第157話 夏の終わりに

 夏休み最終日、千颯ちはやはある人物と待ち合わせをしていた。真昼よりも気温が下がり、空が茜色に染まった頃、千颯は最寄り駅にやって来た。


 改札前には既に待ち合わせ相手が到着していた。白のTシャツに膝上丈のデニムスカートを合わせた姿は、いつもの清楚なファッションとは違ってカジュアルに見える。らしくないと思いつつも、そんな姿も可愛いと思ってしまった。


 そう感じたのは千颯だけではなかったようで、彼女の周囲には大学生風の二人組の男が集まっていた。


 いかにも軽そうな男達に囲まれながら苦笑いを浮かべる彼女。その様子に見かねた千颯は、歩くスピードを速めて輪の中心に飛び込んだ。


「スイマセン。彼女にちょっかいかけるのはやめてください」


 男達とは目を合わせず告げると、彼女の手を引きながら逃げるように駅から離れた。


 駅が見えなくなった頃、さらりと手を振り解かれる。


「ありがとう、千颯くん。助けてくれて」


 みやびは眉を下げながら笑っていた。その笑顔は、どこか弱々しい。


「珍しいね。雅がナンパされて困ってるなんて。芽依めいちゃんでもあるまいし」

「ああいう人らはな、寂しそうな顔してると寄ってくんねん」

「雅も寂しそうにしてたの?」

「さあ? 少なくともあの人らにはそう見えたのかもなぁ」


 本心は見せずにのらりくらりとかわされる。距離の遠さを感じていると、雅は冗談めかしく笑った。


「まあ、いつもは適当に理由を付けて逃げるんやけど、今日はカッコいいヒーローが助けてくれると思ったからそのままにしとっただけや」


「ヒーローって俺のこと? それは買いかぶり過ぎじゃない? 怖気づいて逃げてたかもしれないよ」


「そんなんしたらナンパ男の前に千颯くんをしばいたるわぁ」


「こっわ……」


 にっこり笑顔で恐ろしいことを言ってくる。思わず身震いをしていると、雅は視線を前方に移しながら言葉を続けた。


「でも、千颯くんは助けてくれた。そういう男やん。千颯くんって」


 一応、信頼はされているらしい。完全に距離を置かれたわけではないと安堵していると、雅はコンビニの前で足を止めた。そしてくるっと振り返りながら、千颯の顔を覗き込んだ。


「千颯くん、アイス買って」


 唐突なお願いに戸惑いながらも、千颯は頷く。先日のアドバイスのお礼がアイス一個で済むのなら安いものだ。


*・*・*


 こうして雅と会っているのは、愛未母との一件の報告をするためだ。電話で報告をしようとしたところ、雅のほうから夏休みの最終日に直接会って聞きたいと申し出があった。


 雅と二人きりで会うことには後ろめたさがあったけれど、協力してもらった手前無下にはできない。だから愛未がバイトの時間帯を指定して、こうして密会していた。


 コンビニに入ると、雅はショーケースの中から2本1セットになったチョコレート味のチューブアイスを取り出した。


 会計を済ませてから雅に渡すと、案の定片割れを分け与えられた。


「半分こ」


 有難く頂戴して、チューブに齧りつく。ひんやりした食感とチョコレートの甘さに包まれた。


 ふと雅を見ると、両手でアイスを押し出しながら、ちゅーっと吸っていた。思わずじっと見てしまうと、雅は不思議そうに首を傾げた。


「なに?」

「なんでもない」


 千颯が慌てて視線を逸らすと、雅はもう一度不思議そうに首を傾げながらも話を続けた。


「それにしても、アイスを半分こにするなんて懐かしいなぁ。昔はよく、お兄ちゃんと半分こにしとったわぁ」


「俺もよくなぎと半分こにしてたよ。まあ、うちの場合はいまでもやってるけど」


「千颯くんちの兄妹は仲がええもんなぁ」


「まあ、そうなのかもね」


 凪の話が上がったことで、京都に向かう前に凪と話したことを思い出した。千颯はさりげなく話題に上げてみる。


「そういえば、凪に話したんだね。俺が愛未あいみに片想いしてたこととか、一度フラれてダメになったこととか……」


 その話を持ち出すと、雅は気まずそうに顔を引き攣らせる。


「ごめん。勝手に喋って」

「ううん。別に怒ってるわけじゃないよ。ただ、意外だっただけ。雅は口が固そうなタイプだったから」


 偽彼女の件も、結局最後まで誰にも明かさなかったから、雅は秘密は守る主義なのかと思っていた。だから、あっさり凪に事情を話したのは意外だった。


「うーん、その話は凪ちゃんにしつこく聞かれたってのもあるんやけど、別の理由もあんねん」

「別の理由?」


 首を傾げながら言葉を繰り返すと、雅は小さく微笑んだ。


「千颯くんと凪ちゃんには、仲の良い兄妹のままで居てほしかったから」


 千颯は思わず立ち止まる。雅の言葉の意味を考えていた。


 千颯と凪は、以前と変わらずに仲が良い。それは当たり前のことだと思っていた。


 だけど、その当たり前を壊すような出来事は起こっていた。千颯が雅と別れて、愛未と付き合い始めたことだ。


 雅と凪は同じアイドルグループを応援する推し友だ。千颯を介さずにやりとりすることもある。


 そんな中、大事な友達を裏切るような真似をしたら、千颯に対して不信感を持つのも無理はない。


 現に雅と別れて愛未と付き合い始めたことを報告した時は、失望の眼差しを向けられた。表立って非難されることはなかったけど、確実に好感度は下がったように思える。


 そんな微妙な関係を雅が取り持ってくれた。千颯が気付かない場所でさりげなく。


「俺と凪がギクシャクしないように説明してくれたってことだよね?」


 いまの千颯の状況を事実だけで見たら、雅から愛未に乗り換えたチャラい男だと思われる。実際に、クラスメイトからもチャラいと散々陰口を叩かれた。


 だけど、長年片想いをしていた相手と両思いになったと聞けば話は別だ。本当に好きだった相手と結ばれたのだと納得できる。


 雅はチューブアイスをちゅーっと吸ってから微笑んだ。


「そんなとこやね。千颯くんってすぐに女の子にデレデレするけど、いい加減な男やないやん。そのことを凪ちゃんにも知ってもらいたかったから」


 やっぱり雅は優しい。凪の言う通り、当たり前のように享受してきた穏やかな日々は、雅の優しさで成り立っていた。


 こんなにも時間が経ってから気付くなんて、自分が情けない。千颯は真っすぐ雅を見つめた。


「雅、ありがとう」

「ん」


 心からの感謝を伝えたつもりだったけど、雅からは素っ気なく流される。拍子抜けする千颯を置いて、雅は歩き出した。


「で? 今日のデートはどこに行くん?」


 真面目な話を終えて、呑気に尋ねる雅。おいていかれそうになった千颯は、急いで小さな背中を追いかけた。


「今日のこれって、デートだったんだ」

「少なくともうちは、そう思ってここに居るんやけど」

「そっか。じゃあこれはデートだね」

「そや。浮気デート」


 あらためて指摘されると、罪悪感に苛まれる。何もそんなに堂々と言わなくても……と呆れてしまった。


 だけどあえて指摘されたことで、自分の立場を再認識することになった。もしかしたら雅も同じなのかもしれない。


 苦々しい顔をする千颯を揶揄うように、雅は笑った。


「で、ほんまにどこ行くん?」


 そう聞かれると困る。今日は愛未の一件の報告をするだけだと思っていたから、行先なんて決めていなかった。


 いまさら取り繕っても無駄だろうから、千颯はあっさり手持ちのカードがないことを明かす。


「あてもなく、ぶらぶらと……」


 ノープランで来たことを責められると覚悟していたが、雅は気分を害するどころか楽し気に笑った。


「そういうの、嫌いやない。行き当たりばったりの方が、案外特別な思い出になったりするもんやからね。原宿で出会ったペンギンさんとか、夏色に染まった渡月橋とか、元旦に見た朝焼けのグラデーションとか」


 過去を懐かしむように目を細める雅を見て、千颯も頷いた。


「全部特別な思い出だね」


 同意したつもりだったが、雅はどこか切なそうに視線を落とした。また傷つけてしまったのかもしれない。


 俯く雅に少しでも笑ってほしくて、千颯は軽口を叩いた。


「それじゃあ今日はあてもなく旅でもする? 気付いた時には地球の裏側にいるかもよ」


 突拍子もない提案をすると、雅は吹き出すように笑った。


「それは楽しそうやけど、明日から学校やって分かって言ってるん? 流石に新学期初日からサボるのはあかんやろ」

「そりゃそーだ」


 旅なんて出来っこないと分かっているからこそ、気軽に提案が出来た。本当はどこにも行けやしない。


 虚しさを振り払うように千颯は笑った。それからわざとらしく雅の前に手を差し出してみる。


「行先は決まってない旅路ですが、俺を信じて付いてきてくれますか? お姫様」


 去年の劇のように王子様の真似事をしてみるも、雅はあの時とは違って白けたような顔を浮かべるだけだった。


「王子様の魔法はとっくに解けとるわぁ。いまおるんは王子様やなくて蛙さん」

「なんてこった……」


 去年のようにドキドキしてくれるかと期待していたが、冷たくあしらわれてしまった。拍子抜けして肩を落としていると、雅はクスクスと笑った。


「まあでも、うちは蛙さんも嫌いやないで。ぴょこぴょこ一生懸命跳ねとるんは可愛らしい」


 嫌いやない。単にフォローされているだけなのか、もっと深い意味が込められているのかは分からない。


 相変わらず雅は近くて遠い。差し出した手も握られることはなく、宙ぶらりんのまま放っておかれた。

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