第121話 前に進む覚悟/愛未side②
新学期が始まる前日、
どこか警戒した様子であたりをキョロキョロ見渡している少女に、愛未は片手をあげて合図した。
「
その声で肩がビクンと飛び上がる。そして愛未の顔を見た瞬間、わざとらしく笑顔を浮かべながら駆け寄ってきた。
「ごめん、愛未ちゃん。待たせちゃった?」
「ううん。私もさっき来たところ。先に飲み物注文してきたら?」
「そやねー……」
そう促すと、雅はカウンターでドリンクを注文しに行った。その後ろ姿を愛未は静かに眺める。
雅を呼び出したのは他でもない。
雅もそのことを察しているのか、ソワソワとした様子で注文待ちの列に並んでいた。相当焦っていたのか、店員から渡された小銭を受け取り損ねて、慌てて床から拾い上げていた姿にはちょっと笑ってしまった。
気まずそうな表情を浮かべながらも、雅はドリンクを片手に戻ってきた。そのまま愛未の向かいの席に座る。
「何頼んだの?」
「抹茶ラテ」
「ふーん、千颯くんが好きそうなやつだね」
千颯の名前を出すと、明らかに動揺が走る。それをごまかすように雅は笑った。
「あはは、そやねー。千颯くん、甘党やからねー」
雅は視線を落としながら、意味もなくドリンクのカップをクルクルと揺らしていた。
警戒されていることは分かっていたけど、いつまでもなあなあにしておくわけにはいかない。愛未はホットコーヒーを一口含んでから、本題に入った。
「聞いたよ、千颯くんと別れたんだって?」
雅は驚いたように目を見開く。
「愛未ちゃん、知っとったの?」
「うん。千颯くんから聞いた」
「そっか……」
雅はどこか切なげに視線を落とした。
正直、二人が別れたのは意外だった。クリスマスイブに「一番になりたい」と牽制はしたものの、こうもとんとん拍子に別れるとは思わなかった。
「どうして千颯くんと別れたの?」
単刀直入に尋ねると、雅は張り詰めた空気を和らげるように笑った。
「うーん、最近すれ違いが多くて、倦怠期、みたいな?」
その笑顔はどうにも嘘くさい。はぐらかされていると気付き、冷ややかな視線を送っていると雅は言葉を止めた。
それから何かを否定するように、小さく首を左右に振る。
「これじゃあかんね。ちゃんと話さないと昔の二の舞や……」
自らを説得するように呟くと、雅は真っすぐ愛未の瞳を見据えた。
「愛未ちゃん、気を悪くせんと聞いといてな」
一呼吸おいてから、雅は心の内を明かした。
「うちな、千颯くんのことが好きやった。愛未ちゃんみたいに、ずっと好きやったわけじゃないけど、うちなりに千颯くんのことを想ってた」
雅の口から好きという言葉を聞いたのは初めてではない。だけどいままでの好きは、どこか薄っぺらくて、信憑性に欠けていた。
だけどいまは違う。千颯のことを心から想っていることが伝わってきた。
「そんなに好きなら、なんで別れたの?」
雅の瞳が揺らぐ。そのまま愛未の視線から逃れるように目を伏せた。
数秒の沈黙が流れてから、雅は諦めを含んだ色で明かす。
「千颯くんの一番は、愛未ちゃんやから……」
それはあまりに気弱な発言だった。クラスで一番可愛いと言われている美少女の発言とは思えない。
正直、自分と雅の間に大きな差はないように思えた。たぶん、千颯も雅のことを……。
それにも関わらず、こうも弱腰な理由が分からなかった。フラれるのがよっぽど怖いのか、あるいは別の意図があるのか。
だけど、ここで雅をフォローするつもりはない。そんなのは自分の立場を危うくするだけだから。
「それは身を引くって捉えていいんだよね?」
「……うん」
雅は小さく頷いた。
「それでいいんだね?」
念押しするように尋ねると、雅はもう一度頷く。
「うん。千颯くんには幸せになってもらいたいから」
雅は視線を落としながら穏やかに微笑む。その笑顔にぎゅっと胸が締め付けられた。
雅は俯きながら言葉を続ける。
「うちな、推しにはずっと笑顔でいてほしいと思っとるから。美味しいご飯を食べて、あったかいお布団で寝て、幸せに暮らしてくれたらそれでいい。うちのことで、千颯くんを悩ませたくない」
好きな人のために身を引く。そういうことなのだろう。
以前、雅は言っていた。本当の意味で優しい人間になりたいと。その行きつく先が、千颯のために身を引くということなのか?
だとしたら、勘違いも甚だしい。
「雅ちゃんはその決断が優しさだと思っているのかもしれないけど、自己犠牲の上で成り立つ優しさなんて、誰も幸せになれないよ」
こんなことは言うべきではないのかもしれない。雅の意見が変われば、こっちが不利になってしまうのだから。
だけど言わずにはいられなかった。
愛未の言葉は、幸か不幸か雅の考えを変えるまでには至らなかった。雅はぎこちなく笑いながら首を振る。
「自己犠牲とかそんな大層なものやない。これはうちのためでもあるんや。うちはいつまでも千颯くんの傍におられるわけやない。いつかお別れが来たら、お互い悲しいやん」
「それは、卒業したら京都に帰るってこと?」
「それも選択肢のひとつやね」
そんなのはたいした障害にはならない。京都と東京なんて新幹線を使えば数時間で行き来できるのだから。現に雅の兄も、何度も京都と東京を行き来していると聞く。
腑に落ちないで居ると、雅は再び穏やかな笑みを浮かべた。
「せやから、愛未ちゃんが千颯くんの傍に居てあげて」
その言葉で愛未は悟った。雅にとっては身を引くことが決定事項で、これ以上何を言っても意思が変わらないことに。
ライバルがいなくなって安堵する中に、ほんの少しの失望が入り交じっていた。
だけど、雅の言葉はそこで終わりではなかった。
「だけどな、もし愛未ちゃんがまた千颯くんを捨てるような真似をしたら……」
一度言葉を止めてから小さく息を吸う。そして意思のこもった瞳で愛未を見つめた。
「その時は、今度こそうちが千颯くんを貰う。別れてから後悔したとしても、もう渡さへんから」
「二度目のチャンスはないってことだね」
「そや」
雅にとっては、最後の最後に残した希望なのかもしれない。だけど、その希望を叶えるわけにはいかない。
「いいよ、それで」
雅の言葉に承諾する。承諾しても構わない理由があったからだ。
(私はこの先もずっと千颯くんを好きで居続ける)
そんな覚悟があったからこそ、承諾できた。その言葉を聞いて、雅は安堵したように頬を緩ませた。
*・*・*
ドリンクを飲み終えてから、二人はカフェを出る。駅で別れる直前、雅は愛未に手を振った。
「ここでバイバイやね」
どこか頼りない笑顔を浮かべる雅。その表情を見て、胸が締め付けられた。
愛未は足を止めて、真っすぐ雅を見つめる。
「ねえ、雅ちゃん。いままで仲良くしてくれてありがとね」
いままでの感謝を雅に伝える。
千颯との関係が修復できたのも、傍に居られたのも、全部雅のおかげだ。雅がいたからこそ、いまの千颯との関係が成り立っている。
だからこそ、ちゃんと伝えておきたかった。
何となく雅とはこれっきりになるような気がした。同じクラスだから当然顔を合わせることはあるだろうけど、いままでのような関係にはきっと戻れない。
これが感謝を伝えられる最後のチャンスだろう。
雅はひらひらと振っていた手を止める。驚いたように何度か瞬きをした後、ふわりと頬を緩めた。
「うちも愛未ちゃんと仲良くなれて良かった。いままでありがとう」
そう告げると、雅は軽やかな足取りで駆けて行った。
◇◇◇
ここまでをお読みいただきありがとうございます!
「面白い!」「続きが気になる!」と思ったら★★★、「まあまあかな」「とりあえず様子見かな」と思ったら★で評価いただけると幸いです。
♡や応援コメントもいつもありがとうございます。
作品ページ
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます