第135話 雨の日の再会
昇降口では
声をかけるべきか悩んだが、素通りするのも感じが悪い。下駄箱からスニーカーを取り出して履き替えながら声をかけた。
「どうしたの? 雅」
声をかけた瞬間、雅は驚いたような顔で振り返る。まるでお化けでも見たかのような反応だ。
「
「下校時間なんだから俺がいたって不思議じゃないでしょ?」
千颯は鞄の中を漁りながら答える。折り畳み傘が入っていたことに安堵しながら、傘を開いた。
雅は千颯の顔を凝視するばかりで微動だにしない。帰る素振りも見せなかった。突然話しかけられて驚いているのか、あるいは……。
「もしかして、傘ないの?」
「へ?」
雅は肩を飛び上がらせて大袈裟に反応する。動揺しているあたり、図星なのだろう。
しばらくは視線をうろうろと巡らせていたが、いつまでもごまかしているわけにはいかないと気付いたのか開き直るように笑った。
「そやねん。今日雨降るとは思わへんかったから」
何気なく笑う雅を見て、一気に懐かしさがこみあげてくる。こうやって話をするのは半年ぶりだ。前と同じように会話ができて、無意識に喜んでしまっている自分がいる。
傘を忘れたと話す雅は、もう一度空を見上げながらわざとらしく笑った。
「まあ、でも、ダッシュで帰れば何とかなるやろ」
「雷鳴ってるし、いつ土砂降りになるか分からないよ?」
「うーん、そやなぁ」
雅は悩まし気に目を細める。本降りになりかけているいま、ダッシュで帰るのは現実的ではないと考えているのかもしれない。
いつ土砂降りになるか分からない中、女の子一人で帰すのは気が引ける。千颯は手に持っていた傘を雅に差し出した。
「一緒に入ってく?」
折り畳み傘だから二人で入るには小さすぎるが、無いよりはマシだろう。
千颯の申し出を聞いた雅は、驚いたように目を丸くしながら首を左右に振った。
「そんなん悪いよ……」
「別にいいよ。駅までは一緒なんだし」
「そうやなくて、
雅が気にしていたのは傘に入るという行為よりも、二人で一緒に帰ることだった。その心配はもっともだろう。
それならと、千颯は手に持っていた傘を雅に差し出す。
「じゃあ、これ使っていいから」
驚きながらも傘を受け取る雅。きちんと受け取ってくれたのを確認した直後、千颯は雨の中を走り出した。
「ちょっと! 千颯くん?」
後ろで雅が叫んでいる。足を止めたら傘を突き返されそうな気がしたから、千颯は振り返ることなく走り続けた。
小雨だと油断していたけど、雨の勢いは思いのほか強い。あっという間に髪を濡らして、制服のシャツが肌に張り付いた。
パシャパシャと、水たまりを突っ切りながら走る。スニーカーの中にも水が浸食していったが、気にしている余裕はなかった。
校門に差し掛かったところでペースを緩める。すると背後からタッタッタっと軽やかな足音が聞こえてきた。
振り返ると、傘を差した雅がスカートを翻しながら追いかけて来ていた。
追いつかれたら傘を突き返される。反射的にそう感じた千颯は、走るペースを速めた。
「なんで逃げるん!?」
雅は悲痛の声で叫ぶ。それでも千颯は足を緩めなかった。
雅も諦めることなく追いかけてくる。追いつかれてたまるものか、と千颯は逃げた。
男女の体力差があればすぐに逃げ切れるだろうと油断していたが、雅は意外にも足が速い。そう言えば、運動神経は良かったなぁなんてことも思い出した。
とはいえ、追いかけっこで女の子に負けるのは癪だ。千颯はさらにペースを速めた。
雨の中、全力で追いかけっこをする二人を、周りの生徒たちが不思議そうに眺める。さぞかし滑稽に見えるだろう。ぽかんと口を開ける生徒たちを見ていると、なんだか笑えてきた。
信号に差し掛かったところで、千颯は足止めを食らう。そのせいで雅に追いつかれてしまった。
「や、やっと追いついたぁ……」
雅はぜえぜえと息を切らしながら、千颯のシャツを掴む。そのまま恨めし気に千颯の顔を覗き込んだ。
「なんなん急に? なんで逃げたん?」
「だって、雅が追いかけてくるから」
「そうやけど、逃げることないやん」
「逃げたからって、追いかけなくてもいいじゃん」
「だって、傘返さなあかんって」
「ほら」
捕まったら傘を返されるという仮説は正しかった。このまま逃げ切れれば良かったけど、信号に掴まってしまったのが不運だった。
ふと、雅を眺めると、傘をさしていたとは思えないほどにびしゃびしゃになっていた。
濡れた前髪が顔に張り付いて、制服のシャツはぴったり肌に張りついていた。それだけでなく、雨に濡れたせいか肩から背中にかけて淡いピンク色の布が透けている。目のやり場に困った千颯は、咄嗟に俯いた。
「びしゃびしゃじゃん。ちゃんと傘さして」
「それはこっちのセリフや」
雅は背伸びをして、千颯を傘に入れた。距離が近付いたことで余計に下着が透けていることを意識してしまう。雅本人はまだ気付いていないようだが。
信号待ちをしている間にも、雨は次第に強くなってくる。大粒の雨は風に煽られるように横殴りで襲い掛かってきた。
「雨、強くなってきたね」
「ほんまやなぁ」
雅は憂鬱そうに空を見つめていた。
信号が青になり、横断歩道を渡る。雅が一生懸命手を伸ばして傘を支えているのが可哀そうに思えきて、千颯は傘を奪った。
「いいよ。俺が持つ」
そのまま雅側に傘を傾けながら歩いた。
横断歩道を渡ればすぐに駅に辿り着く。しかしいまの雅を駅に向かわせるのはあまりよろしくない気がした。お節介だとは思いつつも、助言をする。
「あのさ、その恰好で帰るつもり?」
「ん? 何が?」
「ブラが透けてるから……」
核心に触れると、雅は真っ赤な顔をしながら両手で胸元を隠した。
「なっ……なっ……」
雅は何か言いたげに口をぱくぱくしていたが、言葉になることはなかった。千颯はいつぞやのように変態扱いされないために、もっともらしい言い訳を口にした。
「そんな恰好で電車に乗ったら、また変な人に狙われるよ」
雅は動揺しながらも千颯の言葉を受け止める。
「たしかに……そうかもしれへんけど……」
胸元を押さえながら悩まし気に眉を顰める雅。その光景を見て、不覚にも下心が沸き上がってしまった。
やっぱりこのまま帰すわけにはいかない。どうすべきか視線を巡らせていると、駅前の公園が視界に入った。
「とりあえず、このままだとマズいから、公園のトイレで着替えてくれば?」
「着替えるって言っても、うち着替えなんて持ってないし」
「俺の体操着で良ければ貸すよ。今日使ったから綺麗ではないけど」
汗の沁みついた体操着なんて堂々と貸し出せるような代物ではない。サラッと羽織れるようなブレザーでも渡せたら良かったんだろうけど、衣替えをしたいまの時期ではブレザーは持ち合わせていなかった。
さすがに断られるかもしれないと思いつつも反応を窺っていると、雅は真っ赤な顔で視線を泳がせた。
「ええの? 借りても?」
自分で言い出しておきながらも、許可を求められると途端に恥ずかしくなる。千颯はなんとか冷静を装いながら頷いた。
「いいよ」
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