第158話 変わっていくもの

 行先は決まってない旅路……なんてカッコつけた言い方をしたが、辿り着いたのは図書館に隣接する公園だった。


 夏休み中は毎日のように通っていたせいか、無意識でいつもと同じ道を選んでいた。


「公園デートでもいい?」

「かまへんよ。今日は話を聞くのが目的やし、ゆっくり話せる場所やったらどこでもええ」


 承諾してもらったところで、二人はベンチに腰掛けた。そこであらためて先日の報告をする。


愛未あいみのお母さんとの話し合いは何とか上手く言ったよ。高校卒業までは保護してもらえるように約束した」


「良かったやん。まあ、千颯ちはやくんから報告したいって言われた時から、成功したんやろなとは思っとったけど」


 やはりみやびは察しが良い。感心していると、続きを促された。


「で、どうやって話したん?」


 雅は上手くいったという結果よりも、経緯を知りたがっているようだ。千颯は順を追って明かしていく。


「まずは、愛未を産んでくれてありがとうございますって言った」


「ふふっ……千颯くんらしい話の切り出し方やなぁ。多分うちが言ったら嘘くさくなるけど、千颯くんやったら本当っぽく聞こえるんやろなぁ」


「そこの違いはなんなの?」


「純粋さ、いや、単純さやろうなぁ。千颯くんって計算高い感じには見えへんからなぁ」


「なんか貶されてる気がするけど……まあいいや」


 千颯が苦笑いを浮かべると、雅は吹き出すように笑った。


「そんで?」


 話の続きを促されて、千颯は報告に戻る。


「愛未に冷たい態度を取っていた理由を聞いた。ある程度予想していた通り、余裕がなくて冷たく当たっていたみたい。そのことに関しては、本人もちゃんと罪悪感を持ってたよ」


「凄いやん。そこまで聞き出せたなんて、やるやん」


 雅から素直に褒められると何だか誇らしくなる。あまり調子に乗らないように注意をしながら言葉を続けた。


「そこはラッキーだったと思ってる。あの人は、俺をあんまり子供扱いしていなかったから話してくれたんだと思う」


「なるほどなぁ。で?」


「高校卒業までは親の保護が必要だから、あと半年でいいから保護してくださいってお願いした。その先は」


 咄嗟に言葉を止めるが、雅は何の気なしに続きを促す。


「その先は?」


 ここから先を伝えたら雅を傷つけるかもしれないと分かっていたが、良い誤魔化し方が思い浮かばない。仕方なくありのままを伝えた。


「その先は、俺が愛未を守りますって言った……」


 その言葉を聞いた瞬間、雅は「はあぁ……」と溜息をついた。そのまま頭を抱えながら項垂れる。


「あー、もう、なんでうち、この暑い中、惚気話聞かされとるんやろ」

「ごめん! 惚気るつもりはなかったんだ」

「ええ、ええ。もう、分かったわぁ」

「分かったって、何が?」


 そう尋ねると、雅は呆れたように笑った。


「千颯くんのソレは、もう恋やない。愛やね」


 愛なんていうのは仰々しい言葉だけど、その通りな気がした。


「そう、なのかもね」


 千颯が同意すると、雅は再び溜息をついた。


「甘すぎて胸やけしそう」

「ほんっとにごめん!」


 雅を傷つけてしまったことに申しわけなさを感じていると、サラッと話を進められる。


「けどまあ、半年間は保護するっていうのもただの口約束やから、その後の経過も見てあげなあかんやろなぁ」


 雅はいまいち愛未母を信用していないようだった。だけどその問題に関しては、既に解消しつつある。


「経過観察はしてるよ。実は俺さ、愛未のお母さんに気に入られちゃったんだ。この前もさ、夕飯に呼ばれて、愛未とお母さんと俺の三人でタコパした」


「んん? タコパ?」


「うん。うちからタコ焼き器持参して。結構楽しかったよ。秋帆あきほさんって案外気さくな人なんだよ。一昔前のギャルって感じで」


「秋帆さん?」


「愛未のお母さんの名前。俺は千颯っちって呼ばれてる」


「待って。急展開すぎてついていかれへん」


 雅は頭を抱えながら状況を整理しようとする。

 雅が驚くのも無理はない。千颯だって最初は戸惑っていたのだから。


「なんかさ、愛未と秋帆さんの二人だと息が詰まるけど、俺がいると場の空気が和むんだって。三人で居る時は、愛未も秋帆さんと話せているんだよ。まあ、まだぎこちなさは残っているけどね」


 三人で居る時は、愛未は以前の話し合いのような他人行儀な話し方はしない。おずおずと様子を伺いながらではあるが、親子の会話を交わしていた。


 二人の関係性が変わりつつあることは千颯も実感している。すぐに完全修復することは難しいかもしれないけど、これからは大人と子供ではなく、大人と大人として新しい関係性が築けたらいいと願っていた。


 そして千颯が愛未の家を出入りしているのは、もうひとつ理由がある。


「あとさ、愛未いわく、俺が秋帆さんの彼氏的なポジションになってるらしいんだ」


 事情を明かすと、雅はハッと驚いた表情を浮かべる。


「そういえば、愛未ちゃんママは若い男が好きなんやったな。千颯くんも守備範囲内ってことか……」


「そうみたい。まあ、愛未の家に変な男が出入りするよりは、俺が二人まとめて相手にした方がいいかと思って」


 へらっと笑いながら告げると、雅はギョッとしたように顔を上げる。


「二人まとめて相手って、まさか……」


 みなまで言わずとも雅の言わんとしていることは理解できた。だがそれは大きな誤解だ。


「違うよ! いかがわしことはしてないよ!」


「……気い付けてなぁ。とりあえず寝込みを襲われへんように」


「分かってるよ。愛未もその辺は警戒しているみたいだから、泊りはナシってことになってる」


「懸命な判断やな」


 雅は複雑そうに目を細めながら頷いた。


「それにしても、ほんまに愛未ちゃんママを陥落させるやなんて……。千颯くんのハーレムは熟女でも男でも何でもありなんやなぁ」


「秋帆さんはまだ若いから熟女ってほどでもないよ。それに男まで囲い込んだ覚えはない」


 きっぱりと否定すると、雅はまたしても苦々しい表情を浮かべた。


「千颯くんは気付いておらへんのか……。まあ、無理もないなぁ。うちもこの前宗ちゃんから聞かされて驚いたところやから」


「え?」


 千颯は固まって雅を凝視する。「男もハーレムに囲い込む」「宗ちゃんから聞かされた」。その二つの言葉から導き出される結論はひとつしかない。


(もしかして宗司そうじさんって、俺のことが……)


 千颯はとんでもない誤解をしていた。


 宗司から好意を寄せられていたと勘違いした千颯は思わず赤面する。


 そう言えば、京都に行った時は彼女が出来たことを咎められたけど、アレは嫉妬からの言葉だったのか? そう考えると、あの壁ドンもあまり怖くは思えなくなってきた。


 誰かを好きになるのに性別も年齢も関係ない。だから同性から好意を持たれても気持ち悪いと感じることはなかったけど、少なからず戸惑いはあった。    


 それに気になる点もある。


「その場合ってさ、俺はどっちなんだろう」

「どっちって?」

「その……受けか、攻めか……」


 恥ずかしそうに指をいじいじしながら尋ねると、雅から白い目で見られた。


「そんなんうちに聞かんといて」

「そ、そうだよね! 変なこと聞いてごめん」


 馬鹿なことを訊いてしまったことに悔いていると、雅は視線を逸らしながらも意見してくれた。


「でも、強いて言うなら…………攻めやないの?」

「おお、攻めかぁ……」


 宗司を押し倒す光景を想像してみる。宗司のことは人として尊敬はできるけど、そういう目では見たことがなかったから想像力が追い付かなかった。


「まあ、向こうも諦めがついたようやし、あんまり気にせんでええよー」


 それはこちらへの想いを断ち切ったという意味なのだろうか。無意識とはいえ、傷つけてしまったことには申し訳なさを感じていた。


 俯く千颯に雅は明るく声をかける。


「失恋の傷を癒すには何かに夢中になることが一番や。向こうもいまは、勉強を頑張っとるでー」


 失恋の傷という言葉に反応してしまう。それは目の前の彼女にも当てはまることなのだろうか?


 自分が訊くことではないと思いつつも、つい口にしてしまった。


「それは雅も同じなの?」


 雅は固まる。それから呆れたように深々と溜息をついた。


「千颯くん」

「はい」


 ジトっとした眼差しで見つめられながら、はっきりと指摘された。


「自惚れすぎや」


 確かにその通りだ。自分の存在が雅を突き動かす原動力になっているなんて考えるのは自惚れでしかない。


「ごめん、変なこと言って」


 咄嗟に謝ると、雅は淡々とした口調で自分を語った。


「千颯くんが思ってるほど、うちは恋愛に固執しとらん。うちにとって恋愛なんて大して重要なことやない。そんなんよりも、将来の夢とか推し活とか友達の方がずっと大事なんや」


 そう言い切る雅からは、悲壮感は一切滲んでいない。それが演技なのか素なのかはちょっと分からないが。


「留学を決めたのもうちの意思や。ほんまはな、去年の夏休みに由紀から将来の夢を聞かされた時から考えとったんよ。うちも自分がどうなりたいのか決めなあかんなって。そんで去年の年末あたりから本格的に考えて、留学を決めたんや。その決断に千颯くんはなーんも関係あらへん」


 想像以上にサバサバとした言葉が返ってきて呆気に取られてしまう。雅は勝気な笑みを浮かべながら千颯の顔を覗き込んだ。


「うちはな、千颯くんが傍に居ようと居まいと楽しく生きてる。いつまでの未練たらたらの負けヒロインやと思ったら大間違いやで」


 その笑顔に救われている自分がいる。だけどそれが演技なのだとしたら、この子はとんでもない大嘘つきだ。


「強がり」


 雅の嘘を引き剥がしてやりたくて悪態を吐く。すると雅は、困ったようにふうっと溜息をついた。


 しばらく沈黙が流れた後、雅は何かに気付いたかのようにベンチから立ち上がる。そのままバスケットコートの傍に駆け寄ってしゃがんだ。


 雅の手にはバスケットボールがある。誰かが忘れていったのだろう。

 雅はバスケットボールを両手で抱えながら言った。


「千颯くん、勝負しよかぁ」

「勝負?」

「うん。負けた方が相手のことをどう思っているか正直に話す。それでどや?」

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