好きって言ってもらいたい/温泉旅行編①
これは
京都の中心地から離れた海沿いの町。日本海に面したこの町は、夕日の名所として知られていた。そんな地に、大人になった千颯と雅は一泊二日の温泉旅行に訪れていた。
大人同士のゆったり落ち着いた旅が始まる……と思いきや実際にはそんなこともなく、旅館に到着した二人は子供のようにはしゃいでいた。
「雅、見て! 海! 見渡す限り海!」
「ほんまやねー。ロビーの大窓から海がよう見えるなぁ」
「部屋からも見えるらしいよ」
「オーシャンビューかぁ。開放的でええなぁ」
「ちなみに、ここの温泉は美人の湯としても有名らしい」
「それは魅力的やわぁ」
「そして風呂上がりにはゆずジュースが飲み放題」
「そんなサービスまであるん? 嬉しいわぁ」
「さらにさらに、夕食は新鮮な海の幸と黒毛和牛と来た」
「言うことあらへんやん。うちここに住もうかな」
雅は口元に手を添えながらクスっと笑う。その仕草と表情が可愛くて、思わずドキッとしてしまった。
だけどいまはドキドキさせられっぱなしではいられない。千颯は雅の手にそっと触れながら笑顔を浮かべた。
「なら俺もここに住もう。そうすれば雅とずっと一緒にいられる」
雅はバッと顔を赤らめる。そのまま勢いよく手を振り解いて、ぷいっとそっぽを向いた。
「アホかっ」
相変わらず素っ気ない。千颯は肩を竦めながら、綺麗にまとめられた後ろ髪を眺めた。
それにしても、今日の髪型はいつもより手が込んでいる。サイドの毛束がねじって編み込まれていて、いつもより華やかな雰囲気になっていた。
手が込んでいるのは髪型だけじゃない。服装もいつもよりお洒落に見える。
ブラウンのショートブーツからは秋らしさを感じさせる。踵が高いのは少し気にはなるが……。多分、5cm以上はあるような気がする。
耳元では細長いゴールドのイヤリングが揺れていた。雅が動くたびに、ゆらゆら揺れているからつい視線がいってしまう。
オフィスで顔を合わせる時とは、明らかに気合の入り方が違う。もしかして自分のためにお洒落をしてきてくれたんじゃ……と解釈してしまうくらいには浮かれていた。
たとえそうでなかったとしても、この旅行を楽しみにしてくれていたことは伝わってくる。そう考えると微笑ましくなった。
「雅、一緒に来てくれてありがとう」
後ろ姿を眺めながら声をかけると、ワンテンポ遅れて返事が返ってきた。
「……こちらこそ、誘ってくれてありがとう」
振り返った雅は、恥ずかしそうに頬を赤らめていた。
*・*・*
雅と再会してから4ヶ月の月日が流れた。その間、一緒に食事に行ったり、デートをしたりと、二人だけの時間を積み重ねてきた。
距離は縮まってきたと思う。雅からは本当に忙しい時以外は誘いを断られることもなかったから、鬱陶しがられているわけでもなさそうだった。
だけど、雅の気持ちは未だによく分からずにいた。
というのも、雅からはまだ好きとは言われていない。千颯は会うたびに好きと伝えているが、雅からは一度も言われたことがなかった。
雅がどういうつもりで誘いに応じているのか分からない。恋愛対象として見られているのかもあやふやだった。ただの友達か、恋人候補なのか……。その辺りをはっきりさせたかった。
そこで計画したのが、今回の一泊二日の温泉旅行だ。流石に泊まりとなれば何か進展があるだろうと踏んでいた。それに友達止まりなのだとしたら、誘いそのものを断られるはずだ。
雅をお誘いをした当初は「何考えとるん? 行くわけないやろ」と一蹴された。その時点で友達枠確定だと絶望したが、数日後に「温泉、やっぱり行ってもええよ」と許可された。
わけが分からなかった。女心は本当に複雑だ。大人になっても理解するのは不可能だった。
とはいえ、泊りでの旅行は受け入れてもらえた。これは大きな進歩だ。少なくとも、一緒に泊ってもいい相手としては見なされているのだから。
できることなら、ここで二人の関係を進展させたい。
(今日こそ雅に好きって言ってもらうんだ)
そんな目標を密かに掲げていた。
好きと言ってもらった先であわよくば……なんて下心もなくはないけど、この際多くは望まない。下手にがっついて蛙化されるのは避けたかった。
ただ、何かの拍子でそういう雰囲気になるかもしれないから準備だけはしておいた。多分、使う機会はないだろうけど。
温泉旅行とはいえ、相手がお堅い雅なら慎重にならざるを得ない。この旅の目標は雅に好きって言ってもらうことだ。余計なことは考えず、その一点に集中しよう。
「じゃあ、俺はチェックインしてくるから」
そう言ってフロントに向かおうとした時、雅に袖を引っ張られた。
「あのさ、確認なんやけど…………部屋ってひとつなん」
「うん、ひとつ」
「同じ部屋で寝るってこと?」
「そうなるね」
流石に部屋を別々にするなんて真似はしない。出張じゃないんだから。
だけどお堅い雅からしたらそれすらもNGだったのかもしれない。いまからでも旅館に頼み込んで部屋を分けてもらうべきかと考えていると、雅は視線を逸らしながら言葉を続けた。
「まあ、部屋が同じなのはええけど、結婚するまでそういうのはあかんで」
その顔は熟れた林檎のように真っ赤に染まっていた。その表情だけで下心が沸き上がってくる。
そういうのが何を指しているのかは察しがつく。だけどあえて、物分かりの悪いふりをしてみた。
「そういうのって何? ちゃんと基準を設けてくれないと分からない」
「基準って……」
雅は目を見開きながらギョッとした顔をする。言い淀む雅に、千颯は追求してみた。
「じゃあさ、手を繋ぐのはアリ?」
「まあ、それならええよ」
許可された。手を繋ぐのはこれまでのデートでもしてきたことだから、断られることはないと踏んでいたけど。とりあえず、第一段階はクリアだ。
「じゃあハグは?」
「それくらいなら……」
ああ、いいんだ……というのが正直な感想だった。それならもう少し攻められそうだ。
「それならキスは?」
「あかん」
キスはダメらしい。だけどここで簡単に引き下がるのは面白くない。千颯はちょっと拗ねたような口調で抗議した。
「雅は勝手にしてきたくせに。ずるいなぁ」
「そ、そんなん高校時代の話やろ?」
「そうだけど事実じゃん」
「そやけど……」
「二回も」
「うう……」
「頬と唇に」
「やめて」
雅は頭を抱えた。これはちょっと苛めすぎてしまったかもしれない。フォローをしようとしたところ、雅が先に口を開いた。
「そんなら、ええよ」
「へ?」
まさか許可されるとは思わなかった。思いがけない幸運に嬉しさがこみ上げてくる。はやる気持ちを抑えながら、千颯は伝えた。
「じゃあ、あとで俺からするね」
そう宣言すると、雅はへにゃへにゃとその場でしゃがみ込んだ。床で丸くなっている雅からは、嘆くような言葉が聞こえてきた。
「ほんまに……大人千颯くんは刺激が強すぎる……」
別に刺激的なことをしているつもりはない。むしろこんなんでへばってもらっては困る。いずれはいま以上に刺激的なことをするつもりなのだから。いまこの調子では、本番はどうなってしまうんだ?
「とりあえず立って。そんなところでしゃがんでいたら変に思われるよ」
「そ、そやね」
雅の手を掴み、よいしょっと引き上げる。立ち上がった拍子に雅がよろけて千颯の胸に激突したが、すぐにサッと距離を取られた。
相変わらず警戒心が強い。これはキスのタイミングを図るのも難しいかもしれない。千颯は空気を変えるために、にやりと笑いながら軽口を叩いた。
「キスがOKってことは、一緒にお風呂に入るのもOKってことだよね?」
雅は目を丸くしながら千颯を凝視する。
「は? そんなんダメに決まっとるやろ」
「えー、せっかく露天風呂付の部屋を予約したのにー」
「あかん! お風呂は絶対にあかん!」
雅は両手を振りながら全力で拒否する。
この反応は想定済みだ。たまたま露天風呂付の部屋が空いていたから予約しただけで、端から一緒に入れるとは期待していなかった。
「分かったよ。じゃあキスまでね」
穏やかに微笑みながらポンと雅の頭を撫でる。それからチェックインをするためにフロントへ向かった。
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