第120話 前に進む覚悟/愛未side①
巫女のバイトが終わり、私服に着替えた
日の沈みかけた境内は、昼間とは比べ物にならないほど冷え込んでいた。北風が吹いて足もとの落ち葉がカラカラと音を立てると、両手を抱えて身震いした。
「さっむ……」
寒いのだからさっさと帰った方がいいのは分かっている。だけど帰り際に立ち寄っておきたいところがあった。
膨大な数の絵馬の中から、千颯の絵馬を捜し出せる保証はない。完全に日が落ちたら、絵馬に書かれた文字を判別することも困難だろう。
日没までの限られた時間ではあったが、一縷の望みにかけて絵馬を捜し出すことにした。
(千颯くんは私の絵馬を見つけられたかな)
探してもいいよ、なんて伝えたが、見つけ出すのは至難の業だ。名前すら書いていないのだから見つけ出す方が難しい。早々に諦めて帰ったかもしれないとも想像していた。
絵馬を奉納するスペースにやって来て、自分の書いた絵馬を手に取る。
『大好きな人の一番になりたい』
それは、いま叶えたい一番の望みだった。
二番ではなく一番になって、千颯を独占したかった。千颯にも自分だけを見てほしかった。
自分から愛人でもいいと言い出したくせに、今更一番になりたいだなんて虫のいい話なのかもしれない。千颯の彼女である
だけど、いままで以上に強くなった千颯への想いをひた隠しにしたまま、関係を続けていくつもりはなかった。いま動かなければ、きっと後悔する。
千颯と雅の関係には、どこか違和感があった。仲が良いことは間違いないが、恋人というよりは友達の延長線上のように思えた。
とくに雅は、千颯に執着していない。千颯の周りに他の女の子が寄ってきても、何食わぬ顔で受け入れていたのがその証拠だ。
たぶん、雅はそこまで千颯のことが好きではない。友達としては好きだとは思うが、異性として好きと言えるほど感情が育っていないように思えた。
きっと、彼氏彼女欲しさに恋人ごっこでもしているのだろうと予想していた。少なくとも夏休み前までは。
夏休み明けから二人の関係が微妙に変化したことに気付いた。雅が千颯を意識し始めたのだ。京都で二人きりになった時に、関係性を変える何かがあったのかもしれない。
極めつけは文化祭でのキス。あの出来事をきっかけに、千颯も雅を意識し始めるようになった。
このままでは二人が本物の恋人になってしまう。そうなってしまえば、自分が入り込む余地がなくなる。そんな危機感を抱いていた。
愛未にとって千颯は、唯一無二の存在だ。三者面談の後にも、そのことを強く実感した。
これまでは愛されている理由が分からなくて素直に受け止められずにいたが、千颯はちゃんと言葉にして証明してくれた。その言葉で自分を認められるようになった。
いまならきっと、やり直せるはずだ。だからこそ、一番になりたいと願った。
エゴの塊でしかない願い事は、神様だって叶えてはくれないだろう。そう思いながら絵馬から手を離した時、隣に掛けられた絵馬がカランと揺れた。
そこに書かれた願い事を見て、愛未は目を見開いた。
『俺も一番になりたい』
名前は書かれていないけど、はっきりと分かる。千颯の筆跡だ。
(千颯くん、見つけてくれたんだ……)
膨大な願い事の中から、自分の願い事を見つけ出してくれた。そしてまったく同じ願い事を書いてくれた。
それはいままで起きたどんな奇跡よりも価値あるものに感じた。
千颯の絵馬を外すと、大切なものを扱うようにそっと抱きしめた。もう気持ち悪いなんて思わない。千颯への愛おしさが胸の内を支配していた。
(本当に好き。この世界の誰よりも)
重すぎる感情だということは分かっている。こんな重い愛情をぶつけたら、千颯の方が蛙化してしまうかもしれない。
だけど包み隠すことなんてできなかった。
日中に雅と別れたことを告げられた。その事実と目の前の絵馬を照らし合わせると、千颯が自分と向き合ってくれようとしているのが伝わった。
(もう一度、やり直せるんだ)
感極まって、涙が溢れ出しそうになる。胸の内はほわほわと温かい。もう寒さなんて気にならなくなっていた。
だけどこのままではいけない。二人の関係を前進させるには、ちゃんと決着をつける相手がいた。
愛未はスマホを取り出すと、ある人物へメッセージを送った。
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