第142話 親子関係

 風呂を済ませた後、千颯ちはやはタオルで濡れた髪を乾かしながら愛未あいみの今後について考えていた。


 ほとぼりが冷めるまで藤間家に居候させておくべきなのか、はたまた愛未の母親と話し合いをすべきなのか、正解が分からずにいた。


 ちなみに当の本人は、いまなぎの部屋にいる。凪が推しのアイドルを布教すると息巻いて部屋に連行していったからだ。


 愛未が男性アイドルにハマる姿はあまり見たくないが、それを口にしてしまったらアイドルに張り合っていると捉えられかねないから何も言わずにいた。


 椅子に座りながら今後のことを考えていると、キッチンで洗い物をしていた颯月さつきから声をかけられた。


「愛未ちゃん、いい子だね。今日作ってくれたハンバーグもとっても美味しかった」


 自分の彼女が褒められているのは素直に嬉しい。千颯は自然と頬が緩んだ。


「うん。愛未はいい子だよ。俺には勿体ないくらいの彼女だと思っている」

「ホントにねー」


 あっさりと肯定されるのはなんだか複雑だ。とはいえ、こうして愛未が居候できているのは家族の許可があってのことだ。千颯はあらためてお礼を伝えた。


「愛未をうちに泊めるのを許可してくれてありがとう」


 颯月は意外そうに目を丸くしたが、すぐに表情を和らげる。


「大人として放っておけなかったからね。一時的な避難所として頼ってくれるのは構わないよ」


 困っている人に躊躇いなく手を差し伸べる姿勢は、我が親ながら尊敬できる。多分颯月は、相手が愛未でなかったとしても同じように居候することを許可していた気がする。


 しかし颯月の言葉はそこでは終わらなかった。


「だけど、このままでいいとは思っていないでしょ?」


 それはまさに千颯が悩んでいたことだ。考えを見透かされて、千颯は苦笑いを浮かべる。


 これは自分たちで解決すべき問題だと思っていたけど、大人の意見を聞くことで解決の糸口が見つかるかもしれない。千颯は意を決して、目の前の問題を打ち明けた。


「正直、どうしたらいいのか迷っている。余所の家庭の親子関係に、部外者の俺が介入してもいいのか……」


 介入することで余計に話がこじれる可能性もある。愛未と母親の関係により深い溝を作るのは避けたかった。


 恐らくこの問題は、愛未がどうこうという話だけではない。根本的な問題は、愛未の母親の境遇にも大きく影響している気がする。


 三者面談の後、愛未の母親の過去について打ち明けられた。親の反対を押し切って駆け落ちしたが、男に逃げられて一人で愛未を育てるようになったこと。そして自分のやりたいことを諦めたこと。多分、その辺りが影響しているのだろう。


 正直、愛未の母親の気持ちは理解できない。親だったら子供を何よりも大切に思うものではないのか? 邪見に扱うなんてどうかしている。


 親の気持ちなんて高校生の千颯に分かるはずもない。だからこそ同じ親である颯月の意見も聞いてみたくなった。


「母さんはさ、俺がいなければ良かったのにって思ったことある?」


 洗い物をしていた手が止まる。颯月は「うーん」としばらく考えた後、料理を失敗した時のようにぎこちなく笑った。


「ない、ってきっぱり言えたらいいんだけど、自分一人だったらもっと自由に生きられたのにーって思ったことはあるよ」


 意外だった。颯月から邪魔に思われていると感じたことは、一度もなかったからだ。驚いている千颯に、颯月はゆっくりと心の内を明かす。


「子育てって想像していた以上に大変だからね。とくにうちなんて年子だから小さい頃は大変だったよ。ちはちゃんはママにべったりだったし、なぎちゃんは好奇心旺盛で一人でどこへでも行っちゃうし。兄弟喧嘩も絶えなかったからねー」


 思い返してみれば、昔の颯月はいまよりピリピリしていた気がする。感情任せに叱られることも珍しくなかった。その度に凪と一緒に「鬼だ、鬼だ」とひそひそ話していたのを覚えている。


 いまのようなハイテンションでおおらかな性格になったのは、千颯たちが小学校に上がった頃のような気がする。


「あとは子供がいるから仕事をセーブしないといけないのもキツかったなー」

「母さん、仕事人間だもんね」

「まあね」


 颯月はわざとらしく胸を張った。この文脈ではあまり誇れることではないと思うけど、細かいことはツッコまないでおこう。


 とはいえ、実の親からそういう話を聞かされるのは正直複雑だ。自分は愛されていなかったんだと不貞腐れるほど子供ではないが、すべてを許容できるほど大人でもない。実際にちょっと凹んでいる自分がいた。


 だけど颯月は突き放すだけではなかった。


「でもね、二人の笑顔を見るとモヤモヤした気持ちも吹き飛んでいくんだ。自分の選択は間違ってなかったって思えるようになるの。だから後悔はしていないよ」


 その言葉でちょっと救われた。颯月の言う通り、自分の存在が枷になっていた瞬間はあったのだろうけど、後悔はしていないようでホッとした。


 洗い物を終えた颯月は、ふうーと溜息をつく。


「子供を愛せない親なんていない、なんて綺麗事を言うつもりはないよ。その理屈が通用するなら、虐待もネグレクトも起こっていないからね」


 重々しい言葉が飛び出して、ちょっと身構えてしまう。だけど愛未の家庭環境は、そうした事件性のある話にも繋がりかねない。


 千颯の表情が強張ったところで、颯月は光を差し出すように微笑んだ。


「でも、愛未ちゃんのお母さんが、ちょっとでも愛未ちゃんを愛している瞬間があったなら、解決の糸口はあるんじゃないかな?」


 千颯はその言葉の意味を考える。


 愛未は母親から邪魔に思われていると話していたが、本当にそれだけなのだろうか? 愛していた瞬間だって存在してしていたのかもしれない。


 それは先ほどの颯月の話にも通じる。子供がいなければもっと自由に生きられたのにと思う傍らで、子供の笑顔を見た瞬間に自分の選択は間違ってなかったと思えた、と言っていたのと同じことだ。


 人の感情には波がある。誰かを好きでいる瞬間もあれば、ふとした瞬間に嫌いになることもある。それは蛙化現象にも言えることだ。


 もし愛未の母親が完全に愛未を嫌っているわけではないのなら、話し合いの余地はあるのかもしれない。


 もやのかかった道に一筋の光が差したような気がした。千颯が黙り込んでいると、颯月がにこっと明るく笑いながら言葉を続けた。


「大人の助けが必要ならいつでも頼ってね。私が愛未ちゃんのお母さんとお話し合いをしたっていいんだから」


 その言葉は心強いが、すぐに頼るのは辞めておいた。


「とりあえずは俺が何とかするよ。これでも愛未の彼氏だから」


 そう告げると、颯月は「かあぁ!」と唸りながら表情を緩めた。そのまま千颯に近付いて、頭をわしゃわしゃと掻きまわした。


「ちょっと前までは頼りない子供だったのに、急に大人になっちゃって!」


 揶揄われているのが伝わってくる。千颯は慌てて手を振り払った。


「あー、もう鬱陶しいなー。もう寝る」

「はいはい。ちゃんと髪は乾かして寝なさいねー」


 しれっと小言が飛んでくる。千颯は素直に髪を乾かしてから、部屋に向かった。


*・*・*


 電気を消してベッドで寝転んでも、眠気は一向にやってこない。頭が妙に冴えていて、眠れそうになかった。


 颯月には何とかすると言ったが、具体的なプランはまだ思い浮かばない。愛未の母親に直接会って説得するにしても、やり方は考える必要がある。


 正直、愛未を蔑ろにするなと正論を突きつけたところで、素直に聞き入れてもらえるとは思えない。反感を買うだけで、余計に親子関係がこじれる気がした。


 話の切り出し方ひとつで、結果は大きく左右される。話術に自信のない自分一人では対処できるとは思えなかった。


 そんなことをグルグル考えているうちに、どんどん眠れなくなる。ふと、時計を見ると0時を回っていた。

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