第146話 作戦会議

 愛未あいみの母親と話し合いをすると決めたものの、何の策もなく乗り込むのは危険すぎる。恐らくチャンスは一度きり。きちんと勝算を持った上で話し合いに臨みたかった。


 とはいえ、これといった作戦は思い浮かばない。千颯ちはやは図書館で数学の問題集をパラパラとめくりながら項垂れていた。


 すると誰かが立ち止まる気配を感じた。そのまま周囲の迷惑にならない程度の小声で話しかけられる。


「難しい問題でもあった?」


 隣に立っていたのは水野みずのだった。悩んでいる千颯に見かねて声をかけてくれたのだろう。


「うん、ちょっと難しい問題に直面していて」

「どの問題? 何ページ目?」

「いや、数学の問題じゃなくて」

「は?」


 首を傾げて固まる菩薩様。その表情からは、若干の呆れが滲んでいるように見えた。チクリと小言を言われる前に、千颯は水野の腕を掴む。


「ちょっと付き合ってくれない?」

「無理だね。俺には羽菜はなちゃんがいる」

「即答……ってそうじゃなくて、相談したいことがあるから外で話そうって意味!」


 そこまで伝えると、「そういうことなら」と納得してくれた。


*・*・*


「――ってことがあったんだよ」


 公園に移動してから、千颯はこれまでの経緯を水野に伝えた。愛未の家庭事情を知らなかった水野は、驚きながらも冷静に話を聞いてくれた。


 余所の家庭のことを第三者に言いふらすのは気が引けたが、水野だったら下手に言いふらすような真似はしないと信じている。相談すれば有益なアドバイスが得られるかもしれないと見込んで相談してみた。


 話を一通り聞いた水野は、両手を組んで考え込む。


「一番望ましいのは親子関係の完全修復だけど、話を聞く限りそれは難しそうだね。良くも悪くも、他人の心はそう簡単には変えられない。第三者の影響を受けて催眠にかかったようになっても、その効果は長くは続かないからね。効果が切れた頃には、また昔の自分に戻っているのが大概のパターンだ」


 急に難しい話を振られてポカンとする千颯。それを見かねて水野が分かりやすく解説をした。


「例えるなら、自己啓発本を読んで習慣を改めようと意気込んでも、しばらく経てば本のことなんて忘れていつも通りの自分に戻ってるのと一緒」


「ちょうはつで相手の技を制限できるのは3ターンまでなのと一緒?」


「……ゲームで例えるのはやめて。まあでも、ざっくり言えばそういうことかな」


 水野に苦笑いをされながらも納得する千颯。確かに話し合いの場で愛未の母親を改心させても、その効果がずっと続くとは思えない。


「うーん、難しいねー……」


 千颯が溜息をつくと、水野はふと何かを思い出したかのように呟いた。


「木崎さんって、卒業したら家を出ていくんだよね?」

「そうだね。4月からは警察学校に入るし、その後は寮で生活すると思う」

「なるほど」


 水野は道筋を掴んだかのように瞳に光を宿しながら頷く。それからいつもとは少し違う、したたかな笑みで千颯を見つめた。


「半年だね」

「え?」

「半年間、催眠にかけられればいい」


 催眠というのは、先ほどの話で言う第三者からの影響ということだろうか? ぱちぱちと瞬きをしていると、水野は言葉を続けた。


「要するに、木崎さんのお母さんをその気にさせて、半年間は保護してもらえるようにお願いをすればいいってこと。分かりやすいゴールが決まっていれば、人って頑張れるものだから」


 確かに半年間という期限を定めれば交渉もしやすくなるかもしれない。半年というのは、そう長い期間でもない。有益なアドバイスをしてくれた水野にあらためて感謝をした。


「ありがとう、水野! 上手く行くような気がしてきたよ!」


 手を握ってお礼を告げると、水野はちょっと困ったように笑った。だけどまだ万全とは言えない。肝心なやり方に関しては聞けていなかった。


「でもさ、その気にさせるって具体的にどうすればいいんだろう?」


 再び有益なアドバイスが振ってくると期待していたが、菩薩様からはあっさり手を解かれてしまった。


「交渉に関しては俺はあまり得意じゃない。正直、千颯の話だけじゃ木崎さんのお母さんの人物像も見えてこないから、どんな言葉が刺さるのかは分からないよ」


「そんな……」


 見放されかけて戸惑っていると、水野は何気なく呟いた。


「こういうのは、あの子が得意だと思うけどね」

「あの子って?」


 そう尋ねると、意外な人物の名前が出た。


相良さがらみやび


 雅の名前を出されて咄嗟に身構える。動揺を悟られないように、千颯は視線を逸らした。


「なんで雅が出て来るんだよ」


 すると水野はすべてを見透かしたように微笑んだ。


「千颯が知っているかどうかは知らないけど、あの子はただ可愛いだけの子じゃないよ。人のことをよく見ているし、頭の回転も速い。それに結構したたかだよ。多分、ああいう子は交渉に長けている」


「随分雅のことを知った風に言うんだね」


 無意識で棘のある言い方になってしまったが、水野はそれを跳ね返すかのように穏やかに微笑んだ。


「これでも相良さんとは良い友達だったからね」


「……男女の友情なんて成立するんだ」


「するよ。まあ、千颯みたいに全方位の女の子を恋愛対象として見ている男には無理な話だけどね」


 さらっとディスられた気がしたが、いちいち反応するのはやめておいた。黙り込んでいると、水野は言葉を続ける。


「相談してみたら? 相良さんだったら、なんだかんだ言いながらも手を貸してくれると思うよ」


「うーん、そうなんだろうけどさ……」


 水野の言っていることは恐らく正しい。雅に相談をすれば、なんだかなんだ言いながらも力を貸してくれるだろう。だけど簡単には踏み切れない事情もあった。


「いまさら頼ってもいいのかな……」


 不安を口にすると、水野は涼し気な顔で告げた。


「千颯がもう相良さんとは関わりたくないっていうなら頼らない方がいい。でも、そうじゃないなら、相談だけでもしてみたら?」


 関わりたいか、関わりたくないかを千颯の意思だけで決めるなら、答えは一瞬で出る。だけど愛未のことを考えると即答はできない。


「……考えてみるよ」


 その言葉を聞くと、水野はどこか満足げに頷いた。


「ちゃんと考えて、答えを出してあげてね」

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