第163話 流されてしまえばいい
涙が枯れて、
雅から貰った3枚の手紙が、ローテーブルの上で散らばっている。視界に入るたびに、ぎゅっと胸が締め付けられた。
泣きすぎて頭が痛い。起き上がることすら億劫だった。
そんな中、玄関のチャイムが響く。
誰にも会いたくないから、無視を決め込むことにした。
布団をかぶって外界と遮断しようとするも、布団ごときでは音を遮断することはできない。すると、玄関のドアがガチャっと開く音がした。
そういえば、慌てて帰ってきたから鍵をかけるのを忘れていた。まさかチャイムを鳴らした客人が、勝手に玄関のドアを開けてきたというのか?
千颯は物音に耳を澄ませる。
玄関のドアが閉まると、足音が廊下に響き渡った。
様子を見に行くべきか? だけど相手が泥棒なら修羅場になる可能性もある。
どうしたものかと考えながら布団の中で身を潜めていると、足音がこちらに近付いてくる気配を感じた。
タン、タン、タン、と遠慮がちに階段を登る音が聞こえる。息をひそめながら耳を澄ませていると、部屋の扉が開いた。
「千颯くん、いるの?」
その声で千颯は布団から抜け出す。扉の前に居たのは
客人の正体が判明して、千颯は一気に脱力する。
「なんだ愛未か……泥棒かと思った……」
「ごめんね。勝手に入るのはどうかと思ったけど、学校での千颯くんの様子が気になって」
愛未は申し訳なさそうに眉を下げながら事情を明かした。
「そっか、ごめんね。勝手に帰って」
愛未から逃げるように帰ったことを詫びながら、なんとか笑顔を作る。千颯の笑顔を見てほんの少しだけ頬を緩めた愛未は、そのまま部屋に入ってきた。
ベッドの端に腰掛ける愛未。そこで千颯の異変に気付いた。
「どうしたの? 目が真っ赤だよ」
指摘されたことで、つい先ほどまで自分が泣いていたことを思い出した。泣き腫らした顔を隠すように、千颯は背中を向ける。
「卒業式で泣けなかった分の涙が、いまになって押し寄せたみたい。やっぱり卒業なんて寂しいよね」
雅のことを思い出して泣いていたなんて、絶対悟られてはいけない。全てを知られてしまったら愛未とは一緒に居られなくなる。
いまならまだ誤魔化せる。千颯は何とか笑顔を取り繕った。
「ごめん。こんなカッコ悪いところを見せて。でも、もう大丈夫だから」
愛未の顔は依然として見られないけど、いつものように会話を続ける。その直後、背中に柔らかな感触が伝わった。
愛未に後ろから抱きしめられている。そのまま甘えるように耳元で囁かれた。
「ねえ、何か隠してるでしょ?」
温かい吐息が耳元に伝わると、ゾクッと身体が震えた。
「何も隠してないって」
「えー、本当かなー?」
愛未は間延びした喋り方で追及してくる。背中にはぎゅうぎゅうと胸が押し当てられているのも感じた。それが無意識ではないことも何となく分かる。
その瞬間、愛未がこの部屋に来た目的を思い出した。
下心が湧きあがるのと同時に、良くない考えが浮かんでしまった。
(このまま流されれば、楽になれるかもしれない)
もういっそ、何も考えずに溺れてしまえばいい。
千颯は愛未の肩を掴み、ベッドに押し倒した。
「しよっか、愛未」
自分がどんな顔をしているのか分からない。だけどあんまり優しくは笑えていないような気がした。
愛未の顔もいまだに見られない。ただ、制服のシャツから透けている黒のブラを眺めることしかできなかった。
「ちょっと急すぎない? せめてシャワーとか」
いつもの愛未らしくない、焦ったような声が聞こえる。違和感に気付かれないように、覆いかぶさるようにして抱きしめた。
「ダメ、もう待てない」
首元に顔を埋めると、花のような甘ったるい香りを感じる。先ほどまで胸の内を占めていた苦しさとは別の感情が浮かび上がった。
このまま流されてしまえばいい。そうすれば胸の内に居座った苦しみも消えるはずだ。
首元にキスを落とすと、耽美な声が漏れる。そのままブラウスの裾から手を忍ばせて、滑らかな肌に触れた。
次の瞬間、思いっきり肩を掴まれて引き剥がされた。
突然の出来事で千颯は固まる。そこでやっと、愛未の顔がまともに見られた。
「やっぱりおかしい。こんなのいつもの千颯くんじゃない」
意思の籠った鋭い眼差しで見つめられる。胸の内に潜んだやましい考えが、全部見透かされたような気がした。
愛未は乱れたブラウスを整えた後、スカートのシワを正しながらベッドから立ち上がった。
その直後、ローテーブルに置かれた3枚の手紙の存在に気付いた。
「なあに、あれ?」
しまった……と思った時には、手紙は既に愛未の手の内にあった。
「相良雅」
名前を読み上げられた瞬間、愛未から手紙を奪った。
奪ったのは後ろめたいからという理由だけではない。雅の手紙は、誰にも晒してはいけないような気がした。
内容までは伝わらなかったけど、雅から手紙を受け取ったという事実はしっかり伝わっていた。
「もしかして、卒業式で雅ちゃんから手紙を貰ったの?」
ここまで来たら誤魔化すことなんてできない。千颯は小さく頷いた。
愛未は淡々とした口調で追及する。
「それで、雅ちゃんに心を動かされちゃったわけ?」
否定しなければ。そう思っているのに、言葉が出てこなかった。
愛未がどんな顔をしているのか見るのが怖かった。
沈黙が続く。
まるで断罪される瞬間を待つ罪人のような気分だった。
しばらくすると、ダン、と物々しい音が聞こえた。何事かと思い顔を上げると、愛未は床を強く踏みつけていた。
「あああぁ、もうっ! 京女ってなんてしたたかなの!?」
愛未は怒っていた。いや、怒るどころではない。ぶちぎれていた。
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