第137話 その笑顔はやけに晴れやかで
雨が小降りになってから、
ドア脇の手すりに掴まりながら、二人は電車に揺られる。そこで千颯は何げなく話を切り出した。
「なんかさ、久しぶりに話すから、もっと気まずい感じになるかと思っていたけど」
「ん?」
雅は首を傾げながら、その先に続く言葉を促す。その反応はとても自然で、思わず本音をこぼしてしまった。
「変わらないね。やっぱり雅の隣は居心地がいい」
雅は笑顔を引っ込めて真顔になる。その反応を見て、千颯は焦った。
こんなことを言えば、期待させてしまうに違いない。せっかく昔のような気楽に話せる関係性に戻れたのに、これではまた意識させてしまう。
不用意な発言に悔いていると、雅はこちらに身体を向けて名前を呼んだ。
「千颯くん」
「はいっ」
子どもを注意するかのような口調で呼ばれて、ビクつきながら返事をする。次の瞬間、背伸びをした雅にちょんと額を突かれた。
「浮気者め」
雅はカラッと晴れた空のように笑っていた。その瞬間、千颯はフリーズする。
雅は一体どういう感情でそんな笑顔を浮かべているのか? 居心地がいいと言った言葉に喜んでいるのか?
それにしては、照れや焦りが一切見られない。目の前の雅は、余裕に満ち溢れていた。それはまるで、こちらには既に興味を無くしたと言わんばかりに。
その瞬間、ある考えが過った。雅はもう、自分のことが好きではないのかもしれない。半年という期間があったのだから、気持ちが変わっても不思議ではない。
千颯が固まっていると、雅は指先を引っ込めながらクスっと笑った。
「余所見しとったら、また
雅の本音は依然として見えない。千颯は焦りを厳重に隠しながら軽口を叩いた。
「そうなったら、また雅に相談しないとね」
「アホか。もう助けへんわぁ」
テンポよく突っ込まれる。そうこうしているうちに、雅の最寄り駅に近付いた。
電車が速度を落とし、ホームに入る。ふと窓の外に視線を向けると、まだパラパラと雨が降っていることに気付いた。そこで千颯は、折り畳み傘を雅に差し出す。
「傘、使っていいよ」
雅は驚いたように目を丸くしながら首を左右に振る。
「そんなん悪い。傘なかったら千颯くん困るやろ」
「俺んち駅からそんなに離れてないし、走って帰れば平気」
「でも……」
雅は申し訳なさそうな顔をするばかりで傘を受け取ろうとしない。仕方がないから雅の手首に傘の柄を引っかけた。そのまま両手を背中に隠して、受け取り拒否する。その行動を見て、雅は呆れたように笑った。
「そんな子供みたいなことせんといて」
「こうでもしないと受け取ってくれなさそうだったから」
そんな言い訳をしているうちに、ぷしゅーっと音を立てて電車の扉が開く。これ以上交渉している時間はないと悟ったのか、雅は大人しく傘を受け取った。
「ありがとう、千颯くん」
「うん」
人の流れに沿うように、雅は電車から降りていく。ホームに降りた後もひらひらと手を振りながら微笑んでいた。「ばいばい」と言っているのが口の動きで分かる。千颯も手を振り返しながら「ばいばい」と口パクで伝えた。
電車が動き出し、ホームから徐々に離れていく。雅の姿はとっくに見えなくなったのに、あの晴れやかな笑顔はいつまでも脳裏に焼き付いていた。
半年前のように、雅の笑顔を思い出してにやけてしまうような心境ではない。頭の中で雅が笑うたび、息の仕方を忘れたかのように苦しくなっていた。
コツンと額を電車の扉に預ける。自分で自分が分からなくなった。
(なんで俺、雅のことを考えて苦しくなってんだよ……)
愛未のことが好きなはずなのに、どうしようもなく雅に心揺さぶられている。そんな自分に戸惑いを隠せなかった。
だけど直感的に悟った。この感情を深堀してはいけない。はっきり言語化してしまったら、いま居る場所には戻って来られないような気がした。
感情にそっと蓋をして、気付かないふりをする。そうすればこれまで通り、穏やかな日々を過ごしていけるはずだから。
千颯はスマホを取り出して、愛未にメッセージを打つ。
『雨降ってるから気を付けて帰ってね。くれぐれも雨に濡れてブラが透けないように』
送信すると、すぐに既読になる。
『傘持ってるから平気だよ。心配してくれてありがとう』
愛未からの返信を見て、ホッと胸を撫でおろす。そのままスマホをしまって、電車の窓からどんより曇った空を見上げた。
これでいい。余計なことは考えず、愛未だけに染まっていればいい。
*・*・*
翌日。教室に入ると机の上に傘と体操着が置かれていることに気付いた。手に取ると、ふわっと柔軟剤の匂いが漂った。その匂いは雅から漂う匂いと一緒だ。
体操着の隣には、個包装のチョコレート菓子が添えられている。裏側にはマジックで『ありがとう』と書かれていた。
ただ返すだけでなく、お礼のお菓子まで添えているのは雅らしい。千颯が一番好きなお菓子を選んでくれたのも流石だ。
本来であれば、さっさと食べてしまった方がいいのだけれど、この時ばかりは簡単には食べられずにいた。千颯は体操着と傘と一緒に、チョコレート菓子をリュックの奥底にしまった。
夏休みに入る直前、ある噂が耳に入った。雅が海外の大学に進学するらしい。
◇◇◇
ここまでをお読みいただきありがとうございます!
「面白い!」「続きが気になる!」と思ったら★★★、「まあまあかな」「とりあえず様子見かな」と思ったら★で評価いただけると幸いです。
♡や応援コメントもいつもありがとうございます。
これまでは千颯の言動にドキドキさせられていた雅ですが、ここにきて形成逆転……。千颯が雅にグラグラさせられる事態になってしまいました!
自分に好意があると思っていた女の子が、もう興味を無くしたと感じて、追っかけスイッチが入ってしまったのでしょうか!?
そして次回から夏休みに突入。本作のラスボスとも言える人物と対決することになります。お楽しみに!
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