第139話 家出の経緯

 家出をしてきたと話す愛未あいみ。ひとまずはリビングに案内して、事情を聞くことにした。


 ソファーでスマホを弄っていたなぎも、愛未の大荷物を見てぽかんと口を開く。


「どーしたんですか? その大荷物」

「ちょっと、家で色々あって家出してきたんだ」

「家出!?」


 千颯ちはやとまったく同じ反応を示したことで、凪にも同じ血が流れていることを思い知らされた。


 愛未はスーツケースを横にして下ろすと、腰を90度に折ってお辞儀をした。


「お願いします。泊めてください」


 いつになく真剣にお願いをする愛未を見て、千颯も凪も面食らう。お互い顔を見合わせてから、たどたどしく返事をした。


「別に俺は構わないけど、ねえ?」

「私も全然いいんですけど、一応親の許可は取らないとだよ、ねえ?」


 実家で暮らしている以上、誰かを泊めるのならば親の許可を取るのは必須だった。


 千颯の家にはみやびも泊めたことがあるからNGが出ることはないと思うが、家出をしてきたとなれば話は別だ。


 家出ということなら、今日だけ泊めれば良いというわけでもないだろう。連泊になるなら尚更、親の同意が必要だった。


 その辺の事情は愛未も理解しているようで、神妙な面持ちで頷いた。


「千颯くんのご両親に許可を取らないといけないことは分かっている。私からちゃんと説明するから」


 その言葉を聞いて、安堵する。とりあえずは、我が家の決定権を握っている颯月さつきの帰りを待つことにした。


*・*・*


 20時過ぎ。パンツスーツをまとった颯月が「たっだいまー」と、いつも通りのハイテンションで帰宅する。


「おー! 愛未ちゃんいらっしゃい」


 片手をあげてニコニコと挨拶をする颯月に、愛未は真剣な面落ちで話を切り出した。


「颯月さん、お願いがあります」

「ん? どうしたの?」


 きょとんとした表情を浮かべる颯月に、愛未は意を決したように伝えた。


「私、家出をしてきたんです。ご迷惑は重々承知ですが、しばらく泊めていただけませんか?」

「家出!?」


 颯月も千颯達とまったく同じ反応をしていた。



 颯月が揃ったところで、あらためて詳しい事情を聞くことになった。ダイニングテーブルに冷たい麦茶を用意して、愛未が話を切り出すのを待つ。


 愛未は麦茶を一口含んだ後、伏し目がちに話を始めた。


「実は、母と大喧嘩をしたんです。それで家から出ていけと言われて……」


 喧嘩して出ていけと言われるのは、よく聞く話だ。だけど愛未の家庭環境を知っていると、その言葉の重みが違ってくる。


「それは勢いに任せて言っちゃたって感じではないの? 帰ったら案外普通に迎えてくれるかもよ?」


 颯月が遠慮がちに尋ねるも、愛未は小さく首を左右に振る。


「あの人は本気です。前々から私のことを邪魔に思っていたんですけど、今回のことで我慢の限界に達したようで……」

「喧嘩になっちゃった理由って、何なんですか?」


 珍しく空気を読んで大人しくしていた凪が、おずおずと尋ねる。すると愛未は言葉を選ぶようにしながら伝えた。


「最初は些細なことがきっかけでした。今朝、部屋で勉強をしている時に、母が大声で電話をしていたので、もう少し静かにできませんかって注意したんです。それが癇に障ったようで……。はじめは適当に流していたんですけど、あの人、千颯くんのことまで悪く言い始めて」


 思いがけないタイミングで自分の名前が出て来て、思わず話に割って入る。


「なんで愛未のお母さんが俺のことを知ってるの?」


 雅母とは面識があるが、愛未母とは一度も会ったことがない。接点がないのだから悪く言われることもないと思ったが、愛未は申し訳なさそうな顔をしながら話を続けた。


「前にさ、変装してうちに来てくれたことあったじゃん。あの時に元彼経由で千颯くんのことも伝わったみたい」


 変装と聞いてピンときた。愛未母の彼氏を撃退するために、ヤンキーに変装した時のことだろう。ということは、愛未母の中では千颯はヤンキーということになっている。印象は決していいものではないだろう。


「確かにそれじゃあ、悪く言われても仕方ないかも……」


 ガックリ肩を落としていると、愛未は首を振る。


「仕方なくないよ。あの人にもちゃんと言ったんだよ。千颯くんは真面目で優しい子だって。だけど全然聞く耳持ってくれなくて……それで私、勢い余って言っちゃったの」


 一呼吸おいてから、愛未は告げた。


「私はあなたより男を見る目がありますからって」


 その言葉は明らかに地雷だろう。男に捨てられた愛未母にとっては尚更。颯月や凪も「あー、それは……」と苦々しい表情を浮かべていた。


「それが引き金になって、あの人は壊れました。もう本当に何を言っているのか分からないくらい喚き始めて、これはマズいって思って部屋に戻ろうとしたら、思いっきり髪の毛を引っ掴まれて言われたんです。今すぐ出てけと……」


 その光景を想像するだけで胸が痛んだ。千颯は愛未の頭をそっと撫でる。辛かったね、もう大丈夫だよ、と伝えたかった。


 その瞬間、愛未の瞳が潤んだ。俯きながらほろりと涙が零れ落ちる。颯月がティッシュを差し出すと、そっと目元を拭ってから話を続けた。


「このままあの家にいたらもっと酷い目に遭いそうだったから、急いで荷物をまとめて家から飛び出したんです。そのままバイトに行って、さっき終わったんですけど、行く宛がなくて……」


 そこまでショッキングな出来事があったにも関わらず、バイトに行ったことには驚かされた。やっぱり愛未は強い女の子だ。


 悩んだ末、こちらに助けを求めてくれたことは素直に嬉しい。あらためて信頼されていることが伝わってきた。


 事情を一通り聞いた颯月は、「そっかそっか」と悲しそうに目を伏せながら共感の姿勢を見せる。そして顔を上げた時、決意に満ちた眼差しで愛未に告げた。


「そういうことなら、しばらくうちに居なさい」


 その言葉で、一同はホッと胸を撫でおろす。こうなることはある程度予想していたが、家出という事情から万が一という可能性も否定できなかった。


 だけど颯月は、期待を裏切らず愛未を受け入れてくれた。そのことに心から安堵していた。


 愛未は深々と頭を下げながらお礼を口にする。


「ありがとうございます。食費とか諸々にかかるお金は、バイト代からお支払いします」


 律儀にお金の支払いまで申し出る愛未に、颯月は大袈裟に首を振った。


「お金なんて、いいの、いいの。どうせ千颯がいつもご迷惑をかけているんだろうから」

「どうせって酷いなぁ」


 迷惑をかけていると決めつける発言に思わずツッコミを入れるも、誰からも拾ってもらえずに話は進んでいく。


「ただで泊めていただくというのは申し訳ないですよ……」

「そんなに気を遣わないで。一人増えたからってたいして変わらないし」

「でも……」


 話し合いは平行線をたどる。すると凪がぽんと手を叩いて、ある提案をした。


「それなら、愛未さんにも家事を手伝ってもらうのはどう? 役割があれば愛未さんも罪悪感が和らぐだろうし、私も楽できるし」


 最後に本音が混じっていた気がするが、悪い提案ではない。凪の提案に愛未も頷いた。


「お料理でも、お洗濯でも、お掃除でも、何でもやります」


 拳を握って意気込む愛未。交渉成立だ。


 方向性が定まって安堵していると、颯月がふと思い立ったかのように「あ!」と声を上げた。その声で一同は颯月に注目する。


「うちに居候するなら、ひとつ守ってほしいお約束があります」

「お約束ですか?」


 愛未が首を傾げながら尋ねると、颯月はあっけらかんと告げた。


「うちに居候している間は、エッチなことは禁止!」


 その言葉に真っ先に反応したのは千颯だった。


「なっ……何を突然何を言い出すんだよ……」


 顔を真っ赤にしながらアワアワする千颯に、颯月は「大事なことでしょ?」と至極当たり前のことのように指摘した。


 一方愛未も、驚いたように固まっている。動揺しているのは見え見えだったが、すぐにコクコクと激しく頷いた。


「わ、分かりました……」


 気まずさマックスの空気感の中、凪だけはニヤニヤと笑っていた。


「なんだか面白いことになってきたなぁ」

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