第148話 会いたい
夕食を終えた後、
千颯はベンチに腰掛けて、ポケットにしまったスマホを取り出した。
公園までやって来た理由は他でもない。
雅の協力を仰ぐべきからは、
だけど、ただでさえ母親のことでナイーブになっている愛未をこれ以上刺激したくなかった。雅の名前を出したら余計に感情をかき乱してしまう可能性がある。だからこそ愛未に勘繰られないように一人で公園までやって来た。
とはいえ、そんなのは理由の半分に過ぎない。本当はもっと後ろめたい理由が隠れていた。
LIENを起動させ、随分下に追いやられてしまった雅とのトーク画面を開く。そこに記されていたのは、大晦日のやりとりだった。
『会いたい』
そのメッセージが心を抉る。別れを切り出された日の記憶が一気に蘇った。
雅は一体、どんな気持ちでこのメッセージを打ったのか?
初めから別れを告げるつもりで呼び出したのか、あるいは答えを出すために呼び出したのか、いまとなっては真相を確かめようがない。
だけど最終的に雅は別れる選択をした。どこかのタイミングで、身を引くという選択をさせてしまったのだろう。
こんなこと自分が考えるべきではないのは分かっているけど、つい考えてしまう。
雅はそれで納得しているのか?
直接聞けるはずがないからこそ、疑問ばかりが募っていった。
同時に本音で話そうって約束をしたくせに、肝心なことは伝えずに澄ました顔で去っていく姿勢にも腹が立った。それが彼女なりの優しさだということも、心のどこかで気付いていながらも。
『会いたい』
雅はいまでもそんな風に想ってくれているのだろうか?
夏休み前に話した時は、恋心なんて消え失せたかのような余裕に満ちた態度で接してきた。会えない期間も随分あったのだから、気持ちが変わっていたとしても不思議ではない。
未練を断ち切ったというのは、喜ぶべきことなのだろうけど、雅が離れて行くのはどうしようもなく寂しかった。
それに例の噂も気になっている。雅が海外の大学に行くという噂だ。
大学が別になることは覚悟していたが、海外になんて行ったらもう二度と会えなくなる。本当にいなくなってしまうのか、真相を確かめたかった。
『会いたい』
こんなにも感情を揺さぶってくる言葉が、簡単に見返せる場所に残っていること自体が恐ろしい。このメッセージを見返すたびに思い出してしまう。ポケットの中で繋いだ手のぬくもりも、別れ際に見せたぎこちない笑顔も。
『会いたい』
その4文字が滲んでいく。泣く資格なんかないと思いながらも、夜空を仰いだ。
雅の笑顔が頭から離れない。千颯は肺の中の空気を全部追い出すように、深く溜息をついた。
「会いたいのはこっちだよ、ばか」
誰にも聞かせられない本音は、じんわりとまとわりつく夏の空気の中に消えていった。
*・*・*
しばらくは放心したように夜空を仰いでいたが、決心したかのようにスマホの画面を開いた。
ここであれこれ悩んでいても仕方ない。一人で悩んでいたって、一歩だって前に進めないのだから。
それについさっき
ちゃんと考えるためにも、雅との繋がりを断ち切るわけにはいかなかった。そして愛未の一件を相談することは、もう一度雅との繋がりを作るための口実になる。
千颯は意を決して、雅へのメッセージを打った。
『ごめん。いま話せる?』
緊張しながら画面を見守っていると、ポンと既読になる。だけど返事はすぐには返って来なかった。
どう返すか悩んでいるのか、そもそも返す気がないのか分からない。そわそわしながらも一度画面を閉じた。
緊張をほぐすように深呼吸をしていると、不意にスマホが振動する。ヴーヴーと何度も振動しているのを見て、メッセージではなく通話だと気付く。千颯は慌てて応答ボタンを押した。
「はいっ、藤間千颯です」
「うん、そやろなぁ」
笑いながらツッコミを入れる雅。電話の向こう側でクスクス笑う声は、とても懐かしく感じた。
「電話してくれたんだ」
「話せるって聞いてきたんはそっちやん」
「まあ、そうなんだけど、さ」
千颯が歯切れの悪い返事をしたものの、雅はさっさと本題に入った。
「で、どしたん? 愛未ちゃんに蛙化でもされたん?」
「いや、蛙化はされてないけど」
「そんなら、うちと電話してたらあかんやろ。切ろかな」
「待って待って、切らないで! 実は愛未絡みのことで相談したいことがあるんだ!」
「うちに? 何なん?」
「それが……」
水野に相談した時のように順序立てて話をしようとしたところで、ふと良くない考えが浮かんでしまった。
いけないことだとは分かっている。だけどズルい心は、いまの状況をもっともらしい理由に仕立て上げていた。
「電話じゃ、上手く話せない」
子供じみた言い方をすると、雅は呆れたように「はあー?」と声を漏らした。それでも千颯は引き下がらない。
「直接会わないと無理」
「直接って、うちいま京都なんやけど」
「知ってる。水野から聞いた」
「そんなら……」
困り果てる雅に、千颯は突拍子のない提案をした。
「明日、京都に行ってもいい?」
いま考えて、いま決めたことだ。我ながら馬鹿だと思う。
東京から京都までの交通費は往復で約2万7000円。夜行バスを使えばもっと安く済ませられるだろうけど、夜中に家を抜け出すような真似はできない。お小遣いが吹っ飛ぶのは分かりきっていたけど、新幹線を使うのが妥当だった。
問題視するのはお金だけではない。時間だって片道2時間はかかる。新幹線を使ったとしても一日がかかりの旅になるだろう。受験生が勉強時間を削ってまですることではない。そんな事をしなくても、いまここで相談すれば済む話なのだから。
それでも京都まで行きたい理由があった。いや、理由なんて大層なものはない。
雅に会いたい。その感情だけがいまの千颯を突き動かしていた。
沈黙が続いた後、雅は一言告げた。
「アホちゃう?」
ごもっともだ。こんなのはアホ以外の何ものでもない。
「俺もそう思う」
電話の向こう側で、雅が呆れた表情を浮かべているのが想像できる。それでも引き下がりたくなかった。
「アホなのは分かってるけど、雅しか頼れる人がいないんだ」
そう言えば、雅が断れないのも分かっている。分かった上でズルい言い方をしていた。
案の定、雅は折れた。
「はあー……。午後やったら時間作れるけど……」
その言葉で心がフッと軽くなる。千颯は嬉しさを厳重に隠しながらお礼を告げた。
「ありがとう。助かるよ」
密かに浮かれる千颯とは対照的に、雅はしっかり釘をさす。
「愛未ちゃんに怒られても知らんで?」
その言葉で一気に現実に引き戻される。愛未にバレた時のことを想像すると肝が冷えた。
「バレないように気を付ける……けど、万が一バレたら土下座して謝る」
「千颯くんの土下座なんて、もはや珍しくもなんともないやろ。そんなんで許してもらおうなんて甘いで?」
「うう……とりあえずバレないように頑張ります」
雅は呆れ果てていたが、明日会うことは承諾してくれた。それから待ち合わせ場所と時間を決めて電話を切った。
明日雅に会える。そのことに浮かれている自分がいた。
*・*・*
自宅に戻った千颯は、物音を立てないようにそーっと家に入る。ありがた迷惑なことに、玄関の人感センサーが反応してパチッと電気が付いた。その灯りにつられるように、愛未が玄関に顔を出す。
「千颯くん、どこ行ってたの?」
不思議そうに首を傾げる愛未を見て、千颯は視線を泳がせる。
「ああ、えっと、ランニング、かな。俺も体鍛えたいなって思って」
「サンダルで?」
愛未は足もとを指さす。その言葉で自分がサンダルで出掛けていたことを思い出した。
愛未は訝し気な表情で千颯に近付く。帰宅早々ピンチに晒されて冷や汗をかいた。
「千颯くん、気を付け!」
「はいっ」
言われるがままにビシッと両手を下げて気を付けをすると、愛未はポンポンと千颯の身体に触れた。お腹やズボンのポケットに何も入っていないことを確認する姿は、まるで空港の保安検査のようだ。
「怪しいものは持っていないようだね。こっそりエッチな本でも買いに行ったのかと思ったけど」
「そんなの買わないよ! スマホで事足りるんだから!」
うっかり言わなくても良いことまで口走る千颯。怒られるっと身構えていたが、愛未はプルプルと肩を震わせながら笑っていた。
「正直過ぎでしょ。千颯くん」
とりあえず、怒られることも引かれることもなくホッとした。
「まあいいや。今日のところは見逃してあげる」
愛未は笑いを堪えながらも、あっさり千颯を解放してくれた。
◇◇◇
いつも本作をお読みいただき誠にありがとうございます!
「彼女に蛙化現象されたから~」略してカエミカは、本日12時よりカクヨムコンに参加します。
読者選考を突破するには皆様のお力が必要です<(_ _)>
カクヨムコン期間中に完結まで走りきる予定なので、少しでも興味を持っていただけたら★★★で応援いただけると嬉しいです!
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