第151話 ハプニング
話が一段落して
「じゃあ、帰るよ」
壁に額を打ち付ける姿は、まるで自分の分身のように思えた。そんな哀れなペンギンに、陽の目を見せてあげたい。
そんな思いつきからペンギンに近付いて触れた。向きを変えてあげようとした直後、雅が血相を変えて飛んできた。
「何しとるん、千颯くん!」
「え?」
千颯からペンギンを奪い取ろうとする雅。勢いよく千颯のもとに飛び込んできたことで、グラリと体勢を崩してしまった。
「ちょっ……雅、危ない!」
「ひゃっ!」
ドスーンっと背中を畳に打ち付ける。同時に何かに押しつぶされるような重みを感じた。
痛みに悶えながらも目を開けると、雅とゼロ距離で接していることに気付く。腰やお腹、胸がぴったりと密着していた。
熱いほどの体温と柔らかな感触が伝わる。耳元では小刻みに呼吸が繰り返されていた。その息遣いを意識すると、一気に緊張が走る。
胸元に無遠慮に押し付けられている物体は、想像していたよりもずっと柔らかくてボリュームがある。まさか直に感触を確かめられる日が来るなんて思わなかった。
驚きのあまり呼吸を忘れていたことに気付き、思い出したかのように息を吸う。するとシャンプーの甘い香りが漂って、興奮が湧き立った。
まるで心の奥までくすぐられているようにゾクゾクする。このままではおかしくなりそうだった。
「大丈夫? 痛くしてない?」
興奮を隠しながら尋ねると、雅はバッと上半身を起こした。真っ赤になりながら眉を下げる表情は、こちらの理性を吹っ飛ばすほどの破壊力がある。雅はアワアワしながら言葉を絞り出した。
「なっ……なんでこんな……」
「ごめん。俺が勝手にペンギンに触ったから」
「ほんまに千颯くんは……アホ! 変態!」
雅はポカポカと千颯の胸を叩く。勝手に私物に触ったことに関しては全面的に千颯が悪いが、こんな風になったのは雅が飛び込んできたからだ。変態と罵られるのは心外だ。
「とりあえずさ、どいてくれないかな?」
このままの体勢でいるのは色々マズい。早々に離れてもらわないと困る。
千颯が指摘すると雅はハッと気づいたように離れようとする。しかし、立ち上がろうと足に力を籠めるも、そのままへにゃりと腰を落とした。
「あかん……びっくりし過ぎて腰が抜けた」
「ええー……」
それは非常に困る。早く退いてもらわなければ、再び変態のレッテルが貼られてしまう。
このままではダメだと思い、雅を退かそうと試みる。……が、腰に触れようとしたところで、真っ赤な顔をしながら睨みつけられた。
「触らんといて!」
ぴしゃんと注意されて手を引っ込める。成す術なく固まっていると、雅は恥ずかしそうに視線を逸らしながら続けた。
「勝手に触ったら、大声出して宗ちゃん呼ぶから」
「そんなことをしたら、俺の命はないんですが?」
「分かった。触らないから早く退いて」
「うちも退こうとしとるんやけど、力が入らへん……」
悩まし気に眉を顰める雅を見ていると、余計に意識してしまう。不埒な感情を振り払うため、千颯は別の話を振った。
「大体さ、なんで急に飛び込んできたの? あんな慌てるなんて、いつもの雅らしくない」
すると雅は、叱られた子供が言い訳をするようにおずおずと答える。
「だって、連れて帰られるんやないかと思って」
雅は畳に転がったペンギンに視線を送る。ペンギンは千颯と同じように仰向けに転がっていた。
その言葉で、千颯がペンギンを連れて帰ろうとしていると誤解していたことに気付く。
「一度あげたものを返せなんて言わないよ」
「そんならなんで触ったん?」
「壁に額を打ち付ける哀れなペンギンに陽の目を見せてあげたかっただけ」
正直に理由を明かすと、雅はクスっと笑った。
「なんやそれ」
雅が笑顔を見せてくれたことで、千颯もほっとする。
「大丈夫。連れて帰ったりしないから。雅があいつを大事にしていることは知ってるし」
「大事にって……」
「だって去年は一緒に寝てたじゃん」
「なっ……」
千颯が指摘した途端、雅は顔を真っ赤に染めた。本気で恥ずかしがる姿を見ていると、意地悪な心がジワジワと湧きあがってくる。千颯はにやりと笑いながら言葉を続けた。
「もう一緒に寝てくれないんだ。寂しいなぁ」
「ちょっ……変な言い方せんといてくれる?」
「俺はあいつの気持ちを代弁しているだけだよ。最近の雅ちゃんは素っ気なくて寂しいなぁ。昔みたいに仲良くしてほしいのに」
「あの子はそんなこと言わへん! 勝手な解釈せんといて!」
ムキになって反論する姿も可愛い。性格が悪いと思いつつも、一度芽生えてしまった意地悪な心はそう簡単には収められなかった。
「ねえ、あいつとどうやって寝てたの? 教えてよ」
「ど、どうやってって……」
「枕元で添い寝してたの? それともおやすみキスでもしてた?」
「お、おやすみのキスって……」
雅はアワアワと慌て始める。適当に言ったつもりだったけど、あながち間違いではなかったのかもしれない。
羨ましい、と思ってしまったが口に出すのはやめておいた。
しばらくは顔を真っ赤にしながら俯いていた雅だったが、ゆっくりと顔を上げた時には挑発的な瞳に変わっていた。
「調子に乗るんも大概にせえや。そんなに知りたいんやったら、いまここで実践したるわぁ」
「実践って……」
意味が分からずにぱちぱちと瞬きをしていると、信じられないことが起こった。
仰向けで寝転んでいた千颯の身体が、ふわりとぬくもりに包まれる。驚くべきことに、雅は再び千颯に覆いかぶさり、抱きしめる体勢になっていた。
肩の上に顔を埋めたかと思ったら、ぴたっと頬を密着させた。身体も頬も密着させて、お互いの体温を確かめ合う。激しく鼓動する心臓の音が聞こえるほどの距離感だった。
「こうやって、ぎゅーってして寝てた……」
耳元で恥ずかしそうに白状する雅。その言葉で一気に興奮が湧き立った。
いますぐ抱きしめ返したいが、触るなと言われている以上手出しはできない。もどかしさでいっぱいになりながら、その場で固まることしかできなかった。
雅は遠慮がちに言葉を続ける。
「千颯くん、ドキドキしとるね」
「そっちこそ」
「うちはこういうの慣れてへんから。千颯くんと違って」
「なんで俺が慣れてる前提なの?」
何気なく尋ねると、雅はぎゅっと千颯のシャツを掴んだ。
「だって愛未ちゃんと、こういうことしてはるんやろ?」
どんな表情でそんな言葉を口にしているのか分からない。千颯が言葉を失っていると、雅はどこか拗ねたような口調で続けた。
「愛未ちゃんとたくさんシてるくせに、なんでうちにもドキドキしてるん?」
詳細は語らずとも言いたいことは伝わった。雅からそんな話を持ち出されるのは意外だったが、そこには大きな誤解がある。
「雅が想像しているようなことは、してないよ」
「へ?」
驚いたように体勢を起こし、千颯を見下ろす雅。
「なんでなん? 男の子ってそういうことしたいんやないの? 愛未ちゃんだって乗り気やったのに」
なんでと聞かれても困る。まるでヘタレだと言われているような気分だった。
ヘタレであることは間違いないけど、それだけではない。プライドを守るために、自分なりの考えを伝えた。
「そういうのは、軽々しくするものじゃないから」
少なくともいまの中途半端な状態では手を出してはいけないような気がした。進路が決まっておらず、愛未の問題も解決できていない状況では。それに雅のことで揺らいでいるなら尚更……。
千颯の考えを聞いた雅は、ふわりと微笑んだ。それは馬鹿にするような笑いではなく、信頼を寄せたような穏やかな笑みだった。
「えらいやん」
褒められるのも何だか複雑だ。気まずさからそっぽを向く。
「なんでちょっと嬉しそうなの?」
「別に嬉しいわけやない。ただ、安心しただけや」
「安心?」
「うん。千颯くんが勝手に大人になってなくて安心した」
雅は穏やかに微笑みながら手を伸ばす。細い指先で優しく髪を撫でた。
「ええ子やなぁ、千颯くんは」
まるで子供を褒めるような仕草は、癒し以上の破壊力がある。胸の内が締め付けられて、どうにかなってしまいそうだ。
もういっそ、いい子なんてやめてしまいたい。甘い言葉を囁く桜色の唇を強引に塞いでしまいたかった。
だけど現実には、石のように固まって誘惑に耐えることしかできない。ヘタレだからという理由だけではない。この無防備で、甘っちょろくて、優しい女の子を、自分の身勝手な欲望で壊したくなかった。
いまはただ、彼女の優しさに一秒でも長く甘えていたかった。
◇◇◇
ここまでをお読みいただきありがとうございます!
本作はカクヨムコンに参加しています。
「続きが気になる!」「可愛い雅をもっと見たい!」と感じたら、★★★で応援いただけると幸いです。
♡や応援コメントもいつもありがとうございます。
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