焦らされるのも悪くない/温泉旅行編③

 旅館に戻るとすぐに夕食の時間になった。お食事処に向かうと、千颯ちはやみやびはまたしても子供のように目を輝かせることになる。


「お刺身に黒毛和牛……それに松茸まで!」

「ほんまに豪勢やなぁ」


 テーブル並んでいるのは、地元の漁港で水揚げされたばかりの魚介類に、見事なサシの入った黒毛和牛、そして秋の味覚である松茸。天ぷらや焼き物には地元で採れた野菜もふんだんに使われていた。


 食事処が個室になっていることもあり、二人ははしゃぐ。


「どこから手を付けていいか迷う!」

「千颯くん、とりあえず写真撮らなっ」

「そうだね。ああ、でも品数が多すぎて画角に入らない」

「ほんなら千颯くんは右半分を撮って。うちは左半分を撮るから」

「おっけ。任せろ」


 わざわざ分担しなくてもそれぞれが右側と左側を撮ればいいのでは……というツッコミはこの際なしだ。撮り合って交換するのも楽しい。


 料理を撮った後、千颯はさりげなく雅にカメラを向ける。料理を前にして目を輝かせる雅を、カシャっと切り取った。こっそり撮ったつもりだったが、シャッター音ですぐにバレてしまった。


「あー、盗撮やー」


 雅はむくれた表情で抗議する。その表情もカシャっと頂いた。


「またー」

「バレたか」

「そんなんすぐバレるわ。撮るんやったら先に言って」

「自然体を撮ることに価値があるんだよ。ほら」


 そう言いながら、千颯はスマホのカメラロールを見せる。そこには、雅とのデート中にこっそり撮った写真が並んでいた。


 先に待ち合わせ場所へ到着した雅が前髪を気にしている写真、和食屋で大根の煮物を食べて美味しそうに目を細めている写真、カフェで余所見をしている写真……。日常のひとコマが千颯のスマホにはたくさん詰まっていた。


「いつの間に……。こんなのどうするつもりなん?」

「一人でニヤニヤしながら眺めんだよ」

「消して」

「いやだ」


 スマホを奪われそうになり、咄嗟に隣の椅子の上に置いた。大事なコレクションを失うわけにはいかない。絶対死守だ。


 消すのは無理だと悟ったのか、雅は折れた。


「はあ……。悪用はせんといてね」

「大丈夫。外には漏らさない。悪用するにしても、俺一人で悪用するだけだから」

「だから悪用はやめや」

「……はい」


 渋々納得するふりをすると、写真の件はそれ以上咎められることはなかった。


「お喋りはこの辺にして、さっそく食べよかぁ」

「うん。あっ、相良社長、ビールお注ぎします」

「ありがとう。気が利くなぁ」

「これくらいは」


 雅に褒められながら、グラスにとくとくとビールを注ぐ。泡がふちまで来たところでストップした。


「千颯くんもビールにええの?」

「あー……」


 千颯は咄嗟に苦笑いを浮かべる。誤魔化そうかと悩んだが、素直に白状した。


「実は俺、めちゃくちゃ酒弱いんだ」

「ええー、そうなん? あっ、だからデートでも居酒屋は行かへんかったんか」

「そういうことです」


 雅と食事に行くときも、レストランやカフェなどアルコールを頼まなくてもいい場所を選んでいた。だからここまで隠し通せたけど、もう限界なようだ。


 別に酒が飲めないことがカッコ悪いとは思っていない。だけど周りと合わせられないことに引け目を感じていた。


「お酒が飲めないと会社でも大変なんやないの?」


「そうだね。社内の飲み会では無理に飲まされることはないけど、外だとそうもいかない時もあるからね」


「そういう時はどうしてはるん?」


「後輩に助けてもらってるよ。こっそり俺の分も飲んでもらったり、さりげなくソフドリに切り替えてもらったり」


「デキる後輩やなぁ」


 雅は感心したように大きく頷いていた。京都営業所に来てからも部下の佐藤くんには酒の席では散々助けてもらっていた。ヘロヘロになった佐藤くんをアパートに届けるとこまでがセットになっているが。


「昔からそうだよ。俺はみんなに助けられてるんだ」


 ダメなところが多いから、という理由は隠しておいた。そんなのはカッコ悪いから。


 高校時代だって、雅や水野みずのなぎ芽依めい、そしてあの子にも散々助けられてきた。その自覚はちゃんとある。


 当時を懐かしみながら微笑むと、雅もふわりと笑った。


「ちゃんと感謝できるのは、千颯くんのええところやね」

「あっ、今度こそ好きになった?」

「カンパーイ」


 さらりとかわされた。仕方なくオレンジジュースの入ったグラスをカチンと合わた。そのまま一口飲む。甘い。舌はいまでも子供のままだ。


 一方雅は、グラスに入ったビールをゆっくりと傾けながら飲む。その仕草さえも上品なんだから、今後はビールのCMに相良雅を起用した方がいいと思う。夕暮れ時に浴衣姿の雅が優雅にビールを飲むCMなんか作ったら、たちまち売れるだろう。


 目を細めながら、ふぁーっと息を漏らす姿も最高に可愛い。その表情を拝みながら千颯は尋ねた。


「雅はお酒好きなの?」

「うちは結構いけるで。日本酒もワインも何でもいける」

「そっか、じゃあ潰れない程度に飲んでね」


 そう注意した後に、千颯は声を潜めながら忠告した。


「潰れたら、襲っちゃうかもしれないから」


 その瞬間、雅はお酒とは別の意味で赤くなった。そのまま恥ずかしそうに下を向く。


 きっとコテンパンに罵倒されるんだろうなーと覚悟していたが、雅から返ってきたのは意外な言葉だった。


「千颯くんはそんなんしーひんやん」


 千颯はキョトンとする。そんな風に信頼されているのは意外だった。


 確かに酔った相手に強引に迫るのは、千颯のやり方ではない。さっきのはただの冗談に過ぎなかった。


 だけどそれを冗談と見抜いてくれたのは驚きだ。言葉を詰まらせていると、雅は続けた。


「この4カ月で、千颯くんがうちのことを大切にしてくれとるんは十分伝わった。千颯くんは昔と変わらずに優しいままや。だから信用はしてる」


 雅は恥ずかしそうに顔を上げる。そのまま上目遣いでチラチラとこちらの反応を窺っていた。


「千颯くんに我慢させとることも、なんとなく分かる」


 我慢というのが何を指すのかは聞くまででもない。いまさら紳士ぶったって仕方ないから、正直に下心を明かした。


「めちゃくちゃ我慢してるよ? いつも理性とのせめぎ合いだよ」

「やっぱり」


 雅は申し訳なさそうに俯く。そのまま自らの心中を明かした。


「結婚するまであかんなんて、いい歳して何言うとるんって思うやろ? 10代の子やあるまいし。……けどなぁ、いままで守りに守ってきたから、いまさら曲げるのは簡単やない。ほんまに頭が固くて嫌になるわ……」


 雅は経験がないことを引け目に感じているようだった。だけどそんな風に落ち込む必要はない。


「別に俺は、雅の考えを否定しないよ。馬鹿にだってしない。人の考えなんてそれぞれなんだし、雅がダメだって言うなら俺は手を出さない」


 雅はきゅっと唇を閉じる。まだ不安は拭えていないかもしれないけど、多分こちらが意図していることは伝わっていると思う。


 千颯はしんみりした空気を変えるように、にやりと笑った。


「それに、我慢するのも悪いことばっかりじゃないよ。手を出したくても出せなかった高校時代に戻ったみたいで、結構燃える。俺、焦らしプレイ好きだから」


 雅は吹き出すように笑った。


「なんやそれ!」


 笑顔が戻って来て良かった。

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