温かくて心地いい/温泉旅行編⑥
ポシャンと水音が響く。小さな箱の先では、ここよりずっと大きな海が広がっていた。
まだ薄暗い空の下、
昨日までは一緒に風呂に入るなんてありえないと言われたけど、いまはもう吹っ切れたらしい。せめてもの抵抗なのか、バスタオルできっちり身体を隠しているが。いまさら隠さなくても……と思ってしまったが、余計なことは言わないでおいた。
雅を膝の間に座らせて、後ろから抱きしめる。ふうっと息を吐きながら、千颯は藍色の空を見上げた。
「こうして夜明け前に一緒にいるとさ、初日の出を見た日を思い出すね」
雅はじーっと海を眺めている。それから冷静にツッコミを入れた。
「日の出見えへんやん」
「そりゃあそうだよ。こっち日本海だもん」
至極まっとうなことを言うと、雅は肩を震わせながら笑った。
「なんやそれ……けどまあ、言いたいことは分かるわぁ」
「でしょ?」
伝わって良かった。日の出は見えないけど、雅の体温を感じながらドキドキしている状況はまったく一緒だ。だけど、心持ちはあの時とはまったく違う。
雅も同じだったのか、海を眺めながら心の内を明かした。
「あの時は、寒くて苦しかったけど、いまは違う」
雅の言葉に耳を傾ける。振り返った彼女は、穏やかに微笑んでいた。
「温かくて心地いい」
そうだ。あの時とは全然違う。この温もりをもう手離さなくてもいいのだから。
笑顔を浮かべる雅の頬に、そっとキスをした。
「俺も同じ。温かくて心地いい」
不意打ちをかまされた雅は、恥ずかしそうに視線を逸らした。そのまま海の方へ向き直る。恥じらった表情をもっと見たくなって、千颯は耳元で囁いた。
「昨日は可愛かったよ」
雅の肩がビクンと跳ねる。昨日というか、今朝というか、さっきの出来事だけど、ニュアンスで伝わっているはずだ。むしろ伝わっているから、これほどまでに真っ赤な顔をしているのだろう。
雅は伸ばした足をキュッと縮めて膝を抱える。そのまま弱々しい声で呟いた。
「あんなことまでして、責任取ってもらわな困るで?」
責任。それが何を意味するのかはすぐに分かった。それだけのことをしてしまったのだから。
「もちろん。喜んで責任を取らせてもらうよ」
雅を抱きしめる力を強めて、首筋にキスを落とした。雅の肩がもう一度ビクンと跳ねる。
正式なプロポーズは後日改めてするつもりだから、決定的な言葉はまだ伝えずにいた。何の準備もなく伝えるよりも、きちんと準備した上で伝えた方がいいに決まっている。その方が、特別な思い出になるはずだから。
千颯は雅の左手を取る。そのまま薬指の付け根に触れた。もにもにと触っていると、雅から指摘が入る。
「何してはるん?」
「んー? どれくらいかなって」
触れただけではサイズは分からない。雅の指は細いからかなり小さめのサイズになることが予想できるが、号数までは分からなかった。
どうしたものかと考えていると、雅の細い指が千颯の指に絡められた。
「一緒に選ぶのでもかまへんよ。その方が特別な思い出になる」
その言葉で心が軽くなった。
「うん、じゃあそうしよっか」
繋いだ手にぎゅっと力を込めた。少しずつ明るくなってくる空を眺めながら、千颯は呟く。
「幸せだね」
「うん。うちも幸せ」
二人は顔を見合わせて笑い合った。
温かいのは、きっと温泉のせいだけじゃない。この温かさが、ずっとずーっと続けばいいと願っていた。
ちはみや 温泉旅行編 fin.
◇◇◇
最後までお読みいただき誠にありがとうございます!
「二人が結ばれて良かった!」「雅が可愛い!」と思っていただけたら、★★★で応援いただけると幸いです。
♡や応援コメントも大変励みになりました。ありがとうございました。
次回の番外編は雅視点のお話になる予定です。
時系列は千颯に温泉旅行に誘われた直後。初めは誘いを断っていた雅が、なぜ行く気になったのかを明かしていけたらと思います!
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