第169話 誓い

※168話をまだ読んでいない方は、まずはそちらから!




 涙が収まった頃、みやびは笑っていた。


「あーあ、泣いたらすっきりした」


 雅はさらりと千颯ちはやから離れる。そのままスーツケースを引き寄せた。


 これでもう雅とは会えなくなる。そう実感すると、今後はこっちが泣きそうになった。


 千颯の表情を見た雅は、呆れたように溜息をつく。


「なに情けない顔しとるん? 最後くらい笑ってお別れしよう」

「そう、だよね……」


 何とか笑顔を作ろうと試みる。だけどあんまり上手く笑えている自信がない。


 そんな姿に見かねて、雅はもう一度千颯のもとにやって来た。

 ふわりと両手を握る。その手は柔らかくて温かかった。


 突然手を握られたことに驚いていると、雅はある話を始めた。


「ほんなら千颯くん、未来の話をしよかぁ」

「未来の話?」

「そや、うちと千颯くんが大人になってからの話」

「うん」


 雅の言葉に耳を傾ける。雅はおとぎ話を聞かせるような優しい口調で語った。


「未来のうちはなぁ、きっとバリバリ仕事をしてると思う。それこそ恋愛なんてそっちのけで、仕事が恋人なんて言っとるかもしれへんなぁ」


「そんなことないでしょ。雅はモテるんだから」


「仮定の話やからまあ聞いとって。そんでなぁ、千颯くんはすぐにあっちこっちの女の子に目移りするから、いずれ愛未ちゃんに愛想を尽かされるんや」


「ちょっと……縁起でもないこと言わないで」


「ふふっ。あり得へん話やないやろ? で、愛未ちゃんに捨てられた千颯くんは、段ボール箱に押し込まれて路地裏でシクシク泣いとるん」


「それじゃあまるで捨て犬じゃん」


「そやなぁ」


「そやなぁ、じゃないよ! え? 俺、いじられてんの? この場に及んで?」


「まあ、最後まで聞いたって。そんでなぁ、可哀そうな捨て犬を偶然うちが見つけるんや。で、優しいうちは、可哀そうな捨て犬を連れて帰って、あったかいお風呂に入れてあげて、お腹いっぱいご飯を食べさせて、ふかふかのお布団で寝かせるの」


「飼われてるじゃんそれ。え? 結局何が言いたいの?」


 話の着地点が分からずに尋ねると、雅はいつにも増して大人びた表情を浮かべていた。


「つまりなぁ、千颯くんがいい大人になってもまだ独り身やったら」

「だったら?」


 一呼吸おいてから雅は語った。


「そん時は結婚しよかぁ。うちが千颯くんを貰ったる」


 結婚。思いがけない言葉が飛び出して、その場で固まる。


「それは、お得意の建前?」


 咄嗟に尋ねると、雅は口元を押さえながらふふっと笑った。


「そんなん聞くのは野暮やろ」


 はぐらかされてしまったが、ただの建前ではないような気がした。神妙な顔をする千颯を見て、雅は穏やかに微笑む。


「こんなんは話半分で聞いてくれたらええ。くれぐれも待っているなんてことはないように。この先の未来は、うちのことなんて忘れて、全力で自分の人生を生きや。うちも千颯くんのことなんて忘れて全力で生きるから」


 そう告げると、雅はくるっと踵を返す。


「ほなな、千颯くん」


 ひらひらと手を振りながら去ろうとする雅。その背中は悔しいくらいにカッコいい。カッコいいんだけど、無性に腹が立った。


(貰ったるってなんだ? まるで自分が優位に立ったような言い方をして……)


 結局雅の中では、藤間千颯は最後までダメな男の子で、面倒を見てあげないと生きていけないと思われているような気がした。


(最後の最後まで見下されてるなんてあんまりだ……)


 このままお別れするわけにはいかない。

 千颯の心に火が点いた。


 燃え上がる感情を吐き出すように、千颯は空港内に響き渡るほどの大声で叫んだ。


「捨て犬になんてならないから!」


 雅は驚いたように振り返る。そんな彼女に、千颯は誓った。


「俺、ちゃんとした大人になるから! 雅に負けないくらい、カッコいい大人になってやるから! だからもし、未来でまた出会ったら……」


 一呼吸おいてから、はっきりと宣言した。


「大人の男として隣に立つ」


 いつまでも頼りない男で居て堪るものか。次に会った時は、もう捨て犬なんて言わせない。カッコよくなったねと言わせて、雅を見返してやる。


 千颯の言葉を挑発と受け取ったのか、雅は勝気な笑みを浮かべた。


「うちも千颯くんに負けへんくらい、素敵な大人になる」


 闘志を燃やしながら互いの顔を見つめる。それからどちらともなく笑った。


「気張りや」

「そっちこそ」


 旅立つ彼女の背中は、大きくて眩しかった。

 あの子に近付くのは相当骨が折れる。だけど絶対に見返してやりたかった。


*・*・*


 雅を見送った後、千颯は一人で電車に揺られる。

 胸の内に居座っていた苦しさはもうない。自分の選択に後悔はなかった。


 車窓から空を見上げると、雲一つない晴れやかな青空が広がっていた。




 最寄り駅の改札を出た途端、千颯は立ち止まる。


 改札前には愛未あいみが立っていた。俯いてスマホを眺めていた愛未だったが、改札から人が流れ出していくのを見て、顔を上げた。そこで視線が合う。


 千颯は走る。


 愛未の目の前まで辿り着いてから、穏やかに微笑んだ。


「ただいま」


 その瞬間、愛未は泣いた。


「馬鹿! ホントに馬鹿! 私がどれだけ傷ついたと思ってるの? 千颯くんが居なくなったらと思うと、苦しくて、苦しくて……」


 泣きながら千颯の胸を何度も叩く。目の前で好きな子が泣いているというのに、嬉しいと思ってしまう自分がいた。


「ごめん、傷つけて」


 千颯はそっと愛未の頭を撫でた。


 雅と愛未、どっちの傍に居たいか考えた時、思い浮かんだのは愛未だった。


「ちゃんと選んだよ」


 千颯は愛未を選んだ。その理由はいくらでも思い浮かぶ。


 初めてできた彼女だったから、積み重ねてきた時間が長かったから、見た目がタイプだったから、愛未の母親に守ると宣言したから……それらしき理由はいくらでも挙げられる。


 だけど一番の決め手は、そこじゃない。雅からの手紙を見つけた時、本気で怒ってくれたことだ。


 嬉しかったんだ。


 母親の前ですら毅然と振舞っていた愛未が、怒りや悲しみの感情を全部ぶつけてくれたことが。


 そしてダメな姿を知った上で、それでもまだ必要としてくれたことが。


 いまは彼女の傍に居ることが、千颯にとっての最上の幸せだった。


 愛未は涙でぐしゃぐしゃになった顔で千颯を見上げる。そこにはもう、怒りの感情は滲んでいなかった。


「おかえり、千颯くん」


 とびきりの笑顔で微笑む愛未。その唇に千颯はそっとキスをした。


*・*・*


 こうして藤間千颯を巡る恋物語は、愛未ENDで幕を閉じた。














 かと思いきや、人生は何があるか分からないもので……。


◇◇◇


んん?


「続きが気になる!」と思っていただけたら、★★★で応援いただけると幸いです。

♡や応援コメントもいつもありがとうございます。


作品ページ

https://kakuyomu.jp/works/16817330659490348839

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