第162話 手紙

 封を開けて、千颯ちはやは恐る恐る手紙に目を通す。そこには、形の整った綺麗な文字が並んでいた。


 手紙を通して何を告げられるかは分からない。内容によっては、いま居る場所には戻って来られないかもしれない。


 それでも千颯は手紙を読む選択をした。理由はとても単純だ。


 みやびの本音が知りたかったから――。


 本音を隠して素っ気ない態度を取っていたあの子が、最後の最後にようやく見せようとしてくれたんだ。その気持ちを、ちゃんと受け止めてあげたかった。


 千颯は意を決して、手紙を読み始めた。




*・*・*


 千颯くんへ


 突然手紙なんて驚いたやろ? 雅らしくない、なんて思ってるかもしれへんなぁ。


 だけどこれが最後やと思うから、らしくないことをさせていただきます。建前ばっかのうちやけど、手紙やったら本音で伝えられそうな気がしたから。


 ちょっと長くなりそうやけど、最後まで読んでなぁ。




 初めて千颯くんと会った時、正直情けない男やと思いました。(初っ端から貶すようなこと書いてごめん)


 あの日の千颯くんは、彼女にフラれて校舎裏でメソメソ泣いてたね。ボロボロになった姿は、まるで捨て犬みたいやと思った。


 あんまりにも可哀そうやったらから励ましてあげたんや。


 うちが千颯くんのことをええ男って言った時、本気で照れ始めたのはほんまに驚いた。東京の人は社交辞令も通用しーひんのかってびっくりしたわぁ。


 偽彼女になってほしいって言われた時は、アホらしいって思いました。だけど、何でも言うことを聞いてくれるっていうのは、あの時のうちにとっては魅力的やった。


 あの言葉がなければ、そんな厄介ごとは引き受けてなかったと思う。世の中、ギブ&テイクやね。


 初めは乗り気やなかった偽彼女やったけど、千颯くんと過ごすうちに少しずつ変わっていきました。千颯くんってほんまに面白い子やから、一緒に居て飽きひんかったわぁ。


 一緒に過ごす中で、千颯くんの優しいところもたくさん知りました。


 うちがストーカーに襲われた時、走って助けに来てくれたよね。あれ、ほんまに嬉しかったんやで。千颯くんの顔を見て、心の底からホッとしているのを覚えてる。


 その後、原宿に連れ出してくれたよね。あれ、うちを元気づけようとしてくれたんやろ? ちゃんと伝わっとるで。


 帰り際に、ペンギンさんをプレゼントしてくれたのも嬉しかった。あの瞬間、この人はほんまにええ人やって思った。


 だからこそ、千颯くんには傷ついてほしくなかった。愛未ちゃんの気まぐれで、千颯くんがまた泣くのは嫌やったから、もう関わらんでほしいって伝えました。


 でも愛未ちゃんの本心を知って、うちの勝手な正義感で二人を引き裂いてはいけないって思ったんや。だから二人の仲を取り持つことにしました。


 それからの日々も、ほんまに楽しかった。千颯くんと居る時は、心の底から笑っていられた気がする。


 京都に来てくれた時は、うちの話も聞いてくれたね。誰にも知られたくない過去を話すのは、正直怖かった。


 でも千颯くんは、うちのことを嫌いにならんでいてくれた。それどころか、由紀との仲も取り持ってくれた。それもほんまに感謝してる。


 あの時、京都に残ってくれて、ありがとう。


 ここから先は書くかどうか迷ったけど、筆が乗ったから書かせてもらいます。


 うちは思うんよ。千颯くんの魅力は、人に共感できることやって。


 流されやすいのは、相手の気持ちを自分事として捉えてしまうから。共感できるからこそ、相手のペースに合わせてしまうんやないかな? (違ってたらごめん)


 相手の気持ちに全身全霊で寄り添える千颯くんのことは心から尊敬しています。千颯くんは、まさにうちがなりたかった姿やから。


 偏見まみれで頭の堅いうちやけど、いつか千颯くんみたいに人の気持ちに寄り添える優しい人間になりたい。


 うちにとって千颯くんは、憧れの存在です。


 本当はもっと千颯くんの傍に居たかったけど、そういうわけにはいかへんからね。これでサヨナラやね。


 うちはうちで自分の人生を全力で行きます。それでいつか、本当の意味で優しい人間になります。


 うち、頑張るから、千颯くんも頑張ってなぁ。


 随分長くなってしまったけど、ここまで読んでる? 読んでくれたらありがとう。


 最後に一言だけ。


 千颯くん、幸せになってください。




 相良雅より


*・*・*


 手紙には「好き」という言葉は一度も使われていなかった。綴られていたのは、たくさんの感謝の言葉ばかりだ。


 だけど雅の気持ちを想像すると分かってしまう。


 これはただの感謝の手紙ではないことに――。




 抑えていた感情が溢れ出す。


 雅に傘を貸した日、確かに芽生えた感情があった。


 晴れた空のような清々しい笑顔を目の当たりにした時、確実に心が揺れ動いた。


 だけどそれを自覚してしまったら、愛未とはいられなくなる。愛未と過ごす日々は、いつぞや貰ったバレンタインチョコのように甘くて濃厚だった。


 幸せな日々を失いたくない。だから後ろめたい感情に蓋をした。


 でも本当は、隠した時点で気付いていた。気付いていたけど、気付かないふりをしていたんだ。


 夏休みの最終日、雅との関係性を語った。自分の知っている言葉では言い表せない特別な存在。


 確かにそれは間違いない。嘘偽りのない本音だ。


 だけど、関係性なんかを語る前に、もっとシンプルな感情があった。


 もう、隠し通すことなんてできなかった。




「俺は、雅のことが好きだったんだ」




 好きという感情が、溢れ出して止まらない。抑えていた感情が涙になって零れ落ちた。


 いまさら自覚したって遅すぎる。もう会えないってタイミングで気付いたって、どうしようもなかった。


 どんなに泣いても胸の苦しさはちっとも消えやしない。好きという感情がいつまでも居座って、全身を蝕んだ。


 もういっそ蛙化したかった。


 いつぞやの愛未のように、好意を向けられた相手を拒絶できたらどんなに楽だっただろう。好意が拒絶に変われば、これまでと変わらず愛未だけを見ていられたのに。


 蛙化なんてできるはずがなかった。

 雅が好き。


 その感情は、泣けば泣くほど強くなっていくような気がした。

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