第171話 再会
京都の中心地に位置するオフィスビルの7階で、
時刻が19時を回っていたことに気付き、目の前のパソコンをシャットダウンした。同時にオフィスに残っている部下に声をかける。
「帰ろ、帰ろー。もう鍵締めるよー」
パソコンと睨めっこをしていた部下は、千颯の言葉でハッと顔を上げた。
「わー! 待ってください! あと5分、あと5分で片付けるので」
「頼むよー。うちのチームは身を削る残業はしないのがモットーだから」
「うっす」
学生気分の抜けきっていない彼は、京都営業所内でもっとも若い佐藤くん。入社2年目で京都支店に配属された23歳だ。ぎこちないスーツ姿は、過去の自分を彷彿させて微笑ましく思えた。
現在千颯は4名のメンバーをマネジメントしている。他の二人は既に帰宅しているから、佐藤の仕事が終わるのを見届けて、オフィスの施錠をすれば今日の仕事は終わりだ。
「そういえば佐藤くん、今日のプレゼン資料はよく出来てたね。やるじゃん」
そう声をかけると、佐藤はキーボードを叩く手を止めてパアアアと表情を明るくする。
「あざっす!」
嬉しさを滲ませながら元気よく返事をする佐藤は、やっぱり過去の自分を見ているようだった。
「うっし、おーわり!」
「うん。じゃあ帰ろっか」
荷物をまとめて二人は立ち上がった。
エレベーターに向かう途中で、佐藤はうーんと伸びをしながら話を振ってきた。
「それにしても、藤間さんは究極の人たらしですよねー」
「ん? どういうこと?」
「新規で商談に行っても、担当者の心をすぐに掴むじゃないっすか。相手が気難しそうなおじさまでも、ピリッとしたおばさまでも」
「まあ、一応準備をした上で行ってるからねぇ」
さも当然のように伝えると、はあーっと溜息が聞こえた。
「それだけじゃないっすよ。メンバーをその気にさせるのもめちゃくちゃ上手いじゃないですか。さっきみたいに」
「あー、それね」
メンバーをその気にさせるのは、実は策略的にやっていたことだ。日頃からどういう言葉をかければ相手に火が点くのか見極めながら接している。本音と建前を上手く使い分けながら。
とはいえそれは、千颯の本来の能力ではない。
「昔出会った子にさ、そういう子がいたんだよ。俺はただ、その子の真似をしているだけ」
「ふーん、要するに藤間さんの師匠っすか」
師匠。それはいままでにない考え方だった。確かにその言い方はしっくり来る。
だけどやっぱり師匠という言葉だけでは片付けられない。あの子との関係性はそんな単純なものではない。いまだって適切な言葉が見つからずにいた。
エレベーターに乗り込んで1階のボタンを押す。すると佐藤はにやりと笑いながら下世話な話題を振った。
「ぶっちゃけ彼女何人いるんすか?」
上司を平然と揶揄ってくる態度に、呆れを通り越して笑えてくる。とはいえ、平然と揶揄ってくるのは他のメンバーにも言えることだ。
千颯の本来の性格といまの年齢が相まって、メンバーからはしょっちゅう弄られていた。だけど、見下されているというわけでなく、親しみを込めて弄られているのも理解している。
千颯としてはちょっと舐められているくらいでちょうどいいと思っている。その方が相手も気を許して本音で接してくれるから。
「残念ながら一人もいません」
「うっそだぁ。ハッ……ってことは彼氏が……」
「それもいません」
「えー、じゃあ俺、立候補しようかな。藤間さんにだったら抱かれてもいいーなーんて」
冗談めかしく笑う佐藤を見て、千颯は苦笑いを浮かべる。
「気持ちは嬉しいけどお断りします。彼女はいないけど、気になる人はいるから」
チンとエレベーターが3階で止まる。扉が開くと、まとめ髪にパンツスーツ姿の京美人が乗り込んできた。
「お疲れ様です」
「……お疲れ様です」
お辞儀をした拍子に足もとに視線を落とすと、小ささを補おうという試みなのか高いヒールのパンプスを履いていることに気付いた。足もとから視線を上げた時、豊満な胸元で視線が止まる。これはもはや不可抗力だろう。
「うわぁー、生の
隣に居た佐藤は京美人をまじまじと見つめている。失礼な物言いをする部下に、千颯はすかさず注意をした。
「こら、失礼だろ、そんな言い方したら」
「あっ! スイマセン! 相良社長があまりに美人だったもんで」
ペコペコと頭を下げる佐藤。その姿を見た京美人は、わざとらしく頬に手を添えながらにっこり微笑んだ。
「美人なんて参っちゃいますね。ありがとうございます」
千颯は声を潜めながら笑った。いまのリアクションには心当たりがある。
目の前にいるのは、大人になった相良雅だ。世間では京美人の若手社長と呼ばれている。
雅は現在、化粧品の企画・販売を行なう株式会社MIYABIの代表取締役を務めている。メイドイン京都をコンセプトにしている化粧品は、国内のみならず海外からも注目を集めていた。
設立して5年ではあるが、いまや10代の若い女の子達の間では知らない人はいないほどの知名度を誇っている。
ここまで人気を博したのは、社長本人が動画配信者として活躍しているのも影響していた。MIYABIチャンネルは、社長の美貌も影響して立ち上げた直後から爆発的に登録者を伸ばした。
もちろん、動画の内容が有益だったことも人気の理由だ。MIYABIチャンネルでは中高生のお悩み相談やメイク動画を主に投稿していた。
お悩み相談では、相手の悩みに共感しつつも的確なアドバイスをする姿勢から絶大な支持を集めている。性的なお悩みに関しては、見当違いなアドバイスをしてしまうのは玉に
そうした背景もあり、相良雅は世間から注目される若手社長へと成長を遂げていた。自らの美貌すらも武器にして、のし上がる姿は感服してしまう。
そんな相良雅の会社は、何の因果か千颯の勤める会社と同じビルにオフィスを構えている。3ヶ月前に京都営業所にやって来た時、株式会社MIYABIのロゴを見た時は衝撃を受けた。
まさかこんな奇跡が起こるなんて、予想すらしていなかった。
エレベーターが1階に到着すると、千颯は開くボタンを押す。相良雅はペコリとお辞儀をしてからエレベーターから降りた。
それに続いて佐藤も降りていく。
「じゃっ、藤間さん。お疲れさまっす!」
佐藤はにかっと笑った後、駆け足で正面玄関を出て行った。
賑やかな部下が居なくなり、1階はしんと静まり返る。千颯はさりげなく相良雅の隣に立った。
「お久しぶりです、相良社長。同じビルにいらっしゃることは知っていたんですけど、なかなかお会いできる機会がなく。ご挨拶が遅くなってしまい申し訳ございません」
他人行儀に話す千颯に合わせて、彼女も口を開く。
「お久しぶりです、藤間チームリーダー。こちらこそご挨拶が遅くなってしまい申し訳ございません。仕事柄、あちこちを飛び回っているものですから、なかなかオフィスには顔を出せないもので」
「景気が良さそうで何よりです。それにしても、私が同じビルに居ることをご存知だったんですね」
「ええ、うちのスタッフから報告を受けていたので」
「そうですか。彼女も私のことを覚えてくれていたんですね」
足並みを揃えながら二人は正面玄関を出る。夏の気配を感じさせる暖かな夜風を感じた瞬間、千颯は表情を緩めた。
「はい、仕事モードは終了。昔みたいに喋ろ」
その言葉を聞いた瞬間、雅も表情を緩めた。
「そやなぁ。堅苦しい喋り方をする千颯くんは気持ち悪いわぁ」
二人は顔を見合わせて笑った。その瞬間、高校時代の空気感が戻ってきた。
千颯は大人になった雅の顔をまじまじと見る。色素の薄い瞳に長い睫毛、シミひとつない真っ白な肌は高校時代と変わらなかった。
だけど昔のような幼さはあまり感じられない。もとの素材を活かしつつ、華やかさを足した化粧を施していることが影響しているのかもしれない。艶のあるコーラルピンクの唇からは大人の色気も感じさせた。
高校時代も群を抜いて可愛かった雅だけど、大人になったいまは更にパワーアップしている。芸能人にも引けを取らないレベルだ。
「本当に綺麗になったね、雅」
正直な感想を伝えると、雅はクスっと笑いながら返した。
「千颯くんやって、カッコよくなった。スーツがよう似合っとるなぁ」
「もう騙されないよ。そんなのは建前でしょ?」
「ホンマやって! 高校時代よりもずっとカッコよくなった」
雅に褒められると照れてしまう。流石に高校時代のように顔を真っ赤にして恥ずかしがることはないけど。
昔のように並んで、駅までの道のりを歩く。緊張を悟られないように、千颯はお茶らけてみた。
「それにしても社長かぁ。くそー、俺も結構頑張ったつもりだったんだけどなぁ。やっぱり雅には敵わないやぁ」
大袈裟に悔しがって見せると、雅はフルフルと首を左右に振った。
「社長っていうても、まだまだ小さな会社やし、大したことあらへんよ。それよりも、あの会社に入って、その若さでチームリーダーになる方が凄いやん。みんなが千颯くんを信頼している証拠やねぇ」
「褒め過ぎだよ。俺はただ、目の前のことを全力でやってきただけ。誰かさんに火を点けられたからね」
「それはうちも同じやねぇ。あの時うちも、千颯くんに火を点けられた。負けたくないって思いから、ここまでのし上がってきたんや。
「ああ、そういえば由紀さんと一緒に会社を立ち上げたんだったね」
「そやでー。由紀は過酷な創業期を乗り切った戦友や」
雅は自慢げににっこり笑った。サラッと話しているが、ここに来るまでに様々な苦難を乗り越えたことを千颯は知っている。
「やっぱり雅は凄いや」
賞賛の言葉は素直に告げられた。
千颯としては、勝ち負けなんてどうでもいい。ただ、雅から大人の男として認めてもらえれば十分だった。先ほどのやりとりでその目的は果たせた。
密かに嬉しさを噛み締めていると、雅はにやりと笑いながら別の話題を持ち出す。
「そういえば、大人千颯くんはえらいモテはるんやねぇ。うちの会社の子たちも、藤間さんカッコいいーって騒いどったわぁ」
「モテているのかは分からないけど、雅の会社の子からは連絡先を聞かれたり、食事に誘われたりしたよ。まあ、全部お断りしているけど」
「ほいほい誘いに乗ったら、
そこでようやく、その話題を持ち出した理由に気付く。雅は愛未との仲を探ろうとしているのかもしれない。
千颯は悲壮感を漂わせないように気を付けながら、サラッと答えた。
「あの子とは別れたよ。京都に来る前にね」
雅は笑顔を引っ込めて驚いた顔をする。
「え? なんで?」
そこで正直に事情を明かした。
「お互い見据えている未来が違ったんだよ。俺は結婚して家庭を持ちたかったけど、あの子はそうじゃなかった。その価値観の違いが埋められなかったんだ」
雅はいまだに驚いた顔をしている。そんな雅に再び笑ってもらえるように、千颯は真面目な顔を崩した。
「浮気して捨てられたわけじゃないので、誤解なきよーに!」
狙い通り、雅は笑ってくれた。
「そんなら良かった。いや、良くはないかぁ」
笑い飛ばしてくれるくらいでちょうどいい。そっちはもう終わったことなのだから。
「そんなわけで、いまは独り身だよ」
「へー、こんなええ男なのに勿体ない」
雅がただの出まかせでそんな言葉を口にしているのは分かっている。だけどあえて食らいついてみた。
千颯は足を止め、真面目な顔をして告げる。
「良い男だって思うなら、俺と結婚する?」
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