失われたダイヤモンド/プロポーズ編②
そういえば、今日はいつもより大きい鞄を持っていた。初めからそのつもりだったというのは、もっと一緒にいたいという意思表示だろうか?
雅はローテーブルの前に座り、澄ました顔でマグカップに残ったコーヒーを飲む。一見落ちついているように見えるが、時折チラチラとこちらの様子を窺っていた。多分、表には出していないだけで、内心はソワソワしているのかもしれない。
冷静を装っている姿がいじらしくて、
「今日は朝まで一緒にいられるね。嬉しい」
雅は驚いたようにビクンと肩を震わせる。
「驚かせんといて……心臓に悪い……」
「ごめんごめん。けどさ、俺ずっと我慢してたんだよ。
「当たり前やん。人前ではあかん」
「うん。雅はそう言うと思った」
千颯は抱きしめる力をもう一段階強める。雅は小柄だから、肩から手を回すとすっぽりと収まった。
「だからさ、いまこうしてる。嫌?」
雅は少し考えるように押し黙った後、ふるふると小さく首を振った。
「嫌やない……」
その反応を見て、愛おしさが溢れ返った。
「ねえ、雅」
「なに?」
振り返った瞬間、唇の端にキスを落とした。雅は驚いたように息を飲む。
唇を離して腕を解いた後、千颯は肩を竦めながら笑った。
「惜しい。不意打ちだったからちょっとズレた」
その直後、雅はみるみるうちに真っ赤になりながら口元に手を添えた。
「なっ、何して……」
「嫌だった?」
「嫌やない、けど、あかん」
「どっちだよ」
千颯は吹き出すように笑う。それから雅の腕を引いて、ベッドの端に腰掛けた。
雅は手を引かれるまま、ちょこんと千颯の膝の上に座る。そこでもう一度、後ろから抱きしめた。
「雅の『あかん』はイマイチ分からないんだよなぁ」
「なんなん、急に?」
「本気で嫌がってる時と、そうじゃない時があるじゃん」
「そうじゃない時って……」
タジタジになる雅の耳元で、千颯は囁く。
「『もっとして』って意味の時も『あかん』って言うじゃん。この前だって……」
心当たりが合ったのか、雅は耳まで真っ赤にしながら声にならない悲鳴をあげる。
「おかしなこと言わんといて! あかんもんはあかんわ!」
雅は身を捩らせながら腕を払いのけて、膝の上から降りる。そのまま部屋の隅までぴゅんと逃げていった。雅は鞄をぎゅっと抱え込みながら、抗議するように眉を顰める。
「千颯くん、一度スイッチ入ると止まらなくなるやん。温泉の時だって……」
そういえば、と何時ぞやの夜を思い出す。あの時は、「嫌だったら途中で止めるから」なんて物分かりの良いことを言っていたけど、結局止めることなんてできなかった。もちろん、雅から本気で拒否されなかったからという前提条件があったけど。
「ごめん、あの時はちょっと強引だったよね? もし雅が本気で嫌がるなら、もうしないよ?」
雅の反応が見てみたくて、ちょっと鎌をかけてみた。沈黙が続いた後、蚊の鳴くような声が返ってきた。
「……あかん」
「それはどっちの意味?」
意地悪な質問をすると、雅は恥ずかしそうに鞄で顔を隠した。
「恥じらうのも可愛いけどさ、どうして欲しいのかちゃんと言ってくれなきゃ分からないよ?」
雅の気持ちが知りたくて追求してみる。すると雅は僅かに潤んだ瞳で、こちらを睨んでいた。
「ほんま、いけずやわぁ」
危うくストッパーが外れそうになる。何とか自制心を働かせて思いとどまった。
心を落ち着かせるため、ローテーブルの前で腰を下ろすと、床にメモ用紙が落ちていることに気付く。
「なんだこれ?」
メモ用紙を拾って裏返すと、衝撃的な文字が書かれていた。
【永遠の絆は私が奪った。返して欲しければ、清水の舞台から飛び降りるつもりでミッションに挑め 怪盗なぎちぇ】
嫌な予感がする。千颯は咄嗟にテレビボードの下を漁った。例の物はここにしまっておいたはず。
「ない! なくなってる!?」
プロポーズのために用意したダイヤモンドルースは、箱ごと姿を消していた。
千颯は膝から崩れ落ちる。犯人はどう考えても凪だ。まさか大人になってまで、こんな悪戯をされるとは思わなかった。
万が一、失くされでもしたら相当へこむ。一週間くらいはへこむ。先ほどまでの甘い空気は吹っ飛んで、絶望したように頭を抱えた。
「どしたん、急に?」
雅が心配そうに顔を覗き込む。千颯は項垂れながら、メモ用紙を手渡した。
「永遠の絆は私が奪った……なんやこれ? 犯行予告?」
「もう既にないから犯行報告だよ」
「永遠の絆ってなんなん? 何かの暗号?」
「それは……」
永遠の絆というのは、ダイヤモンドルースのことだろう。ダイヤモンドの石言葉が「永遠の絆」であることは、宝石店で購入する時に教えてもらった。
とはいえ永遠の絆の正体を雅に明かすわけにはいかない。ダイヤモンドルースの話題を出せば、プロポーズをしようとしているのがバレバレだ。サプライズとして成立しなくなる。
何より雅のために用意したダイヤモンドを凪に奪われたなんて、情けなくて言えない。
「詳しくは言えないけど、とっても大事なものなんだ……」
項垂れながら答えると、溜息をつく音が聞こえる。
「凪ちゃんがこんな悪さをしてたなんて気付かへんかった。これはうちの落ち度でもあるなぁ」
「そんなことは……」
「せやけど、ミッション? に挑めば返してもらえるみたいやし、そんなに落ち込まなくてもええんやないの?」
雅は千颯を慰めるように、そっと頭を撫でた。その気遣いが嬉しい。だけど喜んでばかりもいられない。
「とりあえず凪に電話してみる」
「それがええなぁ」
千颯はローテーブルに置いたスマホを手に取り、アパートの外に出た。
外に出ると冷たい風に晒されて、身震いする。コートを着て来ればよかったと後悔したが、今更取りに戻るのも面倒くさい。さっさと電話を済ませることにした。
連絡が繋がらないことも予想していたが、凪は3コールで電話に出た。
「はいはーい」
「おい、ダイヤモンドルースをどこにやった!」
「ふっふっふ……やっと気付いたようだね。流石は名探偵」
「誰が名探偵だ! こんなの誰だって分かる!」
「まあまあ、そんなに怒らないでよ。私は千颯のプロポーズに協力しようと思っているだけだから」
「協力?」
思いがけない言葉が飛び出して、訝しげに聞き返す。
「だって千颯、言ってたじゃん。どうやってプロポーズをしていいか分からないって」
「……言ったけど」
「だから私がお膳立てしてあげる。いや、私達で!」
自信満々に宣言する凪。呆気にとられたが、すぐに我に返る。
「いやいやいや! いいからそんなの。それに『達』ってなに!? 他に協力者がいるの?」
「それはこれから募るつもり。とにかく、千颯は予告状に書いていた通りの場所に行けばいいから。最後までミッションをこなしたら、最高のシチュエーションでプロポーズできるようにお膳立てしてあげる」
「だからいいんだって、そんなの!」
「じゃあね~、健闘を祈る!」
「ちょっと、話を」
ツーツーっと電話が切れる。千颯は頭を抱えた。
これは想像以上に厄介なことになってしまった。凪にプロポーズの相談をしたことを、心底後悔した千颯だった。
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