同じ未来を見据えていたい/温泉旅行編④

 美味しい食事をお腹いっぱい食べてから、千颯ちはやみやびは部屋に戻った。部屋には既に布団が敷かれていたけど、その敷き方に少し問題がある。


 二組の布団は、隙間なくぴったりとくっついて敷かれていた。そのことに気付いた雅は、慌てて布団を部屋の隅と隅に引き離す。


 何もそこまで離さなくても……とがっかりしたけど、お堅い雅にとってはすぐ隣で寝るなんて許せないのかもしれない。


 とはいえ、このまま部屋の隅と隅で寝るのは癪だったから、罵倒されるのを覚悟で甘えた提案をしてみた。


「せっかくだし、くっついて寝ようよー」

「アホ」


 予想通りの反応だ。千颯は苦笑いを浮かべながら、部屋の隅っこに敷かれた布団に腰を下ろした。


 冗談はさておき、部屋に二人きりという状況はどうにも緊張してしまう。それは雅も同じだったのか、歯磨きをしたり、髪を梳かしたり、明日着る服をハンガーにかけたりと忙しなく動き回っていた。


 用事が全て済むと、パチンと部屋の電気が消される。


「いやいやいや、寝るにしてはまだ早いでしょ。まだ9時前だよ?」


 抗議をしてみるも、雅はモソモソと布団に潜るばかり。もう少し雅と話したいのに、こんなに早く消灯するなんてあんまりだ。修学旅行だってもっと消灯時間は遅い。


「ねー、雅。もう寝ちゃうの?」

「寝る」

「雅ってそんなに早く寝る人なの?」

「普段はこんな早くない……けど今日はあかん……」

「なんで?」


 そう尋ねると、雅は頭まで布団を被った。そのまま蚊の泣くような声が聞こえてくる。


「千颯くんと二人きりで部屋におると、緊張しておかしくなる」


 ぎゅんと心臓が掴まれる。


(そんなのは俺だって一緒だよ)


 雅と部屋の中で二人きりというシチュエーションだけでもうヤバい。冷静を装っていたけど、内心ではドキドキソワソワして仕方がなかった。


 雅も同じということは、ちょっとは意識されているのかもしれない。それでもやっぱり好きという言葉がないと不安だった。


 千颯は渋々布団に潜る。そのまま布団に籠城している雅に声をかけた。


「布団被ったままでもいいから、もう少し話そうよ」


 これまでも雅とは色々な話をしてきた。離れていた間の話、仕事の話、家族の話……。だけど離れていた10年の月日はそんなことでは埋められない。


 もっと彼女のことを深く知って、理解したかった。


 雅は布団から頭を出す。話をする気になってくれたのかもしれない。


「話ってどんな?」

「そうだねー、留学の話は前に聞いたからねー」

「お兄ちゃんが週1で電話をかけて来て、鬱陶しかったって話をしたやん」

「うん、聞いた。朔真さくまさんらしいって思った」

「会社を立ち上げるまでの話もしたやん」

「うん、聞いた。その話を聞いて、ますます雅のことが好きになった」


 サラッと好意を伝えると、雅は恥ずかしそうにしながら布団を口元まで手繰り寄せた。


「ほ……ほんなら何の話をするん?」


 暗い部屋の中でも雅が動揺しているのが見てとれる。そんな姿も可愛い。


 可愛い雅をもっと眺めていたい。いまだけじゃなくて、この先もずっと。

 そのための手がかりを知りたかった。


「それじゃあ今日は、未来の話をしようか」

「未来?」

「うん。どんな家庭を持ちたいかとか、そういう話。前に子供は三人ほしいって言ってたから、結婚願望はあるんでしょ?」

「そやね。結婚はしたいとは思ってる」


 その言葉で期待してしまう。「相手は俺でもいいの?」なんて聞いたら、また罵倒されてしまうだろうか?


 踏み込みたい気持ちをグッと堪えて、千颯は続けた。


「なら、どんな家庭にしたい?」

「そんなん急に言われてもなぁ……。まず千颯くんから教えて」

「俺? そうだなぁ……」


 真っ先に質問返しされるとは思っていなかった。だけど考えていないわけではない。ぼんやりと浮かんでいる理想像を言葉にした。


「忙しくても家族との時間を作ろうと努力できる家かな」


「家族との時間かぁ」


「うん。たとえば、年末は家族揃って食事をしたり、夏休みは旅行したり、誕生日には必ずケーキを買ってきたり、そういう家。うちの両親、仕事でなかなか家に居なかったんだけど、イベント事は欠かさずやってたから」


「仲ええんやね。千颯くんちは」


「そうだね。中高時代は面倒くさいって思ってたけど、大人になってからその有難みが分かった。忙しい中でも時間を作ってくれたから、離れていてもちゃんと家族で居られたんだと思う」


 雅と結婚した後の生活もぼんやりと想像していた。多分雅は、仕事で忙しいだろうから、普段はなかなか家族との時間は取れないと思う。出張も多いようだし、家に居ない日もあるのだろう。


 それでもちゃんと繋がりを保っていたい。幸運なことに、そのための術を千颯は知っていた。かつての自分の家族の振る舞いを思い返せば、繋がりを保っていられるような気がした。


「素敵やね。そういうの」


 肯定してもらえた。表情ははっきりとは見えないが、口調は穏やかで優しい。建前ではなく、本音で肯定されているような気がした。それだけでとても嬉しい。同じ未来を歩めそうな気がしたから。


「俺の理想はそんな感じ。雅の話も聞かせて」

「そやねぇ……」


 うーんと唸りながら考え込む。しばらく経ってから、雅はポツンと呟いた。


「小さな国が集まったような家、かな……」

「ん? どういうこと?」


 小さな国というのがあまりに抽象的過ぎてイメージが湧かない。すると雅は、疑問を晴らすように補足をした。


「家族みんながそれぞれの世界を持っていて、お互いを尊重しながらも、知らない世界の話を共有し合えるような家が理想やな。うちも千颯くんも、仕事をしていてそれぞれの世界を持っている。それを邪魔したり否定したりせずに見守っていきたい」


 しれっと自分のことを引き合いに出してくれて嬉しい。雅はそんなつもりはないのかもしれないけど、結婚相手の候補として見なされている気がした。嬉しさを噛み締めながらも、話に耳を傾ける。


「多分な、親と同じように子供たちもそれぞれの世界を持っているんやと思う。クラスとか部活とか趣味とかそういうの。その世界を否定せずに、尊重してあげたい。そんでなぁ、自分の世界を広げたいって言われた時には、躊躇いなく背中を押してあげられるような親になりたい」


 なんとなく、雅母のスタンスに似ているような気がした。意識的か無意識なのかは分からないが、自分の母親を理想像としているのだろう。


 きっと雅のもとに生まれてくる子供は幸せものだ。話を聞いただけで分かる。


「俺も子供の世界を尊重できるような親になるよ」


 同じ方向を見ていきたいことを伝えると、すかさずツッコミが入る。


「いやいやいや、千颯くんと結婚するとは言っとらんやん」

「ええー!?」

「ええーって……」

「いまのはそういう流れじゃなかったの?」

「ちゃうわ」

「いやぁ……雅が俺以外の男と子供を作るなんて、想像するだけで吐血しそうだよ。言っとくけど俺、そういう属性はないから」

「子供を作るって……変な言い方せんといてくれる!?」


 雅からは少し強めの口調で咎められた。少々品のない言い方になってしまったが、事実なんだから仕方ない。


 とはいえNTR属性がないということを伝えたかったわけではなく、雅との未来をちゃんと考えていることを伝えておきたかった。こっちの気持ちは固まっているんだから、あとは雅次第だ。


 好きって言われたい。その言葉があれば、躊躇いなく前に進める。胸の内に渦巻いている不安も、好きという言葉さえあれば晴れるはずだ。


「雅、好きだよ」


 好きって言葉を引き出したかった。


「どうしようもなく好き」


 こんな言い方をしたら余裕がないのがバレてしまう。それでも止められなかった。


「さっさと俺のことを好きになってよ」


 重いと引かれてしまうだろうか? 雅の心の内が読めない。


 結局、どんなに愛の言葉を囁いても、好きという言葉が返ってくることはなかった。


(やっぱりダメなのかな)


 弱腰になっている自分がいる。


 高校時代に散々傷つけてしまった罰だ。いまさら信じてほしいなんて虫の良すぎる話なのかもしれない。大人になってどんなに頑張っても、過去をなかったことにはできないのだから。


(今回の旅行でダメだったら、しばらくは距離を置いたほうがいいのかもしれない)


 これまでは攻めの姿勢でいたけど、これ以上はウザがられる可能性もある。簡単には諦めるつもりはないけど、いつまでも脈なしのまま攻め続けるのは辛い。


 押してダメなら引けばいい、なんて恋愛テクニックを使うつもりはないが、お互い冷静になるためにも冷却期間は必要だ。


 今後のことを考えていると、規則正しい呼吸音が聞こえてきた。雅はもう寝てしまったのだろうか?


 もどかしさで胸が張り裂けそうになりながらも、千颯は目を閉じた。

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