第145話 戦う覚悟
「はあ……しんど……あの距離を全力ダッシュは鬼……」
図書館に隣接する公園に辿り着いた
「そうだね……流石に無謀だったね……」
フラフラとした足取りで千颯の隣までやって来ると、そのまま芝生の上に倒れ込んだ。
「大丈夫? 愛未」
「だい、じょぶ。少し休めば、また走って帰れると思う」
「まだ走るんだね」
千颯は苦笑いを浮かべながら、隣に寝転ぶ愛未に視線を送った。
額に汗を滲ませながら真っ赤な顔で息を切らす姿は、どうしたっていやらしく見えてしまう。邪念を祓うように空を仰いだ。
見上げると満点の星空が……なんてロマンティックなシチュエーションではなかったけど、半分に割れた月の傍らでは淡い光を放つ星が散りばめられていた。
どこにでもあるようなありふれた光景。だけど愛未が隣にいるだけで、特別な光景に思えた。
こんな穏やかな日々が続けばいい。難しいことは考えずに、ずっと愛未と暮らしていたかった。
だけどそれは、目の前の問題から逃げているだけに過ぎない。あやふやなままにしておいたら、きっといつか望まないかたちで終わりが来る。
お互い納得した状態で終わりを迎えるためにも、問題に向き合わなければならなかった。息を整えてから、千颯は愛未に尋ねる。
「愛未はさ、これからどうしたい?」
「これから?」
「うん。進路とか将来の夢とか先の話じゃなくて、もっと目の前のこと」
愛未は言葉を詰まらせる。上体を起こして、背中についた芝をパタパタとはらっていた。それにつられて千颯も身体を起こす。
膝をギュッと抱えて体育座りをする愛未は、いつもと違ってとても小さく見えた。愛未は目を伏せながら話す。
「私だって分かってるよ。いつまでも千颯くんちに居候しているわけにはいかないって。本当はさ、あの人ともちゃんと話したほうがいいんだよね」
愛未はやるべきことをちゃんと理解していた。その上で踏み出すことを躊躇していたんだ。それくらい愛未にとって母親は強大な相手なのだろう。
「話し合って和解できそうなタイプなの?」
「分からない。冷静に話し合いができるかも微妙」
二人だけで話し合いをしたら、また言い合いになってしまうのかもしれない。それならやはり、第三者が介入するしかない。
「俺も愛未のお母さんに会うよ。話し合いに同席する」
その言葉で愛未は目を丸くする。
「そんなの悪いよ。そこまで迷惑はかけられない」
「第三者がいた方が冷静に話し合いができるかもよ?」
「だからといって会わせるのはちょっと……。あの人、千颯くんにも酷いことを言うかもしれないし、そのことが原因で千颯くんとギクシャクするのはいやだな」
愛未が気にしているのは、話し合いの結果ではなく、母親と会わせた後の千颯の心境だった。だけどそんなのは大した問題ではない。
「俺は平気だよ。さすがに何を言われても傷つかない鋼のメンタルではないけど、ちょっとのことじゃ折れない。それに愛未のお母さんがどんな人でも、それは愛未を嫌う原因にはならないから」
母親の問題と愛未を好きでいることはまったくの別物だと伝えたかった。意図が伝わったのか、愛未はふっと表情を緩めた。
「やっぱり千颯くんは優しいね」
優しいと言われてもしっくりは来ない。単純にちょっとのことでは揺るがないほど愛未が好きだからその言葉が出てきたのだから。
穏やかな眼差しを向けられた後、愛未は膝を抱えていた手を離し、うーんと伸びをした。
「千颯くんがそこまで言ってくれるなら、私もちゃんと向き合わないとね。それに……」
「それに?」
含みのある言い方をする愛未の言葉を繰り返してみる。すると愛未はにやりと笑いながら千颯と距離を詰めた。
そのまま胡坐をかいていた千颯の脚に手を伸ばし、ハーフパンツ越しにさわさわと太腿を撫で始めた。
「ちょっ……何を……」
羽のようなタッチで触れられて、くすぐったさが伝わる。咄嗟に体育座りに切り替えてガードしたが、すでにスイッチは入りかけていた。
そんな状況を見越してか、愛未は小悪魔的な表情で千颯の顔を覗き込む。
「いつまでも私が居候していたら、千颯くんだって困るもんね」
「困るって……」
「
その言葉で愛未が何を言おうとしているのかはっきりと理解できた。
「別に、そんな不純な動機で解決しようとしているわけじゃ……」
「でも、ちょっとはそういう理由もあるんじゃない? 今朝だってあんなに」
「うわああああ! 今朝のことはもう忘れてください!」
咄嗟に愛未の言葉遮る。千颯は赤面しながら抱えた膝に顔を埋めて丸くなった。そんな様子を見て、愛未はクスっと笑う。
「別にいいんだよ、隠さなくたって。千颯くんからそういう目で見られても嫌な気はしないし」
嫌な気はしないという言葉でドキッとしてしまう。下心まで受け入れてもらえるのは有り難いことだけど、恥ずかしいことには変わりなかった。
依然として蹲っている千颯の背中を、愛未がポンと軽く叩く。
「千颯くんが爆発しないためにも、ちゃちゃっと解決しないとね」
「……そういうモチベーションの上げ方をされると、とても複雑なんだけど」
軽く抗議をしてみるも、愛未はまたしても突拍子のないことを言い出した。
「そうだ! 無事に解決できたら、千颯くんのしたいことを何でも叶えてあげるよ」
千颯は驚いたように顔を上げる。
「したいこと? それに何でもって……」
そう尋ねると、愛未はまたしても小悪魔的な表情で微笑んだ。
「何でもいいよ。もちろん、エッチなお願いも込みで」
「なっ……そんなのは……」
「力を貸してくれるんだもん。それくらいの対価を支払うのが筋じゃない?」
愛未はさも当然というような言い方をする。その潔さに面食らってしまった。
愛未を助けることなんて無償で引き受けるつもりだったけど、そう言われると惹かれてしまうものがある。愛未としたいことも、してもらいたいことも山ほどあるのだから。
「本当に何でもいいの?」
「さすがにアブノーマル過ぎるお願いだったら引いちゃうかもしれないけど、出来る限り希望には沿うつもりだよ」
「アブッ……しない! そんなのはしない!」
千颯は両手をブンブンと振って否定する。いくらなんでも常軌を逸したお願いをするつもりはない。
全力で否定する千颯を横目に、愛未はクスクスと笑いながら芝生から立ち上がった。そしてもう一度大きく伸びをしながら、こちらを見下ろした。
「しょうがない。面倒だけど、逃げずに戦うとしますか。千颯くんがいれば、どんな相手でも陥落させられる気がするよ」
半分に割れた月を背に勝気な笑みを浮かべる彼女は、これから戦場に赴く騎士のように強く、逞しく、美しく見えた。
その姿に千颯は思わず見惚れてしまう。
(ああ、俺は何度この子に惚れ直せば気が済むんだろう)
単純すぎる思考に呆れつつも、一人の女の子をこんなにも好きでいられる自分を誇らしく思えた。
「倒すんじゃなくて、陥落なんだね……」
愛未の言葉にツッコミを入れると、またしても笑われる。
「千颯くんの場合は、そっちの方が適切だと思ってね。千颯くんって相手を言い負かそうとするんじゃなくて、いつの間にか懐に入って心を掴んでいるタイプなんだもん。単純に打ち負かすよりよっぽど性質が悪い」
「性質が悪いって、そんな言い方……」
確かに愛未の言う通り、正面切って誰かと対立するのは苦手だ。だからこそ、できる限り歩み寄りたいと思っていた。それを性質が悪いと称されるのはちょっぴり心外だけど。
不服そうにする千颯をものともせず、愛未はもう一度こちらに笑いかけた。
「頼りにしてるよ、千颯くん」
こちらを信頼しきったような言葉をかけられると、弱腰ではいられなくなる。千颯は決意を固めるように立ち上がった。
「うん。一緒にラスボスを陥落させよう」
◇◇◇
ここまでをお読みいただきありがとうございます!
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♡や応援コメントもいつもありがとうございます。
千颯の後押しもあり、母親と向き合う覚悟を決めた愛未。二人は無事に母親を陥落させることができるのでしょうか?
そして二人が青春している中、京都にいるあの子はどうしているのかと気になっている方も多いでしょう。
安心してください。雅のことも忘れていませんよ!
ここから先は雅もお話に絡んでくるので、雅ファンの方も温かく見守っていただけると幸いです。
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