第144話 ポニーテールを追いかけて

 夕方まで勉強してから、二人は図書館から帰宅する。それからはいつも通り夕食を済ませて一息ついた後、今朝交わした約束を果たすことにした。


 千颯ちはやはTシャツとハーフパンツに着替えてから、家の前で軽くストレッチをする。そうこうしているうちに愛未あいみも家の中から出てきた。


 身体のラインが分かるぴったりしたTシャツに、太腿まで見えるショートパンツ姿の愛未を見て、思わず息を飲む。普段は下ろしているセミロングの髪は、ポニーテールにまとめられていた。


 清楚系美少女から体育会系アクティブガールに変身を遂げた愛未は、破壊的に可愛い。思わず頬が緩んでしまった。


 千颯が見惚れている隙に、愛未もストレッチを始める。屈伸で屈んだ拍子に、胸元からチラッとピンクの布が覗く。見てはいけないものを見てしまい、咄嗟に視線を逸らした。


 ストレッチを一通り終えると、愛未から声をかけられる。


「じゃあ走ろうか。千颯くんは何キロ行ける?」

「5キロくらいだったら平気だと思う」

「そしたら図書館まで走って帰ってこようか。それなら往復で5キロくらいだろうから」


 現役運動部ではない千颯でも、片道2.5キロ走って途中休憩を挟めば何とかなるような気がした。


「うん、そうしよっか」


 それから愛未に続いて走り出した。


*・*・*


 日頃のトレーニングで体力を付けた愛未に置いていかれたらどうしようかと心配していたが、愛未のペースはそこまで速いものではなく苦労することなく付いて行けた。


 ぴょんぴょんと飛び跳ねるポニーテールを追いかけながら走っていると、不意に愛未から話題を振られる。


「そういえば千颯くんさ、中学の頃によく公園でバスケのシュート練習してたよね?」

「ええ!?」


 思いがけない話題が振られて素っ頓狂な声を出す。


「なんで知ってんの?」


 愛未がそのことを知っているのは意外だった。公園で密かに特訓していた話は誰にもした覚えがなかったからだ。


 学校でこれ見よがしに練習していたら、同級生から弄られるに決まっている。余計な邪魔が入らないようにするためにも、誰にも言わずに外で練習をしていた。


 まさか知られていたとは思わず驚いていると、愛未は前を向いたまま答える。


「千颯くんのことなら何でも知ってるよ。中学の入学式で話した時から、ずっと千颯くんだけを見てきたんだから」

「さすがです」


 茶化すように笑うと、愛未がチラッと振り返った。


「ストーカーみたいで引いた?」

「こんなに可愛いストーカーなら大歓迎だよ。ずっと傍で見てていいよ」


 冗談めかしく伝えると、愛未はクスクスと笑った。


「私も歪んでる自覚あるけど、千颯くんも相当変わってるよね」

「そうかな?」

「そうだよ。だって普通、そこは引くところだもん」


 愛未の言う普通が正しいのなら、自分は変わっているのかもしれない。愛未が自分のことを知ろうとしてくれていた事実に単純に喜んでいるのだから。


「まあ、でも、伝えたかったのはストーカーしていましたっていう自白じゃなくて、もっと別のことなんだけど」

「別のこと?」

「うん」


 何度か浅い呼吸を繰り返してから、愛未はもう一度振り返った。


「千颯くんは頑張り屋さんだよね」

「頑張り屋さん?」


 首を傾げていると、愛未は言葉を続ける。


「千颯くん、バスケ部に入りたての頃は全然シュートが入らなかったよね。とくにスリーポイントとかはてんでダメで」

「うう……よくご存じで……」

「でも、その欠点を埋めようと努力してたんだよね。そういうの素敵だなって思ったんだよ」


 思いがけず褒められたことでドキッとする。照れる気持ちを隠すように、咄嗟に自虐した。


「まあ、練習のおかげでスリーポイントの精度は上がったんだけど、ここぞという時に押し負けちゃうことが多いから補欠止まりだったんだけどね」


「うん、それも知ってる。千颯くんって争い事を好まないタイプだし、相手を出し抜けないからあんまりバスケに向いてないんだろうなって思ってた。サッカーとかも苦手でしょ?」


「ああ、もう、本当によく分かってらっしゃる」


 見事に言い当てられて苦笑いを浮かべていると、愛未は前を向いて走りながら言った。


「千颯くんはさ、足りないところを埋める努力もできるし、自分の向き不向きもちゃんと分かってる。だからさ、大丈夫だと思うよ」

「何が?」

「大学受験も」


 そこでやっと、この話の終着点が見えた。愛未はきっと励まそうとしてくれているのだろう。大学受験が憂鬱で落ち込んでいたのを見越して。その気遣いが堪らなく嬉しかった。


 不思議なことに、愛未の言葉ひとつで本当に上手く行くような気がしてきた。千颯は昂った感情のまま、愛未の背中に声をかける。


「愛未」

「ん?」

「好き」

「ええ!?」

「本当に好き。どうしようもないくらい好き」


 好きと連呼すると、愛未は驚いたように振り返った。頬が上気しているのは、走っているせいだけではないだろう。


「急に、どうしたの?」

「思ったことを伝えただけだよ」


 きっぱりそう告げると、愛未は恥ずかしそうにしながらも視線を前に戻した。それから照れ隠しをするように叫ぶ。


「もー! 恥ずかしいから、公園まで全力ダッシュ!」


 そう宣言すると、愛未は走るペースを速めた。


「公園までって、まだ結構距離あるよ?」


 無理があると思いながらも、愛未は足を緩めない。仕方なく千颯は、その背中を全力で追いかけた。

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