ちはみや番外編
君との未来/新婚生活編
京都の中心地から離れた郊外のマンションで、
あらかた準備が終わり、あとは皿に盛り付けるだけというタイミングで、スマホを取り出す。そのままLIENを開いて、先ほど交わしたやりとりを見返した。
『仕事終わった』
『よく頑張りました』
『いまから帰る』
『ほい』
連絡が来たのは30分前だから、きっともうじき帰ってくる。食器棚から箸と箸置きを取り出してテーブルに並べていると、ガチャっと玄関のドアが開く音が聞こえた。
リビングのドアに視線を向けると、パンツスーツ姿の
「充電切れた」
「スマホの充電器ならそこに入ってるよ」
千颯はテレビ台の引き出しを指さすも、雅はふるふると首を左右に振る。
「そやない」
そのままヨロヨロとした足取りでソファーに向かって、崩れるように腰を下ろした。
「うちの充電が切れた」
「……それは大変だ」
IHコンロが消えていることを確認してから、千颯はソファーに向かう。
「充電しないと」
雅の隣に座ると、華奢な身体に手を回してぎゅーっと抱きしめた。
恥ずかしがって振りほどかれるかと思いきや、雅は抵抗することなく千颯の胸の中で納まっている。それだけに留まらず、おずおずと肩に手を回されて、ぎゅーっと抱きしめ返された。
珍しい反応をされたことに驚きを隠せない。
これは特定の条件下で発生する甘えたいモードなのかもしれない。
激レアなモードに遭遇して思わず頬が緩む。この機会を逃すわけにはいかない。千颯は一度腕を解いてから、自分の膝をトントンと叩いた。
「こっちおいで」
膝に乗るように促すと、雅は素直に従った。雅は千颯の膝をまたぐようにチョコンと座り、向かい合わせになった。
抱きしめやすい体勢になったことで、もう一度肩に腕を回す。
「どうしたの? 今日はやけに甘々じゃん」
「黙って」
甘えた態度とは裏腹に、辛辣な言葉が飛び出す。素直じゃないと思いながらも、ご要望通り黙って抱き締める。
それだけだと物足りなくなって、雅の首元にキスをした。
「ひゃう」
おかしな声が漏れると、雅は慌てて口元を手で押さえる。その反応が可愛らしくて意地悪をしたくなった。
「声を出したら負けってゲーム? いいよ、受けて立とう」
雅は目を丸くする。勝手にゲームを始めようとしていることに驚いているようだった。
千颯は返事を待たずにゲームを開始する。首元、鎖骨、額、瞼にキスを落として、甘い声を引き出そうとした。
雅は真っ赤な顔をしながらも、声を出すまいと堪えている。そんな仕草も堪らなく可愛らしかった。
無言のまま、千颯は雅の手首を掴む。そのまま口もとを覆っていた手を引き剥がした。
口元がガラ空きになったことで、すかさず唇にもキスをする。そのまま啄むようなキスを繰り返した。
薄目を開けて反応を窺うと、雅はギュッと目を閉じながら刺激に耐えていた。その反応を見て、興奮が湧き立つ。
実のところ、雅はこういう行為にまだ慣れていない。キスですら恥ずかしがる姿は、まるで初心な高校生のようだった。
まだ声が漏れない。もっと反応を示してほしくて、やわらかな唇をぺろっと舐めた。
「んっ……」
甘い声が漏れる。勝負がついたことで、千颯は身体を離した。
「俺の勝ち」
千颯は満足げに笑って見せる。雅は瞳を潤ませながら顔を真っ赤にしていた。
そのまま顔を隠すように千颯の胸に頭を押し付ける。
「千颯くんはもうっ……」
「ん? なに? 負け惜しみ?」
煽るような言葉をかけると、雅はこちらを見上げながら恥ずかしそうに言った。
「なんでそんなに上手なん?」
罵倒されるとばかり思っていたから、褒められるのは意外だった。
「そんなに良かった?」
「そういう話をしとるんやない! どこでそんな技を身につけてきたんや!」
真っ赤な顔でキッと睨まれる。褒められているのではなく、理由を尋ねられているようだった。
別に特別なことをしている自覚はない。これまで経験してきたことを再現しているだけだ。
かつて付き合っていたあの子は、そっちの方にも貪欲だった。そんな彼女と付き合っていたら、必然的に色々身についてしまう。雅が上手いと感じたのは、過去に散々鍛えられた賜物だろう。
「まあ、それなりに経験を積んできたからね……」
正直に伝えると、雅の肩がビクンと揺れる。こちらを見上げていた顔は、しおしおと萎れるように俯いていった。
迂闊な発言は、雅を曇らせる原因になってしまった。
「ごめん、いまのはデリカシーがなかったよね」
「ええよ、千颯くんには愛未ちゃんとの大事な過去があることも知っとるから」
俯いたまま、沈んだ声で話す。
「10年は長いなぁ」
「まあ、短くはないよね」
「それだけ長い間、
そう言われると何も言えなくなる。紛れもない事実だからだ。
愛未と付き合っている時は、愛未のことを全力で愛していた。かつて別れた彼女のことなんてほとんど思い出さないほどに。
だけどそんな事実を告げるのは酷だ。こっちは過去のことだって割り切っているけど、向こうはそうではない。ふとした瞬間にあの子の面影を思い出して、比べられている気になっているのだろう。
雅は小さく溜息をつく。
「うちなぁ、たまに不安になんねん。千颯くんは愛未ちゃんと結婚できひんかったから、仕方なくうちとおるんやないかって」
正直に不安を漏らす雅。その言葉を聞いた千颯は、穏やかに微笑んだ。
「なんだそんなことか」
「そんなことって……うちにとっては結構重大な問題で」
苛立ちを滲ませながら反論される。そんな彼女に納得してもらうため、別の話を持ち出した。
「逆に聞くけど、雅は
「そんなわけないやろ! 宗ちゃんの恋はとっくの昔に終わったんやから」
「俺も同じだよ」
そう告げると、雅は言葉を止めてこちらを見上げる。不安そうに揺らぐ瞳に、正直な想いを告げた。
「いまは雅しか見てない」
色素の薄い瞳に光が宿る。彼女を安心させてあげたくて、そっと手を取った。
「俺の青春時代はあの子に捧げていた。それは紛れもない事実だし、あの時の選択に後悔はない。だけどそれはもう、過去の話なんだよ」
心が通じるように真っすぐ瞳を見据えながら伝えた。
「この先の人生は、全部雅に捧げるよ」
雅は驚いたように目を見開く。それからみるみるうちに顔が赤くなった。
「それでもまだ不安?」
そう尋ねると、雅はふるふると首を左右に振る。
「不安やないっ」
そのまま千颯の胸に抱きついた。
「好き」
愛おしさが溢れ返る。抱きしめ返そうと腰に手を回すと、雅が顔を上げた。潤んだ瞳のまま見つけられると、唇にそっとキスをされた。
雅からキスをされることは滅多にない。嬉しさが溢れ返り、こちらもキスで応じた。
何度か続けていると、雅の身体からへろへろと力が抜けていく。その隙を見て、ソファーに押し倒した。
緩んだ口元に舌を忍ばせてみる。すると雅はビクッと身体を跳ね上がらせた。
蕩けるようなキスをしながらブラウスの裾にも手を忍ばせる。滑らかな肌に手を滑らせてから、手のひらでは収まりきらない柔らかなソレに触れた。
その瞬間、雅からトントンと胸を叩かれてストップの合図をされる。仕方なくやめると、雅はとろんとした瞳のまま首を左右に振った。
「あかん! それ以上したら、千颯くん止まらなくなるやろ?」
「よく分かってんじゃん」
もうすでに止まらなくなりそうだった。
「いまはあかん! まだお風呂も入ってないし、ご飯も食べてない」
雅の言わんとしていることはすぐに察した。多分このまま続けていたら、お風呂もご飯も済ませることなく朝になっている。
千颯としてはそれでも良かったが、雅はダメらしい。千颯はふっと笑いながら、身体を起こした。
「じゃあ、先にご飯食べよっか」
雅はホッと安堵したような顔をしながら、身体を起こしてブラウスを正した。
千颯はキッチンに戻って料理を温め直す。
「今日は何を作ってくれたん?」
「ハンバーグ」
「凄いやん! 切って焼いただけやない!」
「うん、頑張った」
表面を焦がさないようにしながら中まで火を通すコツは過去に教えてもらった。だから出来栄えには自信があった。
千颯はご飯を茶碗に盛りながら、さりげなくこの後の提案をする。
「ご飯食べたら、一緒にお風呂に入ろ」
「う、うーん……」
雅は視線を泳がせながら渋っている。拒まれているように思えるけど、これは本気で嫌がっているわけではない。
雅と過ごす中で、言葉にしなくても本音を察してあげられるようになった。それは高校時代から成長した証だろう。
だけどこんなんじゃまだ足りない。ひとつ許されたことで、さらなる要望を口にしてみた。
「お風呂から上がったら、髪乾かして?」
甘えた声でお願いするも、雅からは冷めた視線を向けられる。
「それはいやや。面倒くさい」
「えー、じゃあいいよ、俺が乾かしてあげる」
「いらん。自分で乾かしたほうが早い。夜は何かとやることあって忙しいんや」
「やることって、ストレッチしたりボディクリーム塗ったり?」
「よう分かっとるやん」
「ふーん、京美人は一朝一夕ではできないってことか」
一緒にお風呂に入るのは許可されたものの、その後はあまり構ってもらえそうにない。シュンとして見せたが、諦めるのはまだ早い。全部終わった後なら話は別だ。
「じゃあさ、全部終わったら、さっきの続きしよ?」
茶碗を受け取って、ダイニングテーブルに運ぼうとした雅が足を止める。
「いや?」
念押しするように首を傾げながら尋ねると、蚊の鳴くような声が返ってきた。
「……いややない」
再び嬉しさに包まれる。いっそのこと、ご飯もお風呂もすっ飛ばしてしまいたくなったが、何とか我慢した。
愛おしさが溢れ返って仕方がない。雅が茶碗をテーブルに置いたのを確認してから、後ろからぎゅっと抱きしめた。
突然抱きしめられたことで雅はビクッと肩を跳ね上がらせる。そこで追い打ちをかけるように耳元で甘い言葉を囁いた。
「全部終わったら、心のナカが満タンになるくらい、愛してあげるよ」
それが何を意味しているのか伝わったのか、雅は声にならない悲鳴を上げる。
そんな反応に愛おしさを感じながらも、千颯はサッと雅から離れてキッチンに戻った。雅は真っ赤な顔をしながら、へろへろと椅子に座る。
ハンバーグを皿に盛っていると、千颯はあることを思い出した。
「そういえば、
声をかけると、雅はパッと顔を上げて嬉しそうに顔を綻ばせた。
「ホンマに? どこどこ?」
「テレビ台の引き出しに入れてある」
「わぁー、これかぁ! 芽依ちゃんの写真付きやん。相変わらず可愛ええなぁ」
「旦那さんも誠実そうな人だよね」
「そやなぁ。優しそうな人やねぇ」
目を細めながら招待状の写真を見ている雅。それから何かを思い出したかのように話を振ってきた。
「そういえば、結婚式には
「来るよ。娘も連れてくるらしい」
「そうなんやぁ! 楽しみやけど大変やろなぁ。千颯くん、またおもちゃにされんで?」
「本当それ。最近やっと喋るようになったかと思ったら、ちはや、ちはやって呼び捨てにするんだもん。参っちゃうよ、もう」
「おじさんって呼ばれるよりはええんとちゃう?」
「そうだけどさぁ……」
千颯はガックリ項垂れてから、決意したかのように拳を握る。
「いつか俺も父親になったら、絶対にパパって呼ばせるんだ!」
「気が早いわぁ」
雅は呆れたように笑いながら突っ込む。千颯もつられて笑いながら、ダイニングテーブルに着いた。
「ほな、食べよかぁ。いただきます」
「どうぞ、召し上がれ」
雅はハンバーグを一口食べると、「んーっ」と唸りながらとろけるように頬を緩める。ご満足いただけたようで安心した。
コップを取ろうとしたところで、先ほどの招待状が視界に入る。封筒の表書きを見て、千颯はしみじみと幸せを噛み締めていた。
京都府〇〇市〇〇町〇〇番地 グランメゾン503号室
藤間 千颯様
雅様
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