第161話 キスで目覚める
人目を避けるように
「なんだか懐かしいね。初めて雅と話したのも、この場所だったよね」
「そやなぁ。あの時はびっくりしたわぁ。いきなり彼女になってほしいなんて言うんやもん」
「びっくりするのも無理ないよ。あの時の俺はどうかしてた」
転校してきたばかりの女の子にいきなり彼女になってくださいとお願いをするなんて、どうかしている。突然お願いされた方は堪ったもんじゃないだろう。
自分で自分に呆れていると、雅は陽だまりのような微笑みを浮かべた。
「でも、千颯くんの彼女になって良かった」
その言葉でぎゅーっと胸が締め付けられる。嬉しさと同時に、切なさが押し寄せた。雅は穏やかに微笑んだまま続ける。
「ありがとう。うちを千颯くんの彼女にしてくれて。最後まで偽物やったけどなぁ」
自虐にも似た最後の一言に、何と返すべきなのか分からない。本物にしてあげられなくてごめん、なんて口にしたら、また彼女を傷つけてしまうのだろうか?
俯いていると、目の前に白い封筒が差し出される。
「千颯くん、これあげる」
「なにこれ?」
「手紙」
「手紙? なんで?」
「読めば分かる」
手紙を遠慮がちに受け取る。驚いていると、雅は子供に言い聞かせるように人差し指を立てながら言った。
「家に帰ってから、一人で読むんやで」
戸惑いながらも千颯は頷く。
「うん。分かった。ありがとう」
千颯がきちんと手紙を受け取ったことを確認すると、雅は安堵したように頬を緩めた。
千颯から一歩離れ、去ろうとする雅。その直後、何かを思い出したかのように千颯の目の前に戻ってきた。
雅は上目遣いで千颯の顔を覗き込む。頬は赤く染まっているのに、瞳はどこか挑発的だった。
「これはおまけや」
何が、と聞こうとしたが、言葉にすることはできなかった。
唇が塞がれてしまったからだ。
何が起こったのか分からなかった。
思考回路が停止して、その場で固まることしかできない。
しっとりとした柔らかな感触が伝わる。
雅は背伸びをしながら、そっと目を閉じていた。
唇に伝わる感触と目の前の光景を認識すると、心よりも先に身体が反応する。
快楽の波がゾクゾクと押し寄せて、心をくすぐった。
そこでようやく理解した。
雅にキスをされていると――。
雅はそっと身体を離す。その瞳はわずかに潤んでいた。
一呼吸おいた後、軽い足取りで千颯から三歩距離を取る。
風が吹いて、スカートがひらりと揺れる。中庭から飛んできた無数の桜の花びらが二人を包み込んだ。
雅はこちらの顔を覗き込むように腰を屈める。そして目を細めながら、完璧な笑顔で告げた。
「特別なんて言った仕返しや。うちのこと、忘れられへんようにしたるわぁ」
呆気に取られているうちに雅は背を向ける。
「ほななぁ」
そのまま振り返ることもなく、桜の妖精のように消えていった。
*・*・*
校舎裏に残された千颯は、暴れまわる心臓を押さえながら立ち尽くしていた。
(マズイ。これはマズイ……)
心の奥底にしまい込んだ感情が、いまにも溢れ出しそうになる。奥歯を噛み締めながら、出てくるな、出てくるなと何度も念じた。
すると、誰かがこちらに向かってくる足音が聞こえた。
「あ、千颯くん、こんな所にいた」
顔を上げると
「そろそろ帰ろう」
目の前までやって来た愛未は、千颯に手を差し伸べる。
その瞬間、計り知れないほどの罪悪感に襲われた。
思わず後退りする千颯。愛未の手を掴むことはできなかった。
「ごめん、愛未……」
動揺しきっている千颯の表情を見て、愛未も異変に気付く。
「どうしたの?」
黒目がちな丸い瞳で顔を覗き込まれると、揺らいだ心が見透かされそうになった。
愛未の顔が直視できない。千颯は逃げるように愛未から離れた。
「ごめん! 俺、先に帰ってる!」
そう叫ぶと、全力で走り出した。
*・*・*
駅までの道のりを猛スピードで走り抜ける。心臓が暴れまわり、息が上がる。心も体も追い詰められて、苦しくて堪らなかった。
通い慣れた通学路に、過去の自分が見えた気がした。その隣には、楽しそうに笑う雅が居た。
幻覚だということは分かっている。分かっているけど、なんでそこは愛未じゃないんだよ、と自分の思考回路を呪った。
駅に着いて、改札で定期をかざす。勢いよく飛び込んだものだから、ちゃんとタッチできたのか分からない。だけどそんなのを気にしている余裕はなかった、
階段を降りると、ホームの隅にも過去の自分がいた。隣に居たのはやっぱり雅だった。
どうかしている。愛未と過ごした時間の方が、ずっと長くて濃密だったはずなのに。
雅と通学していた日々なんて、日常のひとコマに溶け込むような、ありふれた光景に過ぎない。どうでもいい話をしながら、笑い合っていただけだ。
愛未と居た時の方がよっぽどドキドキして、分かりやすく恋をしていた。
それなのに、いま思い出してしまうのは雅の笑顔ばかりだった。その理由は分からないし、知ろうとするのはとても怖い。
浅い呼吸を繰り返しながらホームで立ち尽くしていると、電車がホームに入ってくる。頬に風を受けながら、電車が停車するのを待った。
昼下がりの車内は人が少ない。座席に座ることも出来たけど、いまは落ち着いて座っていられるような心境ではなかった。千颯は扉の脇にある手すりを掴んだ。
電車が動き出すと、座席を挟んだ向こう側に、またしても過去の自分が現れた。案の定、隣には雅が居た。
雅は、あの雨の日に見せた晴れやかな笑顔を浮かべていた。もう、こちらには気のないような余裕に満ちた笑顔。そんな顔をされたら、放っておけなくなる。
未練たらしく幻覚を見せてくる自分の思考回路を呪いながら頭を抱える。心がぐちゃぐちゃになって、いまにも泣きそうだった。
そんな様子に見かねて、すぐ傍に座っていた大学生風の女性に声をかけられる。
「あのー……大丈夫?」
心配したような、引いたような表情を浮かべる女性。制服のボタンを全て失った状態で半泣きになっている姿は、さぞかし滑稽に見えるだろう。もしかしたら虐められていると思われている可能性すらある。
「大丈夫です!」
恥ずかしさに苛まれながらなんとか返事をする。女性は不審そうに様子を伺ってきたが、それ以上声をかけてくることはなかった。
やっとのことで家まで辿り着くと、勢いよく階段を駆け登って部屋に飛び込んだ。
ベッドに入って布団をかぶる。全部全部忘れるために、いますぐ眠ってしまいたかった。
だけど錯乱しきった状態では眠ることなんてできない。布団の中で息苦しさを感じながら震えていた。
すると、手の中に雅から貰った手紙があることに気付く。強く握り締めていたせいで、よれてしまった。
千颯はベッドから起き上がり、手紙を見る。封筒の開封口にはハートのシールが貼られていた。
まるでラブレターのようなソレは、見るからに危険なオーラを放っている。
これ以上心をかき乱さないためにも、手紙は読まない方がいいのかもしれない。読んだら最後、曖昧にしていた感情が姿を現してしまう気がした。
だけど読まずに捨てるなんて真似もできそうにない。そんなことをすれば、あの子の気持ちを踏みにじることになるのだから。
『家に帰ってから、一人で読むんやで』
雅はそう言っていた。いまの状況は、まさに当てはまっている。
読むか、読まないか。
二つの選択肢の間で揺れ動く。
悩んだ末、千颯は手紙の封を切った。ハートのシールをちぎらないように注意をしながら。
封を開けると、三枚の手紙が入っていた。恐る恐る、千颯は手紙に目を通した。
◇◇◇
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