第153話 愛未母と対面
翌日、辺りがすっかり暗くなった頃に
「お母さんまだ帰って来てないの?」
「帰ってくるのはもっと遅いと思う。それまで中で待ってよう」
時刻は20時。仕事が忙しいのか、別の用事で出掛けているのか分からないが、愛未母はまだ帰宅していなかった。
到着して早々に直接対決する展開にはならずにホッとしたが、緊張が消えたわけではない。これから話し合いをするというプレッシャーから全身に汗が滲んでいた。
愛未は部屋の電気を点けることもなく、部屋の隅で膝を抱える。その姿はとても小さく見えた。
「怖い?」
そう尋ねると、愛未は小さく頷く。素直に弱みを見せてくれたことに安堵しながらも、小さく丸まった身体をそっと抱きしめた。
「大丈夫」
不安を少しでも追い払えるように、頭をそっと撫でる。すると愛未は、ことんと千颯の肩に頭を預けた。そのまま浅い呼吸を繰り返しながら小さく震えていた。
真っ暗なアパートで身を寄せ合っている状況にも関わらず、下心は一切湧いてこない。
この後に愛未母に会うというプレッシャーがあるからなのかもしれないが、それだけではない。目の前で震えている彼女の不安を、少しでも和らげてあげたいという想いでいっぱいだった。
*・*・*
あまりに長い時間待っていたものだから、二人してウトウトと半分眠りについていた。
そんな中、ガチャっと玄関の鍵が開く音が響く。その音で、二人は一気に覚醒した。
愛未の母親が帰ってきた。
愛未はすぐさま立ち上がり、玄関に向かう。千颯も立ち上がったが、愛未に片手で制された。
「まずは私が話してくる」
心配ではあったが、とりあえずは様子を窺うことにした。パチンと玄関の灯りが付くと、愛未母が驚いたように目を見開いた。
「あんた、帰って来てたの?」
驚く母親を前にして、愛未は「はい」と小さく頷く。千颯は部屋の影から愛未母を観察していた。
聞き及んでいた通り、愛未母は若い。高校生の娘がいるとは思えないほどの若々しさだった。確か年齢は35歳だったはず。
若いというだけでなく、愛未母は顔立ちも整っていた。明るい茶髪にギャル風の化粧を施した派手な見た目は、愛未とは正反対だ。だけど顔の造りは似通っていた。あの容姿であれば、若い彼氏ができるのも頷ける。
千颯が見惚れているうちにも、親子の会話は進んでいく。
「いままでどこ行ってたの?」
責めるような口調で訊かれると、愛未は母親とは視線を合わせずに俯き加減で答えた。
「彼氏の家に居候していました」
他人行儀な口調。親子との会話にしてはあまりによそよそしかった。
普段の愛未を知っているからこそ、こんな風に冷めた態度を取ることに驚きを隠せない。自分の知らない愛未を目の当たりにした気がした。
愛未の言葉を聞くと、はあっと呆れたような溜息が漏れる。
「結局あんたも男に媚びて生きるんだね。そんなんじゃ、ろくな人生にならないよ」
その言葉で愛未の肩が揺れる。そして相変わらずの淡々とした口調で返した。
「媚びているわけではありません。あなたと一緒にしないでください」
冷静でありつつも、棘のある言葉を放つ。攻撃的な言葉を受けたことで、愛未母は眉を顰めた。
ピリッとした空気が流れつつも、愛未は怯むことなく言葉を続ける。
「私は男に頼らなくても生きていける人間になります。そのためにちゃんと就職もするつもりなので」
きっぱり告げると、愛未母は小さく溜息をつく。
「あっそ……。勝手にしなさい」
娘に興味を失ったように視線を逸らしながら、玄関に戻り靴を履こうとする愛未母。その態度を見て、愛未はギリっと奥歯を噛んだ。
「どこに行くんですか?」
「あんたには関係ないでしょ?」
愛未と視線をあわせることなく、ドアノブに手をかける。愛未はギュッと拳を握った後、冷ややかな口調で尋ねた。
「また逃げるんですか?」
その言葉で、愛未母の動きが止まる。
「は?」
振り返った表情からは動揺が滲んでいるように見えた。そんな態度に構うことなく、愛未は自らの主張をぶつける。
「あなたはいつもそうですよね。私から逃げてばかりじゃないですか」
「何なの急に?」
動揺が少しずつ苛立ちに変わっていくのが分かる。それ以上刺激したら危険だと感じながらも、愛未は言葉を止めなかった。
「そんなに私のことが邪魔ですか? あなたにとって私ってなんなんですか? 家族とは思ってないですよね?」
俯きながら機械的に話す愛未。その姿は、感情を押し殺して言葉だけを紡いでいるように見えた。
「知ってますか? 普通の家族はみんなで晩御飯を食べるんです。家事もみんなで分担するんです。それでクリスマスにはサンタの乗ったホールケーキを食べて、思い出をアルバムに残したりするんです。そういうの、あなたは全然やって来ませんでしたよね?」
娘から冷ややかに追い詰められて、母親は言葉を詰まらせる。そこに追い打ちをかけるように言葉をぶつけた。
「ちゃんと愛せないなら、初めから産まなけれな良かったじゃないですか」
それは劇薬にも似た言葉だった。相手の心も、自分の心も殺しかねない。そんな言葉を口にすればどんな事態になるのか、誰だって想像ができた。
案の定、愛未母は壊れた。バン、と思いっきり壁を殴って叫んだ。
「っざけんじゃねーよおお!」
拳が振り上げられ、愛未がビクッと肩を震わせる。
もう見ていられない。千颯は愛未の腕を思いっきり引いて、庇うように飛び出した。
「殴るんだったら俺を殴ってください!」
千颯は叫ぶ。目を瞑りながら殴られることを覚悟した。
しかし、痛みはいつまで経っても襲ってこない。目を開けると、拳を引っ込めて驚いたようにこちらを見つめている愛未母がいた。部屋にもう一人いるとは思っていなかったのかもしれない。
「は? 誰?」
バクバクと暴れまわる心臓を押さえながら、千颯は愛未母と向き合う。
「愛未の彼氏の藤間千颯です」
「彼氏って、例のヤンキー彼氏?」
初っ端から痛い所を突かれる。やはり愛未母には、ヤンキーだと思われていたようだ。
ヤンキーと認識されているのは不本意ではあるが、いまさらあれは変装でしたなんて説明するのもややこしい。ここは話を合わせることにした。
「ヤンキーはもう卒業しました。一応、受験生なので」
「ヤンキーも受験するんだ」
「ええ、まあ、はい……」
歯切れの悪い返事をする千颯を、愛未母はまじまじと見つめていた。
そんな中、表情を失っていた愛未が真っ青な顔をしながら千颯に縋りつく。
「千颯くん、何やってんの!?」
千颯が殴られそうになったことに動揺しているようだった。心を失ったような姿から、いつもの愛未に戻ったことでひとまず安堵する。
「大丈夫だから。それより、ダメだよ。あんなこと言っちゃ」
「え?」
「産まなければよかったのになんて、自分の存在を否定するような言葉は言っちゃダメだよ。そんなのはみんなを不幸にするから」
正直に伝えると、愛未はハッとしたように息を飲む。
「ごめんなさい……」
「うん。分かればよろしい」
笑顔を作って愛未の頭をポンと撫でる。そのやりとりを、愛未母は物珍しそうに眺めていた。
千颯という異質な存在が入ったことで、明らかに空気感が変わった。愛未母の怒りが薄れていったのも分かる。ひとまずは愛未が殴られるような事態を回避できたことに安堵した。
だけどこちらの出方次第では再び怒りを買ってしまう恐れがある。千颯は内心ビクビクしながらも、冷静に話を切り出した。
「今日は愛未のことで話をしたくて来ました」
目的を明かすと、愛未母は警戒したようにこちらを睨みつける。
「何なの突然? わざわざうちにまで上がり込んで」
「突然押しかけてしまったのは申し訳ないと思っています。だけどこうでもしないと、ちゃんとお話しができないと思って」
愛未母は相手の格を確かめるようにこちらを観察する。上から下まで凝視した後、千颯の横を通り過ぎてリビングに入った。
「とりあえず入んな」
早々に追い返される事態にならなかったことに安堵し、小さく息を吐いた。
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