第147話 京都での貸し

 図書館から帰ると、なぎがソファーでうつ伏せになりながらスマホを弄っていた。


「あれ? 愛未あいみは?」

「まだ帰って来てない」

「あー、そう言えば今日は遅番シフトって言ってたっけ」


 今朝のやりとりを思い出しながら、千颯ちはやは肩を落とした。あからさまにがっかりする千颯を見て、凪は鼻で笑う。


「本当にべったりだよね。愛未さん相手だと」

「そりゃあまあ、そうなるでしょ。付き合ってるんだし」

「でも、みやびさんと付き合ってた頃は、もっと節度のある距離感で接してたじゃん」


 痛いところを突いてくる。凪は二人が偽カップルだったことを知らないから、以前とのギャップに違和感を覚えているのだろう。


「まあ、雅はあんまりベタベタするのが好きじゃなかったから、ああいう距離感になってたっていうか……」


 それっぽい言い訳をしてこの場を切り抜けようとすると、凪は興味なさげに「ふーん」と返事をしながらスマホに視線を落とした。


 これ以上追及されないように千颯は話題をすり替える。


「それよりさ、愛未と仲良くしてくれてありがとう」


 それはずっと伝えようとしていたことだ。顔見知りとは言え、誰かと同居をするのは何かと気を遣うものだ。それを快く受け入れてくれた上に、千颯のいない間は愛未と仲良く過ごしてくれていたことには素直に感謝していた。


「別に千颯のために仲良くしてるわけじゃないよ。私だって愛未さんのことは好きだし、尊敬もしているから。女として見習うべきところもたくさんあるしね」


「あーあ、確かに見習ってほしいところはたくさんあるかな。落ち着きとか、お淑やかさとか、大人っぽさとか」


「それほとんど一緒じゃん! どうせ私は子どもですよーだ!」


 凪はわざとらしく不貞腐れた仕草を見せる。本気で怒っているわけではないのは、空気感から察せる。千颯は小さく笑いながら話を続けた。


「まあ、でも、この先も一緒に居れば愛未の落ち着きも少しは伝染するんじゃない? いずれはお義姉さんになるかもしれないし」


 深い意味を持たずにそう告げると、凪はギョッとしたような顔を浮かべた。


「え、なに? もう結婚とか考えてるの? 高校生の分際で? どちゃくそ重いじゃん」


 そう指摘されると、ちょっと恥ずかしくなる。千颯はそっぽを向きながら悪態をついた。


「重くて悪かったな」


 このまま交際を続けた先に結婚が待っているのは、当然の流れとして考えていた。そこには何の疑いの余地もないが、高校生で結婚を意識するのは早すぎだろう。凪から馬鹿にされるのも無理はない。


 うっかり余計なことを口走ったことに恥じていると、凪からは意外な言葉が飛び出した。


「私としては、結婚するなら愛未さんより雅さんの方がいいと思うけどなー」

「は?」


 思いがけないタイミングで雅が引き合いに出されて固まる。千颯の顔から笑顔が消えたのを見て、凪は慌てたように弁解した。


「別にさ、愛未さんが悪いってわけじゃないよ。私から見ても愛未さんは最高の彼女だし、お料理だって上手だからきっと素敵なお嫁さんになると思うよ」

「じゃあなんで?」


 若干ムキになって言い返すと、凪は遠慮がちに答えた。


「何というか、雅さんといた時の方が、自然体だったように思えるんだよね」


 予想に反した鋭い指摘にドキッとしてしまう。それは自分でもうっすら感じていたことだったからだ。


 愛未と過ごす時間は良くも悪くも刺激的だ。愛未の些細な言動でドキドキさせられるし、触れ合うと理性が吹き飛びそうになる。付き合って半年以上経ってもその状況は変わらなかった。


 その点、雅と居る時はもっと気楽だった。雅はこちらの感情を引っ掻き回すような態度は滅多に取らないから、変にドキドキすることもない。だからこそ、居心地の良さを感じていた。


 結婚するなら雅のほうがいいという意見も何となくわかる。だけど、それを認めるわけにはいかなかった。


「別に愛未と居る時だって自然体だから。いまさら二人を比べるのは失礼だからやめて」


 はっきりと注意をしたつもりだったが、凪はどこか納得していなさそうに千颯の瞳を見つめる。それからスマホをソファーに置いて、身体を起こした。そのまま真っすぐ見つめられながら、質問を投げかけられる。


「そもそも千颯はさ、二人を比べたの?」


 凪からの責めるような質問で、ピリッとした空気が流れる。


「……何が言いたいんだよ?」

「だから、二人を比べた上で愛未さんを選んだのかって聞いてるの」


 何と答えるべきか悩んでいると、凪から意外な言葉が飛び出した。


「実はさ、雅さんから聞いたんだ。千颯が中学時代から愛未さんに片想いしていたこと。でも、ちょっとしたすれ違いでダメになって、最近やっと両思いに戻ったってことも」


「雅がそんなことを……」


 偽彼女の件までは伝わっていないにしろ、大まかな経緯は伝わっていたのは、正直意外だった。


「まあ、私が強引に聞き出しちゃったところはあるんだけどね。雅さんが口が軽いってわけじゃないから、そこは誤解しないでね」


 実の妹に過去の恋愛事情を知られたのは痛手だが、絶対に隠しておきたいほどの話ではない。凪に伝わったからといって、雅を責める気にはならなかった。


 凪は神妙な顔をしながら話を続ける。


「その話を聞いてさ、思ったんだ。雅さんは千颯のために身を引いたんだろうなって。雅さん優しいから」


 そう言われると何も言えなくなる。黙り込んでいるとさらに追い詰められた。


「千颯はさ、比べる隙すら与えられなかったんじゃない?」


 凪に言い当てられるとは思わなかった。千颯が固まっていると、凪はうんざりしたように溜息をつきながら言葉を続ける。


「結局千颯はさ、雅さんの優しさに甘えてるだけなんだよ。いまの幸せがあるのだって雅さんのおかげじゃん。そのことをちゃんと分かってんの?」


 優しさに甘えている。その言葉は胸の内に重々しく圧し掛かった。


 図星をつかれて何も言えずにいると、冷ややかな視線を向けられる。そのまま凪はスマホに視線を落とした。


 気まずい空気がしばらく続いた後、不意に凪が「あ……」と何かを思い出したように声を上げた。


「京都での貸し」


 その言葉で千颯はゾッとした。ちょうど一年前、みんなとは別行動して京都に残りたいという勝手を許してもらうために取り付けられた貸しだ。


 いまのいままで忘れていたのに、このタイミングで思い出したのは予想外だった。


「お前……いまさら何をお願いするつもりだよ?」


 実のところ、他の二人よりも凪からのお願いにもっとも警戒していた。どんな面倒ごとを押し付けられるのかと想像しただけでも恐ろしい。


 千颯が警戒しながら尋ねると、凪は顎に手を添えながら考える。


「そうだねー。基本的に千颯は、なんだかんだ言いながらも私のお願いを叶えてくれるから、わざわざ貸しの効力を発揮するまでもないんだよねー」


「そ、そうだよ。いままで散々お前の我儘に付き合って来たんだから、それでチャラってことに」


「チャラになんてならないよ」


 いままでのことでチャラにしようという作戦は呆気なく打ち砕かれる。なんて強欲な妹なんだと呆れてしまった。


 何をお願いされるのかと身構えていると、凪は妙案を思いついたとばかりに手を叩く。


「そうだ、こうしよう」

「……どうされるのでしょう?」


 わざとらしくかしこまって尋ねると、凪はいままで見たこともないような大人びた表情で千颯を見つめた。


「雅さんのこと、ちゃんと考えてあげて」


 それは千颯の想像を遥かに凌駕するほどに、重々しく、まっとうなお願いだった。

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