」

「そうだけどさ、丸1日雅を独占できるのは嬉しい」


 雅は仕事であちこち飛び回ることが多いから、予定を合わせるのも一苦労だ。休日に丸一日独占できるのは、結構レアだったりする。


 できることなら一緒に暮らしたいけど、雅は順序を大切にするタイプだから同棲の提案をしても断られるのがオチだろう。だからこそ、結婚してずっと一緒にいられる状況を作りたかった。


 まさか今日プロポーズするなんて、昨日の時点では想像もしていなかった。だけど、こんな事態になったからには覚悟を決めなければならない。


 今日、雅にきちんとプロポーズをする。そのためにも、ミッションをこなして凪からダイヤモンドルースを取り返さなければ。


「頑張るぞ」


 密かに気合を入れてたつもりだったが、声に出ていた。雅はクスっと笑う。


「随分気合入っとるんやねぇ」

「だって俺達の人生がかかっているから」


 そう漏らすと、雅は足を止める。ハッと息を飲んだ後、小さく呟いた。


「ああ、そういうことなんや……」

「え? 何か言った?」

「ううん。気にせんといて!」


 雅の呟きは、千颯には届いていなかった。


*・*・*


 二人は清水寺まで続く坂を登る。このシチュエーションは、なんだか懐かしい。浴衣姿の男女とすれ違うと、かつての自分の姿が蘇った。


「この道、みんなで通ったよね。懐かしいなぁ」

「ほんまやねぇ。みんなで浴衣着て清水寺まで行ったなぁ」

「雅の浴衣姿、綺麗だったなぁ」


 何気なく感想を口にすると、雅からジトっとした視線を向けられる。


「あの時の千颯くんは、みんなにデレデレやったけどなぁ」

「ぐっ……」


 痛いところを突かれてしまった。咄嗟に言い訳をする。


「だってさ、綺麗なものには綺麗、可愛いものには可愛いって言うのが礼儀でしょ!」


「思ったことをすぐに口にできるのは、千颯くんの長所やけど、不用意に褒めると誤解されるで? いまの千颯くんはカッコええんやから余計に……」


「え? 最後のとこ、もう一回言って?」


 雅は「アホ」と小さく吐き捨てながら、恥ずかしそうにプイっとそっぽを向いた。




 清水の舞台までやって来ると、柵の向こう側には燃えるような紅葉が広がっていた。


「ここも懐かしい……」


 この場所に来ると、かつての記憶が蘇る。雅ではない、別の彼女との記憶だ。もう未練は残っていないけど、記憶を消すことはできない。あの子と過ごした日々も大切な思い出だから。


「何ぼーっと突っ立ってはるん?」


 何も知らない雅は、不思議そうに首を傾げる。そこで現実に帰ってきた。


「なんでもないよ。それより凪を探そう」


 人混みの中から凪を探してみたが、見当たらない。ベビーカーを押しているだろうからすぐに見つかると思っていたけど。


 そんな中、雅は驚いたように声をあげる。


「ええ!? お兄ちゃん!?」


 雅は眉を顰めながら一点を見つめている。その視線を追いかけると、若い女性に囲まれながら困ったように愛想笑いをする朔真がいた。


 もう三十歳を超えているはずなのに、二十代半ばといっても差し支えのない若々しい風貌だ。大方、清水の舞台で立って居るイケメンに、女子達が寄ってきたという状況だろう。


「お兄ちゃん、また囲まれて……。ちょっと助けに行ってくるわぁ」

「うん、いってらっしゃい」


 雅は作り笑顔を浮かべながら輪の中に飛び込むと、朔真の腕を掴んで戻ってきた。戻ってくる途中で「ほんまにもうっ! なんで断れへんの?」と責め立てられていた。


 千颯の前までやって来ると、朔真は髪をかきあげながらキラキラとした笑顔を浮かべた。


「千颯くん、久しぶりやねぇ」


 完璧な笑顔で挨拶をされているのが逆に怖い。千颯は警戒しながら頭を下げた。


「お兄さん。お久しぶりです。お元気そうで何より」

「お兄さん……ええ響きやなぁ。これらは僕のことはそう呼びや」

「はあ……」


 高校時代は、「あんたにお兄さんと呼ばれる筋合いわない」と怒られたのに、いまはお兄さん呼びを許可されている。これは結婚を許してもらっていると解釈してもいいのか?


「というか、お兄ちゃん、なんでここにおるん?」

「凪さんから電話をもろってなぁ、千颯くんを弟にできるチャンス……いや、二人の大事な門出に協力して欲しいって言われてなぁ」

「お店は?」

「抜けてきた」


 雅は「また迷惑かけて」と頭を抱えていた。


 そういえば朔真は、実家の和菓子屋「甘夏屋」で働いていると聞いた。忙しい身のはずなのに、凪の突拍子のない行動に巻き込んでしまって申し訳ない。


「あの、スイマセン。変なことに巻き込んでしまって」

「かまへんよ。可愛い妹と弟のためやったらなんでもするわ」


 自分まで可愛いの括りに入れられたような気がするが、あまり深くは考えないようにした。


 朔真はポケットから紙を取り出す。


「ミッションを読み上げるで」

「お願いします」


 言いたいことは色々あるが、とりあえずはミッションを聞くことにした。


「ミッション1 お互いの好きな所を10個あげよ」

「はああああ!? なんやそれ!」


 真っ先に意を唱えたのは雅だった。一方、千颯は全く動じていない。


「なんだ、そんなことか。そんなの余裕だよ」

「そうやろな。僕だって雅の好きな所は10個どころか100個は思いつくわ」

「俺は150個は思いつきますよ」

「ほんなら僕は200個」

「じゃあ俺は」

「ちょっと、ちょっと! 二人で競わんといてくれる!?」


 大人げなく競う二人を、雅が止めに入る。朔真は場を取り成すように咳払いしてから、千颯に話を振った。


「千颯くんからどうぞ」


 合図をされたところで、ひとつずつあげていく。


「まずは、美人さんな所でしょー、京都弁ではんなり喋る所でしょー、服装がお洒落な所でしょー、胸が大きい所でしょー」

「ちょい待ちぃ! それ外見だけやん!」

「それだけじゃないって。最後まで聞いて」


 雅は、むむむっと一度黙り込む。圧を感じながらも、千颯は続けた。


「ご飯を美味しそうに食べる所、それと目が合った時に恥ずかしそうに逸らすのも可愛い。あと、『千颯くん』って呼ぶときだけちょっと声のトーンが高くなる所もいいなぁ」

「細かい、細かい!」

「あとは、寝ている時にぎゅーっと腕を絡ませてくる所とか、気付かれないように頬をツンツンしてくる所とか」

「待って。それ、今朝の話じゃ……千颯くん、寝てたやん……」

「ごめん、起きてた」

「はうううううっ!」


 雅は顔を覆いながら悶えていた。そんな反応も可愛いけど、いまはミッションをクリアすることを優先させる。


「まあ、だけど、一番好きな所はこれかな」


 こちらに注目する雅に、千颯は穏やかに微笑みかける。


「優しいところ」


 雅は驚いたように固まる。想いが伝わるように、千颯は真面目に伝えた。


「俺は雅の優しさに何度も助けられた。高校時代も雅が優しく背中を押してくれたから、前に進めたんだよ。多分、雅と出会ってなかったら、俺はもっと卑屈で駄目な奴になっていたと思う」

「そ、そんなん大袈裟やわぁ」

「大袈裟じゃない」


 千颯はそっと雅の手を取る。


「俺は、優しい雅のことが大好きだよ」


 直球で伝えると、雅の顔はカアアアと赤くなる。


「ほんまに、千颯くんは、もうっ……」


 俯きながら照れる雅に、まったく穏やかに微笑む千颯。その二人を見て、朔真はうんうんと納得するように頷いた。


「合格やな」

「やった! ありがとうございます」


 朔真から認められて、千颯はガッツポーズを浮かべながら歓喜した。「ついでに僕の好きな所も……」という朔真の言葉は、千颯に届くことはなかった。


「じゃあ、次は雅の番だね」


 ミッションをクリアして晴れやかな表情を浮かべる千颯とは対照的に、雅は顔を引き攣らせた。


「うちも言わなあかんの? 10個も?」

「10個もって……俺の良い所、10個もない感じ?」

「そういうわけやないけど……」


 それならよかった。10個もないとか言われたら、かなりショックだ。


「こういうのは引き延ばすと余計にやりにくくなるよ」

「うー……もうしゃあないわぁ」


 雅は諦めたように溜息をつく。それから順番に挙げていった。


「まずは素直で単純なとこやろー、思ってることがすぐに顔に出るとこやろー、嘘つくのが下手なとこやろ、落ち込んでもすぐに忘れるとこやろー」

「ねえ……それ、褒めてる? 貶されてない?」

「黙っとって」

「はい……」


 千颯はシュンとしながら黙り込む。


「あとは、昔よりも垢抜けたとこ、昔よりも気遣いができるようになったとこ」

「あー、昔基準での比較なんだねー……」

「あとは、スーツが似合うとこやろー、仕事の時たまにかける眼鏡もええなぁ」

「え? 雅って眼鏡好きなの? なんだ早く言ってよー。これから毎日かけるから」

「たまにかけるからええんや! 千颯くんはなーんも分かっとらん!」

「ああ……スイマセン……」


 怒られた。勢いに押されて謝ってしまった。


「あと2個やな」


 朔真の言葉で、雅は止まる。ふうっと一息ついてから、早口で続けた。


「これは前にも伝えたけど、人の気持ちに寄り添える優しいとこ」


 その言葉は、温泉旅行の時に聞かされた。当時の記憶が蘇り、顔が熱くなる。


「あと一個は?」


 急かすように尋ねると、雅は恥ずかしそうに視線を落とす。数秒の沈黙が続いた後、観念したように口を開いた。


「好きって、ちゃんと言葉にしてくれるとこ」


 その言葉はちょっと意外だった。雅からは鬱陶しそうにあしらわれるばかりだったから。


 嬉しさが溢れ返って仕方がない。千颯は咄嗟に雅の両手を握る。


「雅、好き。超好き。愛してる」

「ちょっと……こんな人前で……」


 雅はチラチラの周囲の様子を窺う。名残惜しさを感じながらも、千颯は手を解いた。


 すると、これまで蚊帳の外だった朔真が、パチパチと手を叩く。


「これでミッションクリアや。おめでとう。お幸せに」

「ありがとうございます」

「二人には、これを渡さんと」


 朔真はポケットからメモ用紙を千颯に手渡した。


「なんです?」

「次のミッションや」

「まだやるんですか?」

「らしいな」


 まだ凪の茶番に付き合わされるらしい。朔真からは「気ばりやー」と声援を受けながら、二人は清水の舞台を後にした。


*・*・*


「あ、雅。ここに寄ってもいいかな?」

「ん? かまへんよ?」


 千颯が指さしたのは縁結びの神様が祀られている地主神社だ。不思議そうに首を傾げる雅に、千颯は穏やかに微笑みながら伝えた。


「縁結びの神様にお礼を言わないと。雅との縁を結んでくれて、ありがとうって」


 雅は驚いたように目を見開いていたが、すぐに柔らかく表情を緩ませた。


「そやね。うちもお礼言わな」

「うん、一緒にお参りしよう」


 二人は手を繋いだまま、地主神社に向かった。


 順番がやって来ると、二人は拝殿の前に立って両手を合わせる。


(雅と巡り合わせてくれてありがとうございます。これから一生大切にします)


 宣言通り、雅との縁を結んでくれたことへの感謝を伝える。この先の誓いも添えて。


 だけど本当はこれだけではない。もう一つ、お願いしたいことがあった。


(あの子にも、素敵なご縁がありますように。たくさんの幸せが降り注ぎますように)


 かつて大好きだったあの子の幸せも、願わずにはいられなかった。

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