第150話 本音と建前

 脅されて泣かれて疲弊しきった千颯ちはやは、ヨロヨロとみやびの部屋に向かう。ノックをしてから部屋に入ると、雅は座敷机の上で頬杖をつきながら呑気に雑誌をめくっていた。


「ああ、終わった?」


 涼し気な声で尋ねる雅。その正面に座って、千颯は項垂れた。


「地獄を見たよ」

「そやろなぁ」

「……なんで助けてくれなかったの?」

「千颯くんはいっぺん痛い目に遭った方がええと思ってなぁ」


 その言葉で千颯は顔を上げる。雅は感情の読み取りづらい表情で手元の雑誌をパタンと閉じた。


 ふと部屋を見渡すと、以前渡したペンギンのぬいぐるみが壁を向いた状態で棚に置かれているのを発見した。壁に額を預けている姿からは悲壮感が漂っている。


 隅に追いやられてはいるけれど、捨てられたり東京の家に置き去りにされたりしていないところを見ると、完全には見捨てられていないことが伺えた。


 千颯は意を決して尋ねてみる。


「もしかしてさ、怒ってる?」

「何に?」

「その……俺が愛未と付き合ったことに……」


 そう口にすると、雅は信じられないものを見たかのように目を見開いた。


「はあ? なんでそうなるん?」


 明らかに怒りを含んだ口調で咎められる。


「違った?」

「全然違うわ! うちが呆れとるんは、彼女に内緒でほかの女に会いに来とることや!」

「ああ、そっちか」


 確かにいまの状況は決して褒められたものではない。浮気野郎と罵られても仕方ない愚行だ。とはいえ、こちらとしても事情がある。


「俺だってただ雅に会いに来たわけじゃないよ。愛未のことで相談したくて来たんだから」


 この場にいることの正当性を伝えると、雅は深々と溜息をついた。


「まあ、こんなことになった原因は何となく想像つくけど。どうせ水野みずのくんに何か言われたからやろ?」


「なんで水野が出て来るの?」


「昨日、水野くんから『千颯をそそのかしました』ってLIENがあったから。何のことやと思ったら、昨日の夜に千颯くんから連絡が来て……まったく水野くんも余計なことをしてくれるわぁ」


「ああ、俺そそのかされてたんだ」


「気付くの遅いわ!」


 雅は呆れ顔でツッコミを入れた。


 確かに雅に連絡をしようと思ったのは、水野の言葉がきっかけだ。それが仕組まれていたことだったとするなら、まんまと水野の術中に嵌ったことになる。


 とはいえ、あまりそちらを責める気にはなれない。


「きっかけは水野のアドバイスだったけど、雅に連絡しようと決めたのは俺だから」


 流されてここに居るわけではないと伝えたかった。その言葉で雅はふうと溜息をつく。


「せやったら、浮気にならんようにさっさと用件済ませて、さっさと帰って」

「わかったよ……」


 素っ気ない態度を取る雅に怖気づきながらも、千颯は本題に入った。


*・*・*


「なるほどなぁ。愛未ちゃんとお母さんの仲を取り持ちたいってわけかぁ」


 一通り話を聞いた雅は、両腕を組みながらうーんと考え込む。


「確かに第三者がいた方が冷静に話し合いができるやろからね。由紀との話し合いも、千颯くんがいたから冷静に話ができたと思うし」


「そうなの?」


「そや。あの場に千颯くんがおらんかったら、由紀も意地になって話してくれへんかったと思う。せやから愛未ちゃんとお母さんの話し合いに同席するんは正しいと思うで」


 話し合いに同席するというのは雅も賛同してくれた。そのことに安堵しつつも、課題となっている部分も打ち明けてみた。


「問題はさ、どうやって話を進めるかなんだよね。愛未を卒業まで保護してほしいってお願いしても素直に聞き入れてもらえるかどうか……」


「ちなみに、千颯くんはどんな風に愛未ちゃんのお母さんを説得しようと考えてはるん?」


「まあ、親としての責任を果たしてほしいってお願いをするかな」


「責任かぁ」


 雅は目を細めながらどこか苦々しい表情を浮かべる。


「それじゃあダメかな?」


「親としての責任を果たすって言うんは正論やけど、言い方としては角が立つなぁ。下手したら喧嘩になるで?」


 喧嘩になるのはできる限り避けたい。なるべく穏便に話し合いを進めたかった。


「じゃあどうすれば……」


 千颯が頭を抱えていると、雅はきゅっと口の端を上げて勝気な表情を浮かべた。


「京都人のアドバイスとしては、本音と建前を上手く使い分けることやね」

「本音と建前?」


 意外な言葉が飛び出して首を傾げていると、雅は詳細を語った。


「千颯くんは本音でぶつかるのが美徳と思っとるみたいやけど、円滑にコミュニケーションを取るには建前も大切や。真正面からぶつかるんやなくて、変化球で突いていくんや。さっき宗ちゃんも似たようなことやっとったやん」


 つい先ほどの宗司とのやりとりを思い出す。確か宗司は、千颯がモテて羨ましいと褒めていた。本心ではまったくそうは思っていないのだろうけど。


「なんだか回りくどくて性格の悪いやり方だね」


「宗ちゃんの場合は悪意が見え透いとったけどなぁ。あの人は敵とみなした相手には容赦しいひんから」


「というか、宗司さんとのやりとりもちゃんと聞いてたんだね」


 ジトッとした目で雅を見つめると、わざとらしく視線を逸らされた。


「狭い家やからね。話し声くらい聞こえる」


 なんだかんだでこっそり様子を伺ってくれていたのだろう。優しいんだか優しくないんだかよく分からない。


 それから雅はこほんと咳払いをしてから話をもとに戻した。


「まあ、宗ちゃんのことはいったん置いといて、回りくどい言い方をするんは一種の気遣いや。褒めて共感してさりげなく本音を混ぜる。そういうやり方も作戦のひとつやと思うけどなぁ」


「褒めて共感する、かぁ……」


 正直、現段階では愛未の母親に褒める要素なんて見当たらない。共感するというのも難しい話だ。


「できるかな、俺に……」


 弱気な発言をする千颯を勇気づけるように雅は微笑む。


「相手に寄り添うのは千颯くんの得意分野やん。その力でどれだけ人を陥落させてきたと思ってるん?」


「陥落って、雅までそういうこと言うんだ」


 愛未とまったく同じ表現をされて苦笑を浮かべる。すると雅は、机の上で指を組みながら目を細めて笑った。


「千颯くんのそういう性格にみんな惹かれとるんやで。うちも含め」


 その言い方だと雅も惹かれていると認めていることになる。それが人としてなのか異性としてなのかは分からないが。


 その直後、雅はハッとしたような顔をしながら、わざとらしく視線を逸らした。そしてツッコむ隙を与えないように言葉を続ける。


「とにかく、正論を突きつけてお願いするんやなくて、相手を褒めながら遠回しにお願いするのもひとつの作戦やと思うで」


 それは千颯にはない発想だった。


 確かに正論を突きつけてお願いしても角が立つだけだ。娘を保護しなければならないなんてことは、第三者から言われるまでもなく本人も分かっていることだろうから。


 それなら雅の言うように、変化球で攻めた方が話を聞いてもらえる可能性がある。あらためて相談してよかったと実感した。


「ありがとう雅。おかげで方向性が見えてきた気がするよ」


 素直にお礼を告げると、雅は清々しいほどの笑顔で告げた。


「用事が済んだなら、さっさと帰って」


 その言葉は先ほどまでの発言とどうにも矛盾している。


「雅さん……建前は何処いずこへ?」

「千颯くんには建前は通用しいひんやろ。回りくどい言い方するだけ時間の無駄」


 バッサリと斬られて千颯はわざとらしく胸を押さえて傷ついて見せる。その反応を見て、雅は呆れたように笑った。


 早々に追い返されそうになったが、まだ聞きたいことがある。千颯は意を決して、もう一つの話を切り出した。


「あのさ、これは愛未の話とは関係ないんだけど、聞いてもいい?」

「何?」

「その……海外の大学に行くって本当?」


 そう尋ねると、雅は驚いたようにぱちぱちと瞬きをした。


「なんや、知っとったん?」

「うん、噂で聞いて……」

「そっか……」


 沈黙が走る。雅から真相を告げられるのが怖かった。

 雅は小さく溜息をつくと、意思の籠った瞳で千颯を見つめた。


「ほんまやで。卒業したら向こうに行って入学の準備をする」


 やはり本当だった。話を聞いた時から、そんな気はしていた。


「どうして海外なの?」


 何も海外に行くことはない。日本でだって学べることはいくらでもあるはずだ。


 引き留める権限もないくせに、足を引っ張るような言い方をしてしまう。そんな自分が心底嫌になった。


 雅は千颯の言葉を跳ね返すように、堂々と自分の意思を語った。


「もっと広い世界を見たいと思ったんや。色んな人の価値観に触れて、寄り添ってあげられるような優しい人になりたくて」


 似たような話を去年ここで聞かされた。そこからさらに前進しようというのか?

 呆気に取られる千颯の顔を見ながら、雅は言葉を続ける。


「それに、いま足を止めたら、どこにも行けなくなりそうやったから」


 それは未来を語るキラキラとした言葉とは違い、どこか後ろ向きな言葉だった。


 その瞬間、千颯は悟った。きっと雅はあらゆる感情が入り交じって、その決断を下したのだろう。そんな彼女に、自分がとやかく言う筋合いはない。


「そっか。雅はやっぱり凄いや」


 その賞賛には嘘偽りはない。賞賛の先にある感情には蓋をして、千颯は笑って見せた。


「応援してるよ」


 余計な感情なんて見せなくていい。激励の言葉だけが伝われば十分だ。


 意図するままに伝わったのか、雅は穏やかに微笑んだ。


「ありがとう、千颯くん」

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