第122話 変わっていく日々
冬休みが終わり、新学期が始まる。千颯はいつも通り、朝の満員電車に乗っていた。
人の多さにうんざりしながら電車に揺られていると、雅の最寄り駅に差し掛かった。いままでだったら途中下車して雅を待っていたが、別れたいまもそれをするべきなのか迷う。
雅と登校していたのは、偽彼女になる代わりに一緒に登校するという約束があったからだ。その関係が解消されたいま、一緒に登校する理由がなくなってしまった。
雅は相変わらず満員電車が苦手だ。電車のドアが開いて壁のように立ちはだかった乗客を見るだけで怖気づいていた。その姿に見かねた千颯が先に乗り込み、雅を誘導するのがいつものパターンだ。
電車に乗ってからも小柄な雅が押しつぶされないように、さりげなく壁になっていた。ガタンと電車が揺れてバランスを崩した拍子に、むぎゅっと胸が押し付けられるハプニングもあったけど、一応役には立っていたはずだ。
その役割を放棄しても良いのだろうか? 電車が停車して降りるか降りまいか迷っているうちに、扉が閉まってホームから遠ざかっていった。
*・*・*
学校に到着すると、雅はすでに教室にいた。もしかしたら何本か早い電車に乗って混雑を回避したのかもしれない。
ひとまず雅が無事に学校に来られていることに安堵した。
「おはよう」
雅の席を通りすぎるタイミングで声をかけてみる。雅は一瞬驚いた顔をしていたものの、淡々とした口調で「おはよう」とだけ返した。
あまりの素っ気なさに面食らう。いつもだったら朝のホームルームが始めるまで他愛のない雑談をしていたが、いまはそんな雰囲気ではなかった。
足を止めてしまった千颯だったが、すぐに自分の席に向かう。席につくと机に突っ伏して脱力した。
こちらに視線を向ける気配のない小さな背中を眺めながら、今後の関わり方について考える。
愛未と正式にお付き合いをしたとしても、雅と友達でいることはできる。いままで通り、みんなで楽しく過ごすことだってできるはずだ。
だけど、心のどこかでそれをしてはいけないと警告をしていた。
一番の理由は、雅からの好意に気付いてしまったからだ。好意に気付いていながら、友達として付き合うのはあまりに無神経に思えた。
もし自分が同じ立場だったら、嫉妬で狂うだろう。そんな思いを雅に味合わせたくない。
(やっぱり距離を置くしかないのかな……)
もう雅の隣を歩くことができないと考えると、心にぽっかり穴が空いたような気がした。
ふと教室の扉に視線を向けると、茶色のダッフルコートに身を包んだ愛未がやってきた。愛未は千颯の顔を見ると、嬉しそうにふわりと微笑み、駆け寄ってきた。
「千颯くん、おはよう。年始はバイト先に来てくれてありがとね」
愛未の笑顔を見て、どんより沈んでいた気持ちが和らぐ。千颯は机から身体を起こして笑いかけた。
「愛未の巫女姿、可愛かったよ。バイトとは思えないくらい似合ってた」
「千颯くんにそう言ってもらえると嬉しいな。まあ、巫女のバイトはもうやらないだろうけどね」
「なんで?」
「だってすごく寒いんだもん」
愛未は眉を下げながら両腕を擦って寒がる仕草を見せた。その反応が可愛らしくて、思わず頬が緩む。
「やっぱりそうなんだ。たしかにコートもなしに外で立っていたら寒いよね」
「そうそう。だから巫女バイトは今年でおしまいです」
「残念」
もっと愛未の巫女姿を見たかったけど、こればっかりは仕方がないだろう。
それからも他愛のない会話をしていると、朝のホームルームを告げるチャイムがなって、愛未は席に戻っていった。
いつも通りの日常が始まる。ただひとつ違うことは、隣に雅がいないことだ。
*・*・*
昼休みが始まると、愛未がひょこっと席にやってきた。
「千颯くん、一緒にお弁当食べよー」
愛未からお誘いを受けたことに喜びつつも、つい雅の様子を伺ってしまう。
雅を孤立させてしまったら申し訳ないと心配していた千颯だったが、雅はお弁当箱を片手に水野や羽菜と楽し気に教室を出て行った。その姿を見てホッとする。
心配事が一つ消え、千颯は愛未に返事をした。
「うん。一緒に食べよっか」
千颯と愛未は、中庭のベンチで並んでお弁当を開く。千颯のお弁当は昨日の残り物と冷凍食品を詰め込んだものだったが、愛未のお弁当は手が込んでいた。
楕円形の小さなお弁当箱には、鶏の照り焼きや卵焼き、ほうれん草のソテーなどのバランスの良い
「愛未のお弁当美味しそうだね。見た目もすごく綺麗」
素直に賞賛すると、愛未は恥ずかしそうに照れ笑いする。
「春から練習していたからね。ちょっとは上手くなったと思うよ」
「ちょっとどころじゃないよ。めちゃくちゃ上手いよ」
雅と同じくらい上手い、と言おうとしたところで咄嗟に言葉を飲み込む。ここで雅と比較するのはあまりに失礼だ。
余計なことを言わずに済んで安堵していると、愛未が上目遣いで千颯の瞳を覗き込む。
「食べてみる?」
「いいの?」
思いがけない提案に驚いていると、愛未は箸で卵焼きをつまんで千颯の前に差し出した。
「はい、あーん」
まさかの箸伝いで戸惑う。千颯が固まっていると、愛未が「どうぞ」と促してきた。
こんなシチュエーションは前にもあったなと思いながら、千颯は差し出された卵焼きに食らいついた。
しっとりした食感と甘い味わいが広がる。砂糖をほどよく使った味付けだった。
「甘くて美味しい」
素直に感想を伝えると、愛未はほっとしたように顔をほころばせた。
「良かった。千颯くんは甘い方が好みなんだろうなって思ったから、砂糖を利かせた味付けにしたんだよ」
自分好みに味付けをしてくれたことが嬉しくて、思わず顔を緩ませる。
「俺のことを考えてくれてありがとう」
お礼を告げると、愛未の顔がみるみるうちに赤くなっていった。そして恥ずかしそうに俯きながら、返事をする。
「どういたしまして」
目の前の愛未は、いますぐ抱きしめてしまいそうなほどに可愛かった。
千颯と雅の間に距離ができたことは、クラスメイトもすぐに察した。その日以降、二人が別れたという噂が流れ始めた。
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