第136話 仲直り

 公園の東屋あずまやで、みやびが着替え終わるのを待つ。薄暗い空からは依然として大粒の雨が降っていて、雨粒が激しく地面に叩きつけられた。


 ピカッと雷が空に光ると、ワンテンポ遅れて雷鳴が響く。まるで思い出したかのように雷鳴を轟かせる様子は、何となく間抜けに感じた。


 荒れた空を眺めていると、傘をさした雅が戻ってきた。上半身には藤間と刺繍が施された体操着をまとっている。


 ゆったりとしたシルエットでありながらも存在感を隠しきれていない胸に思わず視線がいってしまったが、下心を悟られないように視線を逸らした。


 雅はどこか気まずそうな顔をしていたが、すぐにカラッとした笑顔を浮かべる。


「体操着ありがとう。これならちょっと濡れたくらいじゃ透けへんね」

「そうだね。だけど帰るのはもう少し雨が弱まってからの方がいいかも。たぶん、いまがピークだと思うし」

「しゃあないわぁ。ちょっと雨宿りしてこかぁ」


 雅は千颯ちはやの隣に腰掛ける。それからどこか懐かしむように目を細めながら笑った。


「体操着、千颯くんの匂いがして凄い懐かしくなったわぁ」

「それは、普段から汗臭いってこと?」

「そやねー」

「ええー……」


 あっさり同意されてしまい凹む。そんな千颯の反応を見て、雅はクスクスと笑った。


「嘘、嘘。千颯くん家の柔軟剤の匂いがするってこと。変な匂いやないから落ち込まんといてなぁ」


 揶揄われていることが伝わって、思わず千颯も笑ってしまった。


 二人で笑っていると、昔みたいに戻れたような気がした。雅の隣にいるのはとても居心地がいい。隣に座る雅は、再び目を細める。


「この前は、無視してごめん」


 この前というのは、雅が告白されている現場を目撃した時のことだろうか。その件に関してはこちらも落ち度がある。


「俺の方こそ、覗き見するような真似してごめん」

「やっぱり覗いとったんかぁ」

「だって心配だったから。校舎裏なんて人気の少ないところだと、何されるか分からないよ」

「確かに何されるか分からへんなぁ。去年は千颯くんに土下座されたし」


 その言葉で去年の自分を思い出して恥ずかしくなる。「うう……」と項垂れていると、雅に笑われた。


「千颯くんなりに心配してくれたんやね。うちもあの時は、千颯くんがおると思わへんかったから、頭真っ白になって逃げてもうた。ごめん、感じ悪くして」


 雅も雅なりに、あの日のことを気にかけていたようだ。やっぱり雅は優しい。


「傷ついたけど、いまので大丈夫になった……」


 子供じみた言い方をする千颯を見て、雅は吹き出すように笑った。


「なら、良かった。これで仲直りやなぁ」


 それから雅は話題を変える。


「新しいクラスはどうなん? ちゃんとやれてる?」

「相変わらずみんなから弄られるけど、それなりに楽しくやってるよ。今日もみんなから犬扱いされたし」

「犬って……おかしっ……確かに千颯くんは犬やわぁ」


 雅は声を押し殺しながら笑う。きっとあの場に雅がいたら、いまとまったく同じ反応をされていた気がする。


「そういう雅は? そっちのクラスで上手くやれてる?」

「まあ、それなりに。新しいクラスでは委員長にされたけどなぁ」

「うっわ……それはご愁傷様」


 男女どちらからも人気を集めている雅が委員長に推薦される展開は容易に想像がついた。とはいえ、委員長なんて面倒な役回りをよく引き受けたものだ。


「推薦されて断れなかったの?」

「そやない。面倒なことも多いけど、頼られるのは嫌いやないからそれなりに楽しくやっとるでー」

「そっか、なら安心した」


 きっとしっかり者の雅は、新しいクラスでも上手くやれている。それが想像できただけで、心が軽くなった。


 話が途切れたタイミングで、ふと気になっていたことを思い出す。聞いてもいいものかと迷ったが、思い切って聞くことにした。サラッと軽く、ただの世間話のように。


「あのさ」

「千颯くん」


 声が重なる。驚いたように二人で顔を見合わせた。


「雅からどうぞ」

「いや、千颯くんから」

「俺のは大した話じゃないから」


 そう告げると、雅は視線を彷徨わせながら遠慮がちに尋ねた。


「愛未ちゃんとは順調?」


 雅から愛未の話題を出されるのは意外だった。驚きつつも、努めて明るく返す。正直に、だけど雅を傷つけないギリギリのラインで。


「順調に飼い慣らされてるよ」

「ふふっ……飼いならされてるって、やっぱり犬やん」

「犬ですから」


 冗談めかしくそう答えると、雅は笑った。


「で、千颯くんは何を言おうとしたん?」


 この流れで改まって訊かれるのは不自然になりそうで怖い。だけど変にはぐらかしたら怪しまれそうだったから、そのまま尋ねてみた。


「雅はさ、彼氏作らないの?」


 驚いたように目を丸くする雅。その反応を見て、やっぱり聞かなければ良かったと後悔した。だけど雅は、千颯と同じく冗談めかしく返した。


「残念ながら、推し以上の良い男からは告白されてへんからなぁ」


 その言葉に思わず笑ってしまう。


「凪とまったく同じ発想だ。それじゃあ当分彼氏はできそうにないね」

「あーあ、どっかに潤ちゃん並みの良い男おらへんかなぁ」

「少なくともうちの学校にはいないよ」

「ざーんねん」


 雅は肩を竦めながら笑った。それにつられて千颯も笑う。雅に彼氏ができてないという事実に心の底からホッとしている自分がいた。


 困ったことに彼氏面はまだ抜けないらしい。

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