第138話 嵐の予感
一学期が終わり、夏休みが始まった。去年までは夏のイベントに心躍らせながら呑気に過ごしていたが、今年はそうも言っていられない。
高校三年生の夏は、大学受験の結果を左右する重要な時期だ。もともと勉強が得意ではない
志望校は定まったものの、夏休み前に受けた模試ではD判定。担任からは合格圏の大学に変えたらどうかと助言されたが、やれるだけのことはやりたかった。
志望校に合格するためにも、夏休みは遊びにかまけている場合ではない。集中して勉強できるよう、夏休み中は図書館の自習室に籠って勉強をしていた。
図書館には
それに関しては流石としか言いようがない。やっぱり普段から真面目に勉強している人には敵わない。
しんと静まり返った図書館で、千颯は英語の長文と格闘している。知らない単語ばかりに直面し、頭がこんがりながら解読していると、ぽんと肩を叩かれた。
「わっ」
驚きのあまり声を漏らすと、水野が申し訳なさそうな顔をしながら小声で話し始めた。
「ごめん。集中してたところ邪魔しちゃって」
「いいよ、いいよ。ちょうどいいや。『look after』ってなんだっけ?」
「あー、それはいつも俺が千颯にしていることだよ」
穏やかな笑みで告げられる。正解を教えてくれるわけではなかったため、スマホで確認すると、水野の言わんとしていることが伝わった。
「いつもありがとうございます」
「どういたしまして」
わざとらしく頭を下げる二人。そのやりとりが妙におかしくなり、顔を見合わせて吹き出した。
笑いが収まってから、水野は時計を指さしながら告げる。
「もう昼だし、コンビニ行かない?」
「行くー」
千颯は荷物をまとめて席を立った。
*・*・*
コンビニでおにぎりと菓子パンを買ってから、図書館に隣接する公園に向かう。木陰になっているベンチで、水野、羽菜、千颯の三人で座った。
水野はパンの袋を開けながら、感心したように千颯に話を振る。
「それにしても、千颯がここまで真面目に勉強するようになるとは思わなかったよ」
「俺だってやるときはやるよ。いまやらないと、きっと後悔するだろうから」
「うん。その選択は間違っていないと思うよ」
水野は穏やかに微笑む。菩薩様がそういうのなら間違いないのだろう。すると羽菜も会話に加わる。
「千颯くんがやる気になったのは、
鋭いところをついてくる。千颯が受験勉強に本腰を入れたのは、少なからず愛未が影響していた。
第一志望の大学は就職に強いと評判だ。将来大切な人を守るためにも、ちゃんとした会社に就職して、しっかり稼げる大人になりたかった。
「そうだね。愛未のおかげっていうのは少なからずあるね」
気恥ずかしさを感じながらも正直に告げると、羽菜はふわっと表情を緩めた。
「好きな人のために頑張るのは素敵ですね」
あらためてそう言われるとむず痒くなる。照れ隠しをするように、水野にも話を振った。
「好きな人のために頑張ってるのは水野も一緒でしょ。白鳥さんと同じ大学に行くために頑張っているんだから」
茶化したつもりだったが水野には通用しない。しれっと肯定されてしまった。
「そうだね。学部は違うけど、同じ大学に通いたかったから」
堂々と惚気てくる。きっちりカウンターを食らい、千颯の方が恥ずかしくなってしまった。
「相変わらず余裕だな……」
食事を終えて、図書館に戻ろうという流れになったところで、千颯は密かに気になっていたことを尋ねた。
「あのさ、
不自然にならないようにサラッと尋ねる。そんな千颯のノリに合わせるように、水野もサラッと返してくれた。
「夏休み中は京都に帰っているみたいだよ」
「あー、そうなんだー」
興味がない風を装って素っ気なく返事をする。そんな素振りとは裏腹に、内心では少しがっかりしていた。
それから例の噂の件も尋ねてみる。
「雅が海外の大学に行くって本当?」
水野と羽菜は、クラスが変わっても雅と親しくしている。だから当然進路についても知っていると踏んでいた。期待して聞いてみたが、水野にはさらりとかわされてしまう。
「気になるなら、自分で聞いてみたら?」
「まあ、そりゃあ、自分で聞くのが一番手っ取り早いんだけどさ……」
自分で聞くのが確実なのは分かっている。だけどこちらから連絡をしてもいいものかと悩んでいた。
歯切れの悪い返事をする千颯を見て、水野は試すような口調で尋ねる。
「俺から聞いたとして千颯はどうするつもり? 引き留めでもするの?」
「まさか」
「じゃあ、聞いたところで何の意味もないよ」
水野は何食わぬ顔でベンチから立ち上がり、図書館に戻ろうとする。羽菜は千颯と水野を交互に見た後、パタパタと水野の後に続いた。
ベンチに取り残された千颯は、むくれ顔で悪態をつく。
「菩薩様なのに無慈悲だ」
*・*・*
18時まできっちり勉強し、そろそろ帰ろうと思ったところでスマホを開く。30分前に愛未からメッセージが届いていたことに気付いた。急いで内容を確認する。
『突然で申し訳ないんだけど、これから千颯くんの家にお邪魔してもいいかな?』
こうも突然来るのは珍しい。いつもは前日には連絡が来ていたからだ。とはいえ、断る理由はない。千颯は意気揚々と返事をした。
『大丈夫だよー。おいでー』
送信すると、すぐに既読が付く。
『助かる! これから向かうね』
猫が「ありがとう」とお辞儀をするスタンプと共にメッセージが送られてきて、思わず頬が緩んだ。
水野に声をかけてから図書館を出る。日が伸びた夏の空は明るく、まだまだいくらでも活動できそうだった。
愛未は夏休みの間、警察官採用試験の勉強をしながら、アイスクリーム屋のバイトをしている。今日もバイトだと言っていたからてっきり会えないと思っていたが、こうしてお誘いを受けたことは素直に嬉しかった。
いつも通り、千颯の家で夕飯を食べて、アパートまで送り届ける流れになるだろう。そんな展開を想像しながら急いで帰宅した。
家まで辿り着くと、ちょうど愛未も到着するタイミングだった。頬を緩めながら大きく手を振った千颯だったが、手に持っていた大荷物を見て唖然とした。
「どうしたの? スーツケースなんて持って……」
修学旅行にでも向かうような大荷物を見て面食らっていると、愛未は気まずそうに目を伏せながら事情を明かした。
「実は、家出してきたんだ」
「家出!?」
穏やかではない事情を聞かされて、千颯は思わず大声を上げた。
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