第126話 ハッピー・アンハッピー・バレンタイン

 バレンタインデーの朝は、教室内がソワソワしていた。


 意中の彼にチョコレートを渡すためタイミングを見計らっている生徒。友達以上のあの子からチョコレートを貰えるか期待している生徒。興味のないふりをしながらも、もしかしたらと期待している生徒。甘い香りが漂う教室内では、様々な思惑が飛び交っていた。


 そんな中、千颯ちはやは別の意味でソワソワしていた。


(今日こそ愛未あいみに伝えるんだ。もう一度付き合おうって)


 バレンタインデーというビックイベントを追い風にして、けじめを付けようと考えていた。


 想いを告げる覚悟を決めたはいいが、どうにも落ち着かない。意味もなくスマホの画面を開いては閉じを繰り返していた。


 そんな中、斜め前の席ではみやび水野みずの羽菜はなが楽しそうにお喋りしている。盗み聞きするつもりはなかったのだけれど、自然と会話の内容が聞こえてきた。


「雅ちゃんは、誰かにチョコレートをあげるんですか?」


 単刀直入に尋ねる羽菜を前にして、水野はどこか焦ったように「その話は……」と止めに入る。しかし当の本人はまったく気にする素振りを見せず、あっけらかんと答えた。


「誰にもあげへんよー。実はうち、バレンタインにトラウマあるんよ」

「トラウマですか?」


 羽菜が不思議そうに首を傾げると、雅はまるで笑い話をするかのように語った。


「中一の時な、片思いしていた人に手作りチョコを渡したんよ。そしたらな、その人、何を思ったのか『待っとけ雅、俺もいますぐ作ってくるわ!』って言って調理場に走っていったん」


「ん? いますぐ作ってくるってどういうこと?」


「そのままの意味や。和菓子作りに命かけてるような人やから、血が騒いだんやと思う。そんで数時間後に本当に作ってきて、どっちが美味しいか勝負することになったん」


「勝負って、そんな酷な……ちなみに結果は?」


「向こうはプロや。敵うはずあらへん。食べ比べをしたお兄ちゃんからは『こんなん味も見た目も宗ちゃんの圧勝や』って言われた。要するにうちは、バレンタインにチョコを渡したら、なぜか勝負を持ち掛けられて負けたって話。ひどい話やろ」


「それはなんというか、ご愁傷様」


「たしかにトラウマになりそうですね」


 水野と羽菜は苦笑いを浮かべながら同情した。


 遠巻きからその話を聞いていた千颯は、思わず笑ってしまった。宗司そうじがお菓子作りに燃える姿も、朔真さくまが涼し気な顔でジャッジする姿も、雅がショックを受けて立ち尽くす姿も、ありありと浮かんできたからだ。


 一人で笑っているのが悟られないように、千颯は机に突っ伏して笑いを堪える。プルプルと震えている姿がさぞかし異様だったのか、隣を通り過ぎようとした陣野に心配そうに声をかけられた。


「大丈夫か、相棒。泣いてんのか? 笑ってんのか?」

「笑ってる」

「そうか、楽しそうで何よりだ」


 千颯の肩をぽんと叩くと、陣野はそのまま去っていった。


 ようやく笑いが収まってきた時、教室に愛未が入ってきた。その瞬間、千颯は緊張に包まれる。


 愛未は小さな紙袋を手元で揺らしながら自分の席に着く。その様子を見て、千颯は緊張した面持ちで愛未の席に向かった。


「愛未、おはよう」


 声をかけると愛未はふわりと微笑む。


「おはよう。千颯くん」


 なんてことない、いつものやりとりだ。それから千颯は準備していた言葉を伝えた。


「今日の放課後、話があるんだ。ちょっとだけ時間作ってもらってもいい?」


 愛未は驚いたように目を丸くする。そしてガチガチに緊張している千颯を見て、可笑しそうにフフっと笑った。


「話って、良い話? 悪い話?」

「良い話、だと思う」

「そっか。それなら聞いてあげる」


 愛未は小悪魔的に微笑みながら千颯の顔を覗き込んだ。その表情にまたしても心を打ち抜かれる。


「じゃあ、これも放課後でいっか」


 愛未は手元にあった紙袋を揺らしてみせる。サイズ的に紙袋の中にはチョコレートが入っていると想像できた。


 愛未が自分のためにチョコレートを用意してくれた。その事実を知っただけで堪らなく嬉しくなった。


「放課後で大丈夫です」


 咄嗟に敬語になった千颯を見て、愛未はもう一度可笑しそうに笑った。


*・*・*


 それからは授業に集中できず、上の空になっていた。隣の席の羽菜からは「千颯くん、授業聞いてないとダメですよ」なんて注意されてしまった。それでも放課後のことを考えると、先生の話なんてまったく耳に入って来なかった。


 待ちに待った放課後。千颯は愛未と二人で下校した。


 愛未の隣を歩きながら、どうやって話を切り出そうか考える。黙って考え込む千颯に見かねて、愛未が提案してきた。


「公園に行こうか」

「ああ、うん、そうだね」


 愛未にリードされつつあることに不甲斐なさを感じながらも、二人は公園に向かった。


 駅前の公園にやって来て、二人はベンチに座る。いよいよ覚悟を決めなければと、千颯は拳を握った。


 付き合おうという言葉が喉元まで出かかった時、予想に反して愛未が先に口を開いた。


「バレンタインチョコ、千颯くんにあげるね」


 愛未は千颯の前に紙袋を差し出す。突然のことに驚きつつも、千颯は緊張しながら紙袋を受け取った。


「ありがとう」


 お礼を告げると、愛未は安堵したように表情を緩める。それから愛おしそうに目を細めた。


「中学の頃からね、ずっと千颯くんにあげたいと思っていたんだ。いま、やっと叶って嬉しい」


 ふわりと微笑む愛未の笑顔を見て、胸が締め付けられる。中学時代からずっと想っていてくれたことを想像すると、愛未への感情が一気に溢れ出した。


「ここで食べてもいいかな?」


 紙袋を覗き込みながら訊くと、愛未は嬉しそうに頷いた。


「どうぞ」


 紙袋の中には、透明の袋にラッピングされたトリュフチョコが入っていた。ココアパウダーでコーティングされたものと、ココナッツパウダーでコーティングされた白いトリュフの2種類がある。


「もしかして手作り?」

「そうだよ。ちゃんと練習したから味は平気なはず」

「練習までしてくれたの? 俺のためにありがとう」


 舞い上がる気持ちを抑えながらお礼を告げると、愛未は頬を赤くしながらはにかんだ。


 透明の袋に巻かれていたリボンを解く。袋の中からアルミカップに入ったトリュフチョコを取り出した。


「いただきます」


 恥ずかしそうに頷く愛未を横目に、チョコを口に運んだ。


 柔らかな食感と共に、チョコレートの濃厚な甘さが広がっていく。苦味のない純粋な甘さを感じて、思わず笑みがこぼれる。


「甘くて美味しい」


 その瞬間、愛未の表情もとろけた。


「良かった。千颯くんは甘い方が好きだと思ったからミルクチョコレートで作ったんだよ」

「さすが。俺の好みがよく分かってる」

「千颯くんのことなら大抵知ってるよ」


 自信ありげに笑う愛未を見て、思わず笑顔がこぼれた。

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