第156話 何でも叶えてあげる

 愛未あいみの涙が収まった後、二人は真夜中の公園に立ち寄った。こんな遅い時間に出歩くのは初めてで、なんだか悪いことをしている気分だった。


 愛未はベンチに腰掛けると、千颯ちはやにも座るように促す。緊張を隠しながら千颯は愛未の隣に腰掛けた。


「今日は本当にありがとう。千颯くんのおかげで3月まではあの家にいられるようになったよ」


 嬉しそうに目を細めながら感謝の言葉を告げられる。その表情にトキメキながらも、誇らしい気分になった。


「うん。無事にお母さんを説得できて良かった」


 半年間は保護する。愛未母は涙ながらにそう約束したのだから、簡単には反故ほごにされないだろう。いや、されないと信じることにした。


 万が一、愛未母の考えが変わったのなら、またその時に策を練ればいい。いまは愛未母の善意を信じて、二人の親子関係を見守ることにした。


 安堵する一方で、愛未はどこか疑うように千颯の顔を覗き込んだ。


「だけどさ、あの交渉の仕方はいつもの千颯くんらしくないよね?」


 ギクッと表情を強張らせる。動揺を悟られないように、すぐさま笑って見せた。


「えー、俺らしくないってどういうこと?」

「千颯くんにしては回りくどい話し方だったような。あんなのはまるで……」


 そこで愛未は言葉を止める。みやびに相談したことを勘ぐられたかと焦ったが、それ以上追求されることはなかった。


「まあいいや。何も気付かなかったことにしてあげる」


 愛未は余裕に満ちた笑みを浮かべていた。


 わざわざ京都まで行って、雅に助言を求めたことが知れれば、第二の修羅場が起こりかねない。危機を回避できたことに安堵していた。


 それから愛未は腰を浮かして千颯と距離を詰める。


「そんなことより、ここまでしてくれた千颯くんにはご褒美をあげないとね」


 意味ありげに笑う愛未の顔を見て、ドキッとしてしまう。


「ご、ご褒美って……」

「前に約束したでしょ? 千颯くんのしたいこと、何でも叶えてあげるって」

「したいこと……」


 千颯はごくりと生唾を飲む。表情を固まらせる千颯を見て、愛未は妖艶に微笑んだ。


「もう千颯くんちに居候する必要もなくなったから、あの約束も効力を失うもんね」


 約束というのは言わずもがな。確かに愛未の言う通り、枷が外れたことになる。


「いいよ。千颯くんが望むならそういうお願いでも。なんなら、いまここで、なんて手もあるし」

「いまここでって、外なんですけど……」

「そういうシチュエーションもあると思うけど?」


 咄嗟に周囲を見渡す。真夜中の公園は当然のごとく人はいない。月明かりだけが二人を照らしていた。


 確かにできないことも……なんて想像をしかけたがすぐに我に返る。


「ダメダメダメ! 誰かに見つかったら通報されちゃうよ! 警察官を目指している子がするようなことじゃない!」


 そう理由付けをすると、愛未も考え直す。


「うーん、確かにそうだね。試験を受ける前に補導なんてされたらたまったもんじゃない」


 なんとか思いとどまってもらって安堵したのも束の間、愛未はもう一度千颯に詰め寄った。


「じゃあ、お願いを叶えるのは今度ということで、いまはお願いの内容だけ聞かせて」


 期待するような瞳で見つめられると途端に恥ずかしくなる。


 願い事は考えてないわけではない。実のところ、数ある願い事の中から既にひとつに厳選していた。


 だけどそれを口にするのは、ちょっと気恥ずかしい。戸惑う千颯を促すように、愛未は微笑む。


「いいよ、どんなお願いでも」


 どんなお願いでもいいと許可を貰ったところで千颯も覚悟を決める。そして愛未の耳元でそっと囁いた。


「――――……」


 願い事を伝えた瞬間、愛未はきょとんとした表情を浮かべる。その反応を見た千颯は、恥ずかしさのあまり視線を逸らした。


「やっぱりダメだよね! 女の子って、そういうの嫌がる子もいるって聞いたことあるし!」


 蛙化されてしまったのではと焦りながら悶える千颯。その隣で愛未は、何度も首を左右に振った。


「ダメじゃない。ダメじゃないけど……そんなことでいいの?」

「そんなことって、俺にとっては結構勇気のいるお願いで……」

「正直、もっとストレートなお願いをされると思っていたから拍子抜けしちゃって」


 愛未の言いたいことは千颯にも伝わっている。愛未の指すストレートなお願いは、この場ではしていなかったからだ。


 千颯は赤くなった顔をパシンと叩いてから、できるだけ真面目な顔を作る。


「その件に関してなんだけどさ」


 真面目な雰囲気を作ろうとしているのを察してか、愛未も姿勢を正して真面目に話を聞く体勢になった。愛未からまじまじと見つめられて余計に恥ずかしさが募ったが、意を決して考えを伝えた。


「そういうのはさ、高校卒業までナシにしない?」


 愛未は驚いたように目を丸くする。反論される前に千颯は慌てて言葉を続けた。


「多分だけどさ、俺の場合は一回したら抑えが利かなくなると思うんだ。それこそ、勉強そっちのけでなんてことにも……。それは、愛未にとっても俺にとっても良くないことだと思うんだ……」


 自分のことは自分が一番よく分かっている。多分、一回したら我慢なんて効かなくなる。キスを何度もしたくなったように、そういう行為も何度も求めてしまう気がした。そうなれば受験どころではなくなる。


 お互い目の前のことに集中するためにも、いまは歯止めをかけておいた方がいい。さすがに誰かさんのように結婚するまでしないとは言えないけど、高校卒業までの半年だったらギリギリ待てる。


 正直な思いを伝えると、愛未は吹き出すように笑った。


「ふふっ……そっか。抑えが利かなくなった千颯くんも見てみたい気がするけど、それで浪人させちゃうのは可哀そうだもんね」


 浪人というリアルなワードが飛び出してズーンと沈む。その姿を見て、愛未は余計に笑った。


 そして笑いが収まった後、愛未は承諾してくれた。


「分かった。高校卒業まではナシにしよう。千颯くんの焦らしプレイに付き合ってあげる」


 納得してくれたことでホッとする。焦らしプレイと称されたのは心外だけど。

 しかし愛未はただ納得するだけでなく、さらなる爆弾を投下した。


「じゃあさ、卒業式の日に、一緒にそっちも卒業しちゃおうか」

「へ?」


 突拍子のない言葉を投げかけられて、再び赤面する。愛未は髪を耳にかけながら、大人びた表情で言葉を続けた。


「日付が決まってた方がお互い準備がしやすいでしょ?」

「じゅ、準備って……」

「女の子だってね、色々準備がいるんだよ? 千颯くんがその気になったとしても、いきなりじゃ困るの」


 千颯には何のことやらさっぱり分からない。だけど男としてできる準備だけは約束した。


「とりあえず、卒業式までにゴムは準備しておきます……」


 俯きながら蚊の鳴くような声で伝えると、愛未は満足そうに微笑んだ。


「うん、お願いね」


 交渉が成立すると、愛未はうーんと背伸びをしながら立ち上がる。


「帰ろっか、千颯くん」


 差し伸べられた手を千颯は取る。


「うん」


 公園を出て千颯の家に向かおうとすると、愛未は「あ!」と何かを思い出したように声をあげた。


「そっか、千颯くんのお願いってそう言うことか。確かにそれはレベル高いなぁ」

「ん?」


 何の話をされているのか分からずに首を傾げていると、愛未はにやりと笑った。


「だってさ、その頃には解禁になってるでしょ? 人が見ているかもしれない外で……なんて千颯くんも変態だなーって」


 はて、と立ち止まる千颯。自分のお願い事と愛未の言葉を照らし合わせると、とんでもない誤解をされていることに気付いた。


「ちがっ……そういう意味で言ったんじゃ……」

「やーだなー。そんなことしたら本当に捕まっちゃうよー。というか私が捕まえるべきかもねー」


 クスクスと笑いながら千颯から逃げるように走り出す愛未。千颯は赤面しながら、その背中を追いかけた。


「だから誤解だってー!」




 千颯の願い事は、いたってシンプル。


『来年の夏は、一緒に海に行きたい』


 今年は遊べなかった分、来年はたくさん遊びたいという願望と、愛未の水着姿を見たいという下心が合わさった願い事だった。


 もちろん外で……なんていう大それたお願いは含まれていない。

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